サッカー解説者の松木安太郎さんらが4月26日深夜にテレビ朝日系で放送された「Get SPORTS」に出演し、Jリーガーの年俸について暴露した。Jリーガーはニュースなどで報じられる年俸を、全てもらえるわけではないのだという。
この日、番組では「Jリーガーとお金」を特集。Jリーガーの推定年俸ランキングトップ10を紹介した。J1で1位はガンバ大阪の遠藤保仁選手で、1億8000万円。Jリーグ全体ではセレッソ大阪(J2)のディエゴ・フォルラン選手が1位となり、3億円(半年契約)だった。
しかし、Jリーグではこの年俸が全額もらえない契約システムだという。年俸が「基本給」と「出場・勝利給」に分かれており、年俸満額を受け取るためには、すべての試合に出場し、かつ、勝利しなくてはならないというシステムになっているためだ。年俸に占める基本給の割合は選手やチームによっても異なり、鹿島アントラーズに所属していた中田浩二さんは、海外チームに移籍する前は基本給7:出場・勝利給3の割合で契約していたという。
番組で進行を務めた中西哲生さん(元名古屋グランパスエイト)は、出場給の額はゲームに出場した時間の長さによって変わると説明。当時所属していたチームでは、46分以上出場しなくては満額もらえなかったと話した。
中田さんは、海外チームでは年俸がJリーグの基本給にあたり、試合に出場したり勝利したりするごとにボーナスが出るという仕組みを紹介。日本の年俸制が最高額を決めるものであるのに対し、海外の年俸制は最低額を決めるようなシステムだとした。中西さんは、海外チームから再びJリーグに戻ってきた際には、海外と同様のシステムで契約したと述べた。
松木さんは監督時代を振り返って、出場・勝利給のシステムをいじることで選手のモチベーションを挙げていたとコメント。「勝利ごとに、勝利給を倍々にしたり。延長戦やPKの時は別にボーナスが出たので、延長戦が始まる前にエンジンを組んだ際、『プラスいくらだから!』と言ったりした」と、当時選手に向かって激を飛ばしていたことを暴露した。
話が日本代表の話に及ぶと、1997年11月にマレーシアのジョホールバルで行われたワールドカップ・アジア予選でゴールを決め、日本代表をワールドカップ初出場に導いた岡野雅行さんは、当時の日本代表のお金事情を紹介。「当時は日本代表はボランティアのようなもので、名誉的なものだった。予選でもお金をもらわずに試合に出ており、僕はジョホールバルしか出てなかったので、お金にならなかった。日本に帰りたいと思った。Jリーグの試合に出たかった」と話した。
岡野さんによると、ワールドカップ出場が決まったことで当時の日本代表、井原正巳選手ら選手会が交渉し、ボーナスが出るようになったという。
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