マッシモ・シャッカは、おそらく最も重要なイタリア人フォトジャーナリストだ。1998年、彼は世界報道賞で最優秀となった。そして2015年、彼は、世界で最も難しくてリスクの高い職業を続けてきた激しい30周年を祝うことになる。
インターネット上でレポートができるようになってから、フォトジャーナリストは、写真家であり同時に映画監督でもある。どんな形態のメディアを使おうとも、直感によって導かれる本物のフォトジャーナリストとしてのシャッカの精神は常に同じままだ。
シャッカはここ数十年間、いくつかの最も重要な紛争に立ち会った。危険性が常に隣り合わせの国々だ。どこかで殺害されてもおかしくなかったと、彼はいつも心に留めている。「この職業を選んだら、もう戻ってくることができないかもしれないということを認識しないといけません。不確実性はすべてのコーナーに潜んでいて、いつ、どうやって死の可能性に近づいているのか決して知ることができないでしょう」
フォトジャーナリストであることは、毎日この世の地獄と接触すること。いつでも恐怖が近くにある。「あなたが出会う人々は、しばしば暴力や虐待の犠牲者なのです。彼らの尊厳は、帰国した後も無視することができません。それは間違いなくあなたの日常生活を変えるのです」と、シャッカは話す。
彼に最も大きな影響を与えた経験は、第二の故郷と考えるサラエボで起こった。「旧ユーゴスラビアでの紛争は、私の職業人生だけでなく、プライベートにも影響を与えました。ボスニアで知り合った友人は、いまでも友人のままです」
デジタル時代に適応することは、シャッカにとって必ずしも簡単なことではない。いくつかの点で、彼は全く適合していない。いまだにモノクロのアナログフィルムで仕事をする。古典的フォーマットは新しい技術に屈服しているのだが、シャッカはデジタルの世界で最先端のフォトジャーナリストとしての評判を維持している。
この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。
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