2月22日に授賞式が行われたアカデミー賞の短編ドキュメンタリー部門は、退役軍人たちの自殺を防止するためのホットラインに携わるスタッフの苦闘を描いた『クライシス・ホットライン:ベテランズ・プレス1』が受賞した。惜しくも受賞は逃したが、先天性の希少難病をもって生まれた息子を記録し続けたトーマシュ・シリヴィンスキ監督『私たちの受難』(札幌国際短編映画祭最優秀ドキュメンタリー賞受賞)も注目を浴びた。ハフポストUS版のエグゼクティブ・エディター、ニコ・ピットニーがシリヴィンスキ監督と妻のマグダ・ヒューケルにインタビューを行った。
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先天性中枢性肺胞低換気症候群、別名「オンディーヌの呪い」にかかっている人はほとんどいない。きわめてまれな遺伝子疾患だ。
その数少ない不運に見舞われレオは誕生した。医師らは最悪の事態を予測した。
「医師たちからは、普通の生活ができるチャンスは皆無の深刻な状態だと説明を受けました」と、レオの父トーマシュ・シリヴィンスキはハフポストUS版に語った。「仕事を完全にやめ、子供だけに専念する心の準備が必要だと言われました。起こりうる悪い事態について、説明をたくさん受けました。私たちがあの時点であきらめなかったのは驚きです」
レオのような子供たちの場合、呼吸は単なる無意識動作ではない。どちらかと言えば意識的な行動だ。レオが眠りに落ち、大型呼吸器につながれなかったら、レオはそのまま死に至る。日中は、呼吸に集中する必要がある。窓の外の何かに気を取られたら、テレビに夢中になったら、レオの呼吸は弱まり危険な状態に至るかもしれない。
「レオが何かにとても夢中になったら、いつでも人工呼吸器につなげるように細心の注意を払う必要があります」とシリヴィンスキは説明した。
レオ0歳。写真: Leoblog
レオが生まれた時、シリヴィンスキはある友人から、セラピーとして経験を映像で記録するように勧められた。当時、シリヴィンスキは映画学校に所属していた。彼の妻マグダ・ヒューケルはプロの写真家だ。
「何となく私たちの人生は終わったような気がしました。これを乗り越えるプロセスとして、撮影することそのものが私たちの役に立ちました」とシリヴィンスキは述べた。「落ち込む代わりに、『私たちに何が起こったのか?』ということを考え、そのエネルギーをクリエイティブなものに注ぎました」
4年後、誕生から半年間のレオの命を記録したこの映像は『私たちの受難(英題: Our Curse)』というタイトルでまとめられ、高い評価を得てアカデミー賞短編ドキュメンタリー映画部門にノミネートされた。幼稚園に入園したばかりのレオは、ポーランドの自宅からこの祭典を見ることになった。
■受難の記録
シリヴィンスキと妻は撮影を開始した時、その映像を誰かに見せるなどということはまったく考えていなかった。
夫婦はほぼ毎晩ソファに座って夜遅くまで話し込んでいた。レオが生き延びるのは難しいのかどうか。レオの人工呼吸器のアラームが鳴り、それを聞き逃すのをとても恐れた。
「最初一番困難だったのは、レオが死を目前にして生きていること、レオが生と死の間を綱渡りしていることを理解することでした」シリヴィンスキは話を続けた。「私たちはその事実をどうにか頭で理解する必要がありました。そして、今を受け止め、今のありのままの状態に幸せを感じるように努力し、あまり先の事は考えないようにする必要がありました」
一日一日の積み重ねが数週間となり、数カ月となった。レオは安定していた。徐々に、シリヴィンスキとヒューケルは新しい生活に順応し始めた。そしてある夜、撮影をやめる時だと夫婦は悟った。
「毎晩のように、私たちがソファに座りこんで会話していました。でも、私たちは同じ内容を繰り返し始めたことに気付いたんです」とシリヴィンスキは回想した。「私たちは事態を受け入れるプロセスをすべて終えました。とにかくできるだけ普通の暮らしを始める時でした。だから、本当に自然の流れで撮影をやめようと思いました」
レオ0歳。写真: Leoblog
数カ月後、新しいチャレンジが始まった。撮影した映像を編集する作業をしているうちに、シリヴィンスキは過去の体験を再体験せざるを得なくなった。「あの時はタバコの量が増えました」と彼は笑った。「過去の一瞬一瞬をもう一度体験しながら、何とかして自分自身の感情をすべてのプロセスから引き離さなければいけませんでした。映像の登場人物がたまたま自分なんだ、と言い聞かせなければいけなかったのです」
彼は最終的に同僚2人に最初のシーンの編集の協力を求めた。「このドキュメンタリーのストーリーの中で、重要なシーンではないのですが、とても感情移入してしまったものがいくつかあります。そういったシーンでの感情をすべて覚えていたので、個人的にそのシーンをカットする勇気がありませんでした」
1月に行われたアカデミー賞ノミネートの発表の日、彼はチームと一緒にいた。彼の作品と同様にアカデミー賞ノミネートの最終選考に残った他の2つのポーランド映画に続き、ノミネートされた。
お祝いのニュースが次から次へと入り、終わってみれば、ポーランドの3作品はすべてノミネートされていた。「みんな、叫んで喜んでいました」とシリヴィンスキは言った。「本当に信じられませんでした。あの1日は、この先忘れることはないでしょう」
レオ1歳。写真: Leoblog
■ 今、この瞬間の生命
現在もレオの病気は常に監視しなければならず、日常行動には複雑な計画が必要だ。学校にいる日中など、両親が一緒にいない時は、看護師ら(給与は保険適用外だ)が待機していなければいけない。
「他の子供たちにはできることが、自分の息子にはできない。病気がなかったらと考えるのはつらいです」
しかしこのようなチャレンジも、シリヴィンスキが語る「人生最悪の事態も、最終的にはポジティブなものに変えることができる」というこのドキュメンタリーの普遍的なメッセージに影を落とすことはない。
「私たちは今、本当に幸せです」と彼は言った。「これ以上に素晴らしいことはありません。もちろん、レオの病気を治すためなら何でもします。しかし、私たちはどうにかバランスを見出すことができました。この経験が人生を豊かにしてくれました。私たちのものの見方は完全に変わりました。私たちは無駄なことを心配するのをやめ、本当に重要なことを感謝するようになりました」
レオ2歳。写真: Leoblog
レオの両親はウェブサイトで、呼吸ペースメーカーを埋め込む手術のための資金を集めている。この手術をすればレオが気管切開に頼ることはない。
夫婦は家族を増やすことを検討している。「レオに弟か妹がいたらとてもいいと思います」ドキュメンタリーのプロモーション旅行の途中で「オンディーヌの呪い」を患った大人たちとの出会えてとても良かったとシリヴィンスキは語っている。「彼らは本当に普通の暮らしを送っています。大学を卒業し、家族を持っています。彼らはレオに、制約のない人生を送れる大きなチャンスがあることを教えてくれているのです」
レオ2歳。写真: Leoblog
この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。
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