「ふくろう博士」古川のぼるさん死去 CMが話題になったことも

「ふくろう博士」の愛称で知られた教育評論家の古川のぼるさんが2月9日、肺炎で死去した。80歳。
時事通信社

「ふくろう博士」の愛称で知られた教育評論家の古川のぼるさんが2月9日、肺炎で死去した。80歳。朝日新聞デジタルなどが伝えた

本名・古川隆(のぼる)。東京生まれ。太平洋戦争の疎開で父親の実家がある栃木県に移り住み、県立栃木商業高校、明治薬科大学を卒業。会社勤めなどを経て、1962年に埼玉県与野市(現・さいたま市)で学習塾「和光学院」を開設。学生を登録して家庭教師として派遣する「家庭教師派遣業」を提唱し、1971年に「日本家庭教師センター」(のちの日本家庭教師センター学院)を設立した。

業界団体「全日本家庭教師センター連盟」の会長なども務め、家庭教師の質の向上などに力を注いだ。

塾などが受験過熱の元凶、という批判に対してーー「非難されたテレビも普及してみれば、チャンネル選びの問題だ。塾や家庭教師に学ぶ子供が五割を超す現実となっては、それをよくすることが課題」

重症の身障者である。病名は多発性骨腫(こつしゅ)。関節が痛み、正座できない。「努力すれば報いられる。劣等感を持つな」との父親の遺言で奮起した。「近く身障者の教育にも着手します。あわれみをかけるのではダメ。それぞれの能力をひきだし自信をつけるのがコツ」という。

(朝日新聞1975年1月21日付朝刊「ひと」欄より)

テレビなどに「ふくろう博士」の愛称で登場して教育相談などを担当したほか、教育書、ビジネス書など多数の著書がある。古川さんが「やる気にさせます」とガッツポーズするテレビCMでも知られた。一方で、テレビCMに「君が代」をロック風にアレンジした曲を使用したことが話題を呼んだが、放送開始当日に2回流れただけで中止になった。

「禁多浪富士」と名付けられた力士人形が「難解山」を投げ飛ばす。そこに古川院長が登場してカップを渡す、という15秒のCMで、ロック調にアレンジされた君が代が背景に流れている。(中略)古川院長は、「私は君が代賛成論者。君が代が子どもたちに愛されるよう橋渡しをしたいと思った」。

(朝日新聞1992年5月1日朝刊:CMのバックに「君が代」 ロック調できょうから放送)

日本テレビの広田誠之広報部長によると、「君が代をBGMにしたCMであることが報道され、広く知れ渡ったため、1日、責任者が集まって協議した。放送基準には触れないが、君が代を1企業のCMに使うのは好ましくないとの結論になった」という。

(朝日新聞1992年5月2日付朝刊:CMの「君が代」中止 2回流して曲を替える 日テレ系 )

2001年7月の参院選に、自由連合公認で比例区から立候補して個人名で1998票を得たが、党として議席が獲得できず落選。2007年4月の東京都知事選にも立候補を表明したが、「ふくろう博士」の名前での立候補を選挙管理委員会が認めなかったことや、体調不良などを理由に、告示2日前に断念を表明した。

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