「新国立競技場は建てちゃダメです」戦後70年の日本が抱える"リフォーム"問題とは【東京2020】

現在の国立競技場はすでに取り壊しが始まっている。2020年の東京オリンピックのメイン会場となる新国立競技場の建設計画をめぐって、コンペに当選したデザインがそのまま建たないなど、混乱が起きている。こうした問題はなぜ起こったのか。

2020年東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場になる新国立競技場はこのままでよいのか――。

2012年11月、新国立競技場のデザインを決めるコンペでイラク出身の建築家、ザハ・ハディド氏の案が選ばれた。しかし、工費が当初予定の倍近くかかることが判明。さらに、建設予定地の神宮外苑周辺は、緑が多くイチョウ並木を臨む都内有数の名勝だ。ハディド氏のデザインは近未来的で、現在の国立競技場の敷地を大幅に超える範囲に及ぶため、景観への影響を懸念する声が噴出した。

コンペで選ばれたハディド氏の原案。予算オーバーや未来的なデザインが物議を醸している

2013年夏、現在の国立競技場の取り壊しが迫ると、建設計画を取り仕切る文科省管轄の日本スポーツ振興センター(JSC)はハディド氏の原案で建設することを諦め、設計を大幅に見直し。JSCが修正したデザインで建設が決まった。

JSCが作った修正案。このままで行けばこのデザインで建つことになる

これを受けて、さらに議論は紛糾。「ハディド氏の原案のまま作るべき」「景観を壊すハディド氏の原案自体に反対」「オリンピック後の運用コストも考え、建て替えにすべき」といった意見が論壇誌や建設業界の専門誌に寄せられるようになった。

JSCは計画通り建設を進めるため、2014年12月、現在の国立競技場の解体を始めた。このままいけば、JSCの修正案で建設され、2019年に開催されるラグビーワールドカップの会場として、こけら落としを迎えることになる。

取り壊しが始まる前の国立競技場付近。緑の多い立地だ

この問題について、建設計画のずさんさを批判し、「建てちゃダメです」とブログで訴え続けているのが、一級建築士で『マンガ建築考 -もしマンガ・アニメの建物を本当に建てたら―』などの著作もある、森山高至さんだ。なぜ、ハディド氏の原案、JSC案にも反対しているのか。新国立競技場をめぐる今の混乱は、なぜ起こったのか。話を聞いた。

森山高至さん

■なぜ、ザハ案をめぐる混乱が起きたのか

――現在のところ、新国立競技場はJSCの改修案で建てられることになっています。一番問題にされているのは、このJSC改修案が、コンペで選ばれたハディド氏のものでもない、全面見直しでもない。結局、これは誰が望んだものなんだ、という点です。

JSC改修案は結局、「なるべく近づけよう」としてるんですよ。

ただ、ザハのオリジナリティを本当に活かそうと思うと、言ってみればF1カーを作るようなもので、そうとう困難です。一競技場レベルの話ではなくて、まるで高度成長期の頃の「新幹線をちゃんと走らせよう」とか、「プロジェクトX」みたいなものに近い。

そういう状況ですから、建築に携わる人は改修案のひどさをわかりつつ、同時にザハ案の難しさも理解している。だから、「言ってもしょうがないや」というのがホンネだと思いますね。

――そうすると、そもそも実現が難しいザハ案が選ばれた、あのコンペは一体なんだったんだ、というところに遡りますよね。

そうです。JSCがなぜ、あれはちゃんとしたコンペだ、正当性がある、と言ってるかというと、自分達が決めたルールには則っているから。それは事実です。ただ、それが通常のコンペと言われているもののルールではないんですよ。きちんと整備されていないルールなのに、それに従ったから正当だと。コンペに参加された伊東豊雄さんも、そのルールがおかしいことについては指摘されています。

コンペで優勝したザハ・ハディド氏

――まず、問題になったきっかけは予算でした。当初、1500億で作ろうとしていたものが、実際に見積もったら倍近くかかることがわかった。この見当違いというのは、どうして起きたんでしょうか。デザインしたハディド氏が間違えていたのか、それともJSCが提出作品をきちんと評価できなかったのか。

ザハが間違ったと思います。おそらく、彼女は予算を考えず、「私だったらこうするよ」という案を出した可能性が高い。コンペでは、ルールを破る案を出す人もいるんです。理由はいろいろあって、選ばれることを度外視で目立とう、という人もいるし、コンペそのものの要項や仕組みに異議を申し立てるためにあえて違反した案を出すっていうケースもある。たとえば、新宿都庁のコンペの時に磯崎新さんがあえてコンペの要項を無視した案を出したのは、抗議の意味を込めていたからです。

今回のザハの場合は前者で、「どうせ自分は選ばれないから自由にやろう」という気持ちはあったと思います。自分の作家性をアピールする場として応募した。予算の妥当性は二の次だ、という考え方ですね。

――たしかに、ザハ案以外でも、屋根全体が森になっていて木が埋えられているものとか、素人目で見ても予算、維持を考えたら難しそうだな、というものも最終選考に残っていましたね

そう。僕がずっと問題にしてるのは、審査する側が実現性をまったく考慮しないで選んでいることなんです。審査員の方も実績のある先生方だから、ちゃんとしてるんだろうってみんな思いますけど、どんな有名な方でも得意分野は違いますから。たとえ話ですけど、立派なお医者さんでも脳外科の人に歯を診せたら、絶対失敗しますよね(笑)

最終選考に残った田根剛さんのデザイン

――ある分野では立派でも……

そうです。今回は(審査委員長の)安藤忠雄さんが、本来ああいう施設に精通されてない、そのことが大きな要因だと思います。著名人で、気さくな人で、政財界とのパイプもあるから、ふさわしいだろうっていう判断で審査委員長に推されたのではないかと。

一方で、建築の技術的な問題や実現性には疎く、本来、それを補うために意見を求められた他の先生方も、自分の意見を言えずに流されたということだと思います。このことは、東大名誉教授の内藤廣さんがはっきりそう仰られてます。「決め方が拙速だった」と。

コンペの審査委員長を務めた安藤忠雄さん

■ザハと外苑の組み合わせの問題だ

――本来ならば、あれだけのプロジェクトになると、建築を超えて土木、都市設計、そういうスケールで考えなければいけない問題ですよね。

そう。東京のど真ん中ですから、交通のことも考えなきゃいけないし、防災避難区域にも指定されている。もちろん、外苑という地域の歴史的経緯みたいなものもあります。スポーツやコンサートの箱としてどうかだけを考えればいい場所じゃないんですね。あそこに、どういう建物が建つべきかということだと思うんです。

――あれが外苑でなく、有明とか、埋立地のエリアに建つんであれば、という意見は多いですよね。

それはもう、皆さんおっしゃってることだと思います。ザハが周りの景観のことはまったく考えていないのは明らかですから。

でもザハが悪い、というわけじゃなくて、ザハと外苑の組み合わせの問題だと思うんです。たとえばリニアモーターカーの駅とか、東京湾アクアラインの「海ほたる」をザハに頼んだら、きっとランドマークになるすごいものを作るはず。ザハ・ハディドっていう人は、自分のアイデンティティを自分の作家性だけに絞っている人。イラク出身ですが、イギリスで活動し、亡命者的で背景がない、という部分をウリにしてるんですね。

たとえば京都の街中にあれを作るとなれば、猛反対されるでしょう。でも、砂漠や海岸、周りが背景で引いてくれれば引いてくれるほど目立つ。そういう作品なんです。

僕が昔、携わった仕事で、このままじゃ建たないザハの図面を預かって、どうやったら建つか検討したことあるんです。建設会社が法律面と物理面を考えて、可能なように図面を手直しして、「ザハさんの形は守って、ちゃんとビルになるようにしました。許可も取りました」って言うんだけど、ザハは「嫌だ。絶対に認めない」と。建築事務所の先生が「ザハ、お前さ、建てたくないの?」って聞いたら「建てたい」って。「でもさ、嫌だってずっと言ってたら建たないぞ」って言ったら、ザハがポロポロって泣いちゃって……(笑)

――(笑)。となると、今回の修正案も……。

「あれは私の作品じゃない」。そう言うでしょうね。

2014に完成したハディド氏設計のスカイ・ソーホー(中国・上海)

■なぜ、ザハ・ハディドだったのか

――では、外苑という場所にザハ案を選んだ、この理由はなんでしょう。

安藤さんはみんなで決めたと主張されていますね。ただ、コンペ自体は審査員の投票ですし、個人の好みというよりかは、活きがいい、トレンドだ、という部分じゃないでしょうか。旬の人を連れて来たかったんだと思います。これまでアンビルドの女王だ、実際には建たない、と言われていたザハの建物が、ここ数年、建ってきてるでしょう?

――はい。

トレンド、ニュース性、そうしたものを意識したのは間違いないです。

――ただ、現在の修正案に反対する人たちの中でも、「ザハ案かっこいいじゃないか、元の案でやったれ!」という人たちもいます。村上隆さんなんかは後者ですよね。

そこは、建築に対しての知識不足と、デザインの意味解釈の違いです。デザインというものが、瞬間を切り取るんだ、それそのものがアートなんだ、という考えだと、斬新なものはアリになりますよね。村上さんは建築、景観とは別に、単純にアートとしての作品を評価されているんだと思います。

――かっこいいじゃないか、と。

そう。でも、瞬間だけを見ていたらダメだろう、建築はもっと長い間、存在するパーマネントなものなんだから、という考えとは根本的に違いますよね。音楽でもそうでしょ。今年、今の時代を反映したミリオンセラーを売る曲を作りたい人と、ずっと歌われる曲を作りたい人では根本的に違う。

――でも、この新国立のプロジェクトに関しては……

そう。瞬間だけ考えていてはダメです。建築デザインの歴史もね、専門家じゃないと知らないですから。問題なのはある時代において突出した建築デザインっていうのは、5年くらいで廃れていくんですよ。ザハのようなユニークな作家は、5年ごとに出てくる。それはバブルの時の建築を見ればわかります。たとえば浅草のアサヒビール本社。「うんこビル」って呼ばれてますけど(笑)。一企業のビルだからよかったものの、仮に公共施設だったら、と考えるとね。「なんでこんなものが残ってるの?」というバブル時代の箱モノ建築はいくらでもあるでしょう?

だから、長い目で見た考え方ができる人にデザインを任せるか、審査員に入れないとダメなんです。この問題は。

浅草にあるアサヒビール本社ビル(右)

■コンペに潜んでいた本質的な問題

――国立競技場という数十年単位で考えなければならない設計に、数年で過ぎ去るトレンドを持ち込んだ、このギャップが問題の根本にあると。

そう思います。

――もう少し掘り下げます。この巨大プロジェクトが、「トレンド」で決まってしまった。その背景は?

もともとコンペっていうのは、募集する要項、プログラムを作る方に時間をかけるんです。僕も公共施設のコンペのお手伝いをしますけど、プログラムを作るのに、1年とか2年かかるんですよ。機能面、予算面、環境面、景観面、あらゆる角度から何度も何度も検討を繰り返して、仕様を作るんですけど、新国立競技場のコンペに関しては、そのプロセスをまったく省いていると思いますね。

――そうなったのはなぜ?

1つはこの企画自体、もともとコンペじゃなくて、改修して使おう、っていう考え方があったからだと思います。久米設計が検討して、結果、そのまま直した場合は少し機能不足だとわかった。それで、建て替えが構想に入ってきた時に、当時の石原都知事が安藤さんを東京都の街作りプロジェクトに呼んだんですね。そこに2016年、2020年とオリンピック招致が絡んで、世界のオールスターを呼べるコンペにしよう、という風に、純粋な建て替えの問題から、オリンピックの商業的イベント、というウエイトが大きくなっていった。単なる建て替えのコンペであれば、建築と都市計画の地味な専門家たちが、粛々とやっていたと思うんです。

オリンピックが絡んで、いろいろな人がステークホルダーになり、コンサートもできる会場に、8万人収容だ、芝生はもちろんだ、高さもあったほうがいい、屋根は可動式だ、とどんどん仕様が膨らんで、「全部入りラーメン」みたいな感じになっていった。

久米設計の改修案。改修費用は777億円と試算されている

――コンペの計画の根本に、都市計画のような発想がなかったと。

そうです。さらにその原因になっているのが、役所の管轄の問題です。

――コンペを主催したJSCは保健体育を推進する、文科省管轄の団体ですよね。

ええ。建築の専門家じゃないんですよ。国土交通省と文科省の綱引きはあるでしょうけど。

――たしかに国立競技場関連の昔の資料を漁ると、その多くは文科省が作った、国立競技場はこんなことに活用されました、という書類でした。

そうなんです。JSCのミッションはそこですから。JSCがコンペを進めたから彼らが矢面に立たされてますが、計画を止める権限もないし、都市景観、都市設計、建築はそもそも管轄外なんです。

――なるほど。この問題で、反対論にさらに反論する行政側がまったく表に出てこないというのは、そういう理由ですか。

そうです。言う権限がない。それはね、JSCの理事の方にお会いしても言われます。「ご意見を頂くのはいいんですが、私たちに与えられてる権限は進めるということしかないんです」と。

――そうなると、都市設計という大きい視点で国立競技場の案件を仕切った人がいないのでは、ということになりますね。

そう。だから、参加している人たちの中でも、都市計画の専門家は「私は景観の問題は気にしてたんですけどね」とか、土木の先生も「ザハ案、やればできますけど、めちゃくちゃ金はかかりますよ?」とか、どこか他人事のようなんです(笑)。今、反対の声を上げている伊東豊雄さんや、槇文彦さんら建築家の先生方が指摘されているのは、そのグランドデザインのなさ。そこなんですよ。

――本来ならばオリンピックの組織委員会が全体を考えて進めていくべき計画だったと?

それは難しいと思います。オリンピックという単位で考えてしまうと、新国立は単なる一会場。その後30年、40年、どう活用するのか、東京の都市設計としてどうあるべきか、という視点では見ないです。その意味で、取り組む姿勢が1964年の東京オリンピックの時とはまったく違うんですよ。あの時は挙国一致で、たとえば今でも傑作と言われている代々木第一体育館は丹下健三さん(故人)と、建設省と東京大学と、フルメンバーで国家事業としてやってますから。

1964年の東京オリンピックに合わせて作られた代々木第一体育館

――この、どういう範囲でオリンピックを考え、作っていくか。これは日本に限らずどの国でも問題になってますよね。

ロンドンでも問題になりましたね。ただ、全員がその「長い目」で見る必要はないと思うんです。JOCや組織委員会、広告代理店とかは、オリンピックというお祭りに向けて短期で考えるわけですから、まあ、無理な話。でも、東京、日本、数十年、という大きい、長い目で見ている人が一人もいないっていうのが一番の問題なんだと思います。

■国立競技場は、戦後70年の日本が抱える問題のシンボルだ。

――森山さんが、この問題を追い続けている理由はなんでしょう。

今ならまだ、間に合うと思っているのがひとつ。改修なら時間が十分にあります。そしてもう1つが、戦後に建った建物が40年、50年と経って、これを潰すのか建て直すのか。国立競技場にとどまらない、もっと大きい問題が背景にあるからです。

たとえば、都心部でも古い住宅地のビルでは、階段でしんどいから、おじいちゃん、おばあちゃんが半ば閉じ込められている、そういう建物がいっぱいある。でも、今の法律ではエレベーターひとつ付けるのも難しい。数億円の土地の上に、ほとんど価値のない、ゼロ円の建物。選択肢は事実上、丸々建て替えるだけ。そういう現実がある。ここに、改修して使い続ける仕組みと法律を整備すれば、これから高齢化が進む日本の古い街も、資産価値を取り戻すと思うんです。

――スクラップアンドビルドだけではなく。

そうです。単にもったいないから改修、ではなく、建て替えるより改修するほうが価値が高まる、そういう選択肢を残したいということ。もともと価値がないもの、直せないものは建て替えればいいんです。でも、戦後70年、改修のルールも作っておかないと、ベネチアのような、年輪が刻まれた街にはいつまで経ってもならないんですよ。

――人が住みつつ景観も残っている状況を、今の仕組みでは維持できないと。

そうです。今は重要文化財とか指定建造物になって、飾って見るだけのものとして残るか、マンションに建て替え。中間がないんです。

この問題は、地方にもあります。尾道とか、長崎とか、坂の街は観光名所ですけど、お年寄りは登れない。住めなくなってきてるんですね。でも、建て直すとどうなるかって言うと、現行法に合わせると道路を拡張しないといけなくなる。そうなると、路地沿いに石垣があって風情です、っていう景観はなくなっちゃう。

――今の話を伺って思い出したのは表参道ヒルズです。確かに一部分、同潤会アパートが残ってはいますが……。

あれも安藤さんですよね。

同潤会アパートも、時間を経たおかげで文化的価値が生まれちゃったわけです。結果的に。もともと文化住宅と言われたもので、関東大震災のあとに鉄筋コンクリートでちゃんとしたものを作ろうって、できたものなんですよ。そして、太平洋戦争の時に空襲があって、あのアパートが火を防いだおかげで街路樹のけやきが守られたとか、そして戦後は若者の街になって、小さな雑貨屋が入って、と、そういうストーリーがあったんです。それが、路地歩いたら楽しいな、いいな、と思うものにつながっていた。

そこにどういうテイスト、コンテクストが埋めこまれているかっていうのを考えないで安藤さんは、自分のミニマリズムというスタイル、作家性でそこを上書きしたんですね。打ちっぱなしのコンクリートを使った余計な要素のない、禅的なミニマリズム、そこが世界的に評価されているので、安藤さんがそういうふうにするのは当然なんです。

表参道ヒルズになる前の同潤会青山アパート

表参道ヒルズ

――作家のせいじゃなくて、作家の特性に合わない場所に連れてきてしまった。

そうです。ザハと同じように、作家性そのものが安藤さんの命ですから。このことは副都心線渋谷駅にも言えますし、もちろん、新国立競技場も同じことです。

■赤レンガ倉庫や神楽坂という、「リフォーム成功事例」

――逆に、成功事例はありますか?

今話に出た、戦後の同潤会アパートはまさにそうですね。戦火に耐えた建物を、テイストを残しつつ補修しながら、商業地として使ってきたわけですから。あと思いつくのは横浜の赤レンガ倉庫。港湾施設という、ゴリゴリの産業建築を、景観は残したまま商業施設にして、みんなが行きたい場所に生まれ変わらせた。

横浜の赤レンガ倉庫

都内ではなかなか思いつきませんが、神楽坂とかもそうなるかな。

――細い路地を残してますよね。

あそこは路地の方に入ると、再建築不可っていう分類になって、新しく高いマンションを建てたりできない。でも神楽坂は昔、花柳界の街だったとか歴史もあって、商業的な価値があるから、景観を残した方が全体としてよいでしょう、というのを地域、産業界、行政が同意してるんですよ。ここに広い道路作ってマンションがボコボコ建って、路地が全部潰れたら、街の価値がなくなる、という意識はすごくあるんじゃないですかね。

住居として住んでる人からしたら、もしかしたら建て替えたいのに建てられないっていう不満はあるかもしれない。でも、景観で価値を保っている街だから、たとえば、お店をやりたい人に貸して、自分は少し外れのマンションに住む、そういう経済的な循環と選択肢が生まれるんです。

石畳の路地が残る神楽坂

――リセットするのではなくて、これまでの景観、歴史、文脈を踏まえた上でリノベーションする環境がないと……

そうです。僕が皆さんにお伝えしたいのはそこなんです。国立競技場は、そのシンボルなんです。良い物を残すために、改修する考え方、仕組みを持ちましょうよ、と。この問題がクリアされれば、沖縄から北海道までね、いろんなものが蘇ると思うんです。

■明治神宮は、普通の場所を「神聖な場所」にした一大プロジェクト

――場所が持つテイスト、コンテクスト、という話になると、今回の新国立競技場の問題では、明治神宮周辺の歴史的経緯、というのも議論に上りますね。

「もともとそんなに神聖な場所じゃない。練兵所だったじゃないか」という人もいるんです。でも、論点はそこじゃないと私は思う。そういう場所が、なんで今、記念碑的なエリアとして認識されているのかが問題なんですよ。

建設予定地の神宮外苑付近はイチョウ並木の名所でもある

――もともと何でもなかった場所が、価値を生んだ、と。

その通り。明治神宮の木は、ただ植えて手入れをする、っていうものじゃないんです。これ植えておけば、成長して次にあの種が来てこれが来て、世代が入れ替わって、100年くらいたったら原生林に近い状態になるっていう、そういう植林計画がしてある。放っておけば針葉樹が育ちにくくなって、広葉樹になって、ブナの森になるって、日本の元々の自然のモデルを真似たんです。もともと、森でもなんでもないところに、100年かかって東京を代表する森に計画して育て上げた。その経緯を踏まえないといけない。だから本当は、明治神宮はこの件に関して声を上げなきゃいけないと思います。

――ニューヨークのセントラルパークも人工の森ですが、街の顔になっていますよね。

そうです。ニューヨークはね、今、景色を残そうって必死でしょ。公園周りの古い、有名なビルを昔の方法で補修し始めてます。それはやっぱり、トータルな価値っていうのを意識してるから。今回の外苑だって、景観の価値を意識してる人は外野にいっぱいいるのに、実際に携わる人たちにそういう人がいない。

ニューヨークのセントラルパーク

――一連のプロセスの中で誰か個人が悪い、というよりかは、長い目を持った計画がなかったことが致命的だった、と。

全体ではそうです。ただこれを安藤さんに集約することでシンボル化されて、問題解決の道が開けるんじゃないかと思います。ご本人が「間違いだった、見直そう」といった瞬間に、プロジェクトの中で「おかしいな」と思っていた人たちも動き出せますから。

■一般の人だって声を上げていい。

――国立競技場は現状、取り壊しが始まっています。今のJSC案に反対していく、具体的なプランは?

まず僕個人としては、外苑の「ラグビーの聖地」と言われてる場所を残して再生した方が、政策としても数倍の効果がありますよ、と東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗さんに陳情しています。

もっと大きな枠組で言うと、建設ということで国交省、スポーツと健康という意味で厚生省を引っ張りこんで、三つ巴にするのが理想ですね。そうすると、話し合いが生まれるし、関わる有識者も入れ替えられる。今、状況が混乱しているから、きちんと意見を言う人しか集まらないと思うんですよね。名誉職だからとか、一枚噛んでおけば儲かるんじゃないかとか、そういう人は入ってこない。そうして話し合った結果として、やっぱり建て替えになるかもしれないし、改修かもしれない。それはわからないけど、まずは現状、問題があることをきちんと認めて、それを解決する体制にする、それが最優先だと思います。

――私たち、業界外の一般人は、この問題にどう関わるべきですか。

今まで、建築とか公共施設に対して異議申立てとかは、できない、しちゃいけないんじゃないかってみんな思ってたと思うんです。変だなとか、なんでこんなの建つんだろう、と思っても、偉い人達がやってることだから、何か理由があるんだろう、これは芸術なんだろうと。

でも、少し建築のこととか、街のことを理解すると、「おかしいんじゃないの?」と、わかってくると思うんです。今回はそういう意味で、理解するのに絶好のタイミングですよ。だから、「ザハ・ハディドはカッコいい。みんな知っている。だけどあそこにはおかしいんじゃないか」っていう意見は、誰だって言っていいはずなんです。そしてこれは日本の戦後70年、また次の時代への「リフォーム」の問題なんだ、ということに気づいてもらう、考えてもらう。すごく重要な岐路に立っているんですよ、私たちは。

東に東宮御所、西に明治神宮、北に新宿御苑と環境に恵まれた国立競技場周辺

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