「モリウミアス」がつくる未来 被災地の一次産業を蘇らせて「地方創生」のモデルに

子供たちを呼び込み、都会で経験できない一次産業の「先生」を地元の人が務めれば、雇用も生まれる。地元の食材を提供すれば、農漁業が潤う。震災で過疎と高齢化が加速する雄勝町にとって、地域再生の核になるかもしれない。

東日本大震災から、2015年3月11日で4年。震災で打撃を受けた宮城県石巻市の旧雄勝町(おがつちょう)。今は廃校となった小学校の校舎を再生し、農漁業や自然の中での暮らしを体験する宿泊型施設「MORIUMIUS」(モリウミアス)に生まれ変わらせる工事が進んでいる。

子供たちを呼び込み、都会で経験できない一次産業の「先生」を地元の人が務めれば、雇用も生まれる。地元の食材を提供すれば、農漁業が潤う。震災で過疎と高齢化が加速する雄勝町にとって、地域再生の核になるかもしれない。

「循環型の産業をつくって地域を元気にし、『地方創生』のモデルにしたい」。そう意気込むキーマンの2人は、いずれも地元出身ではない。東京から新幹線で1時間、バスで1時間半、さらに自家用車で1時間。海の中から急斜面の山々がそびえ立つようなリアス式海岸の港町・雄勝を、11月の終わりに訪ねた。

■「後世に残る仕組みを一つつくる」

ホタテを引き揚げ仕分けする立花貴さん(左)。

午前3時半、暗闇の中を、漁船に男性3人が乗り込んだ。養殖ホタテの収穫がピークを迎えていた。雄勝湾の中ほどにロープでつるされている、手のひらほどの大きさに育ったホタテを次々と引き揚げていく。

「モリウミアス」を運営する公益社団法人「sweet treat 311」の代表理事を務める立花貴さん(45)は、被災した漁師たちと「顔が見える漁業」をめざす株式会社「雄勝そだての住人」の役員でもあり、自ら漁にも出ている。ホタテ、銀ザケ、牡蠣、ブリ、カンパチ、ホヤ...雄勝の魚を、会員に直接販売し、定期的に会員向けのイベントも開く。

「後世に残る仕組みを一つつくる。大学を出る頃から、それを目標にやってきました」

立花さんの母は仙台市で、3人の子を独りで育てていた。幼少の頃、母が営んでいた仕出し総菜店で、妹と豆のさやむきを手伝う店の裏に、肉や魚、野菜など、様々な食材が入ってきた。この原体験が、「食」にこだわって事業を興すきっかけとなる。

地元の公立高校から東北大学へ進学し、伊藤忠商事へ入社した。ファミリーマートへの出向などを経て6年後に退職、独立して飲食店向け食品卸のベンチャー企業を2001年に立ち上げる。年商20億円の会社に育てたが2010年1月、増資を引き受けていた外資系ファンドの意向で突然、社長解任を通告された。億単位の借金だけが残った。

「今も返しているのは金利だけです。よく前向きでいられるな、って言われますけど」

何とか新たな飲食業などに乗り出して半年がたった2011年3月11日、故郷を大震災が襲った。家族の安否確認に現地に入った。幸い母と妹の無事は確認できたものの、身を寄せていた避難所には食糧も水も着る物もなかった。見るに見かね、仕事の人脈から食品メーカーなどに声をかけ、水や食糧を確保し、のべ10万食の炊き出しをした。

リアス式の海岸が続く雄勝湾

一段落した4月中旬、石巻市立雄勝中学校の校長から「1人を除いてみんな避難所暮らし。食糧がなくて、育ち盛りの子供たちに昼食を食べさせられない。行政も企業も『1校だけ特別扱いできない』と相手にしてくれない」と相談を受けた。立花さんの妹が半壊した実家でつくる総菜を毎日100食、片道2時間半かけて運んだ。雄勝との縁の始まりだった。

「商社で20年近く、ボロ雑巾のように働いてきたけど、震災で友人や親戚の葬儀に何度も立ち会い『人間、灰になったら終わりなんだ』と悟った。一方で家族を全員失っても寝ずに働く医師の姿を見た。何だろう、この人間の底力は」

もうあれこれ考えている場合じゃない。2011年7月、立花さんは妻子を東京に残し、一人で住民票を雄勝に移した。津波で船を失った漁師たちの再起のため、会社を立ち上げ、ともに船に乗るようになった。

■「都会の子供たちに一次産業の教育を」

油井元太郎さん

一方「教育」にこだわっていたのが、「sweet treat 311」理事の油井元太郎さん(39)だ。「海と川と森が、これほど密につながっている地域はなかなかない。都会の子供たちに格好の一次産業の教育が提供できる」と期待を寄せる。

大学教授をしていた父の仕事の関係で、小学校時代をアメリカで過ごした。中学、高校は日本に戻ったが、大学は「帰るつもりで」アメリカで卒業し、そのままアメリカで就職した。ニューヨークでテレビの制作会社に勤めていた2001年9月11日、同時多発テロに遭遇する。無我夢中で現場中継などに駆け回って1年が過ぎた頃、ニューヨークの人々がゆっくりと「壊れて」いくのに気づいた。「周りの人が突然、長期休暇を取って職場を去っていった。大きなショックを受けていたことを知りました」。

翌年、日本に戻り「教育事業のベンチャーに参加しないか」との誘いを受ける。油井さんが参画したベンチャー企業は、工場や裁判所、出版社などの「お仕事」を子供が疑似体験できるテーマパーク「キッザニア」を、2006年に東京、2009年に甲子園(兵庫県西宮市)にオープンさせ、スポンサー企業開拓などに奔走した。

震災で、2001年のニューヨークが脳裏に浮かんだ。山登りを通じて知り合いだった立花さんに、安否を気遣うメールを送ると、切々と現地の苦境を訴えてきた。立花さんの炊き出しに合流し、キッザニアの仕事の合間を縫って土日に被災地と東京を往復するようになった。

雄勝の中心部だった港周辺は津波で流され、今は更地が広がる。震災前に約4300人が住んでいた雄勝地区は、建物の約8割が流された。人口流出と高齢化も進み、現在は人口約1300人のうち、65%以上が高齢者という。

雄勝中学への「給食」が一段落した2011年夏、「荒廃した被災地の中学生に『本当の教育を』」と求められ、教育ベンチャーを通じて親交のあった東京都杉並区立和田中学校の「よのなか科」で知られる元校長、藤原和博氏を雄勝に招く。校長と意気投合した藤原氏は、作家の林真理子氏や脳科学者の茂木健一郎氏らを次々に雄勝に招き、生徒たちに大きな刺激を与えることになる。被災で遅れた勉強を取り戻そうと、被災した塾の講師らを雇用して夏休みや放課後の課外授業も手がけた。

2012年春、油井氏はキッザニアを辞め、雄勝に移り住んだ。伏線となったのは、キッザニア時代に手がけていたプログラム「Out of KidZania」だった。テーマパーク内での「疑似体験」を補うべく、子供たちが農漁業や冷凍食品工場などを実際に訪れて見学するツアーも実施していた。「農漁業の生産現場を見た子供たちの感想文はものすごく具体的で、強い印象を残しているのが分かったんですよ。子供たちを教える大人の目も輝いていた。僕はアメリカ育ちなので、一つの仕事にこだわりはない。新たなやりがいのある仕事もしたかった」

■「地域が蘇えるシンボルになる」

メンバーは雄勝町内の古民家を拠点にした。やがて大手企業や公務員も、研修にやってきた。そのうち2012年夏から人事院の新人研修でやってきたメンバーが、「被災地で求められているもの」というテーマで地元でヒアリングを重ねるうち、拠点となりうる施設として旧桑浜小学校の校舎を見つけてくる。

改修前の旧桑浜小学校。(c)sweet treat 311

2001年に廃校してから、見かねた卒業生が買い取って当てもなく放置していた。裏山の泥が校舎に流れ込んでいた。「興奮しました。廃校までは地域の拠点だった場所。ここを蘇らせることで、地域が蘇えるシンボルになる」(油井さん)。蘇らせるため、建て替えではなく、あえて費用のかかる、現校舎のままの再生を選んだ。入れ替わり立ち替わり各地から来る企業や公務員、民間のボランティアが、古民家を拠点に、校舎の泥の搔き出しや風呂造りなどに汗を流した。建設費は財団などのほか、クラウドファンディングでも募った。

2014年10月には卒業生やその家族を招いて地域向けの運動会も開いた。時間があればメンバーが浜に出て、ホタテの耳釣り(養殖用ホタテのロープ通し)などを手伝う。「構想を聞いたとき、最初はびっくりした。まったく別のものにせず、校舎の雰囲気を残して再生することは、大いに結構。どこまで地域に溶け込めるかは分からないけど、滞在型施設で雇用を産むというのが最大の魅力だね」。雄勝の港の仮設商店で海産物店を営む男性が話す。

取材に訪れた11月末は、上海のインターナショナルスクールの生徒らが視察を兼ねて手伝いに訪れていた。「夏にはもっとたくさんの仲間を連れてきたい」

「モリウミアス」はまだ完成していないが、今も各地から個人、企業を問わずボランティアが訪れ、泥にまみれての作業を手伝っている。校舎の改築や樹木の伐採を、地元の古老でもある町会長らが手伝う。復興大臣も2回、視察に訪れている。「循環型の事業がうまくいって、全国あちこちに『モリウミアス』のようなものができれば理想的ですね」と油井さんは言う。

冒頭で「2015年夏の正式オープンをめざし」と書いたが、その時点で施設はすべて完成していないかもしれない。裏山から降りてくる滑り台の補修、裏庭に家族向けの宿泊施設を造りたい...。手をつけるべき場所はたくさんあり、構想も次から次へとふくらんでいく。近隣の荒れ果てた林を間伐し、薪や建物の建材として利用できないか。林の手入れは、海を豊かにすることにもつながる。

宿泊施設の利用者が、農漁業体験以外に施設の改修も手伝いながら、絶えずどこかが新しく生まれ変わっている。それもまた、絶好の教育なのかもしれない。「サグラダ・ファミリア(注:スペイン・バルセロナの教会。1882年の着工以来、設計者ガウディの遺志を受け継ぎ今も建設が続く)みたいに、思想は終わらない。みんなでつくりつづける社会参加型の施設ってのもいいね」。立花さんが笑った。

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