独裁体制下での強力な監視態勢と反対派の無慈悲な弾圧。北朝鮮は長いこと、秘密のベールに包まれている。しかし、一人のジャーナリストが世界の最も統制の厳しい国に、身分を明かさずに取材する貴重な機会を得た。
スキ・キムは韓国生まれのアメリカ人ジャーナリストだ。Huffpost Liveに出演し、平壌のエリート階層の子弟50人を教えることになったいきさつを語った。
キムは北朝鮮を旅行したことはあったが、2011年に男子学生ばかりの平壌科学技術大学に講師の職を見つけ、半年間、北朝鮮に滞在した。この大学の奇妙な取り決めについて彼女は説明した。大学は韓国系アメリカ人のキリスト教福音派が設立したため、校内の教師は布教行為をしてはならず、違反すれば投獄されるというものだった。
キムは、学校が軍に厳しく監視されていたと語った。「私は24時間、365日監視されていた。学校は盗聴されているので、おおっぴらには何もできなかった」と話した。
キムが「可愛い」と表現する教え子たちは、学校がキリスト教と提携していることを知らなかった。しかしキムが外国人であり、外の世界に強い好奇心を示してはならないことは分かっていた。学生たちが北朝鮮以外の生活についてそれとなく聞いてきたとき、キムは答えるのが怖かったという。「だって、学生たちがどんな危険な目に遭うか分からなくて」
「学生たちは、タージ・マハールやエッフェル塔といった、私たちが当たり前に知っているものを聞いたことがなかった。単に知らなかったんです」とキムは言った。「だから、学生たちができることや知れることがどれほど少ないか、考えると驚きで、恐ろしかった」
キムが出国する2日前に金正日総書記が死去し、その報道を聞いた学生たちを目の前にして、鳥肌が立つようだったいう。
「まるで両親が死んだようで、空が落ちてきたようだった」。
キムは北朝鮮から帰国し、新著「あなたがいなければ私たちもない。北朝鮮エリートの子供たちと過ごした時間」を出版した。
Huffpost Liveに出演したスキ・キム氏との主な一問一答は以下の通り。
Q この大学はどういう経緯で設立されて、あなたはいつまでいたんですか?
A この大学はキリスト教福音派のグループが長い時間かかって遂行していたプロジェクトで、ようやく2010年の末に開設されました。私はその翌年の夏と冬に教えていました。
Q 北朝鮮のエリートたちは、キリスト教福音派によってつくられたこの学校をどう考えていたんでしょうか?
A 多分、設立したグループは体制側と布教活動をしないと約束していて、明かされることは絶対にありませんでした。
Q 学生たちは、北朝鮮の支配階級に属する本当のエリートですね?
A はい。2011年末の6カ月というのは、金正日総書記の晩年最後の6カ月でもありましたが、北朝鮮の大学は、この大学を除いてすべて閉校になりました。この当時、私の大学には19~20歳の270人の男子学生がいました。
Q 学生の態度はどうでしたか。
A とても可愛いです。学生はキャンパスの外に出ることを許されていないので、とても親しくなりました。宿舎は軍に警備されていました。
Q 学生たちはあなたのことを北朝鮮人だと思っていたんですか?
A 学生たちはみんな、ここは外国人が英語で授業をする学校だと知っていたので、私たちはどこか北朝鮮以外から来たと知っていました。私が韓国系アメリカ人であることも。ただ、布教のことは明かしてはならないことになっていましたが、私は宣教師ではありませんでした。
Q 学生たちはあなたを同じ民族だと思っていましたか? それとも物珍しげに見ていましたか?
A 珍しいと思われていたんじゃないでしょうか。私は韓国出身でもあるわけですが、学生たちは私をアメリカ人だと思っている。だけど学生たちはあまり多くのことを聞いてきませんでした。外国について深く知ることは許されていないから、聞かれませんでした。
Q 聞かれないことは不思議でしたか?
A とても不思議でした。しかし統制の厳しい体制なので、すべてのことにあまり好奇心を示してはいけなかったのでしょう。
Q あなたの家族は南北の離散家族だそうですが。
A はい。私は韓国の出身ですが、親類の何人かは朝鮮戦争(1950~53)の間に北朝鮮に連行されました。離散家族の問題は多くの南北朝鮮の人々に関係する話です。
Q 北朝鮮という国の、歴史に対する概念も、世界に対する理解も韓国人であるあなたとはまったく違う人々と接してみて、どんな印象を持ちましたか?
A 少なくとも私が担当した学生たちは、本当に何も知りませんでした。私は約50人のすべて男子学生を直接教えていましたが、本当に何も知りません。ある学生は、世界中どこでも朝鮮語を話していると思っていたし、別の学生は、朝鮮料理は世界中の誰もが食べていて最高の料理だと思っていたとか。だけど、たとえ知っていても、それを他人に教えることは許されていません。みんなお互いを監視していて報告し合っていますから。私も年中、24時間にわたって監視されていましたし。
Q あなたに興味を持っているとか、世界のことに興味があるとか、アメリカが何をしているとか、聞く機会はなかったのですか?
A ええ。何も許されていない体制下ですし、科学技術大学のコンピューター専攻の学生でさえ、インターネットを知らない所ではありましたが、とてもとてもそれとなく、学生たちは外の世界について聞いてきました。「あなたの国にテレビは何チャンネルあるの?」とか。北朝鮮では公式には3チャンネルあるけど、実質的には指導者をたたえる1チャンネルしかないのです。アメリカにはHuffpost Liveというものがあるんだよ、と言ったって分からないでしょうしね。それに学生たちを危険な目に遭わせたくなかったので。その知識を教えることで、特定の学生に危険を及ぼすことは分かっていましたから。
Q 指導者を選ぶ選挙という概念については話しましたか?
A 1日3食、学生たちと一緒に食事をして、バスケットボールも一緒にしましたし、議会について聞かれたこともありました。本当に基本的な会話でした。議会という言葉の意味は…とか、民主主義とか。説明しようとしましたけど、恐ろしくもありました。食事の時に学生と会話したことも、報告されていましたし、学生たちをトラブルに巻き込みたくなかったので。
Q 旧ソ連は、クレムリンのエリートたちはとても好待遇で、かなりの自由を謳歌していましたけど、今聞いた話はそういったものとは違うようですね。
A 私が初めて北朝鮮に行ったのは2002年で、それ以来何度も行きました。中国や韓国や東南アジアで脱北者も取材しましたけど、主に社会の底辺層が多くて、エリート層を取材したことはなかった。何もできない、何も話せないという統制の強さに驚きました。20歳を過ぎた学生たちは1年間、建設現場に動員されなくてはならないのに、この学生たちだけ、英語でバスケットボールをしていられる。特権階層なのは明らかです。しかし一方で、とても厳しく統制されていました。
Q 北朝鮮の将来を担う若者たちなんでしょうね。
A 北朝鮮はとても独特なところで、何カ月も一緒に過ごした学生たちはとても無邪気で真面目なんですけど、物を知らないんです。噓もつきますし、本当でないこともたくさん言いました。教育は指導者のことに偏っているし、基本的な知識で言えば、タージ・マハールもエッフェル塔も知らない。私たちが当たり前に知っていることを知らない。だから、学生たちができることや知れることがどれほど少ないか、考えると驚きでもあり、恐ろしかった。
Q 金正日総書記の晩年にいたんですよね。雰囲気はどうでしたか?
A 私の滞在の終盤で金正日総書記が死去しましたが、本当に、すべてのことが止まりました。学生たちも私と目を合わせなかった。子供たちのように思っていた学生でしたが、顔に浮かんでいたのは深い悲しみでした。それはまるで両親が死んだようで、空が落ちてきたようだった。
Q 彼らは最高指導者をどう思っているんですか。西側諸国だと悪の帝国の指導者か、物笑いの種のように言われていますが。
A 本当にどう思っているかはともかくとして、学生たちは19歳とか20歳ですから、私や他の先生には、本当の父親か、宗教の教祖のように思っているように見えました。もし誰かが疑問を呈していたのかもしれませんが、まるで世界を創造した絶対の神のように考えていました。偉大なる指導者の体制だということは、北朝鮮を理解する上で重要なことだと思います。この国の現実は、少なくとも20カ所の政治犯収容所に20万人の政治犯がいて、何百万人もが飢えていて、人権が脅かされているのですけど。
Q 子供たちは知っているんでしょうかね。
A 彼らは本当に一面的な教育しか受けていないのです。「すべてを偉大なる指導者に捧げる」というような。毎日毎日、偉大なる指導者のことについて習い、テレビも毎日、偉大なる指導者のことばかり。食堂で学生たちが歌う歌は、私の本のタイトルにも取りましたが「あなたがいなければ私たちもいない」という歌でした。
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