2014年2月、最初にウクライナでの危機が高まった時、ドイツのロシア専門家たちは驚愕した。キエフで発生したウクライナ騒乱に続いてクリミアで危機が発生するとは、誰も予測しなかったからだ。多くのジャーナリストや科学者が、プーチン大統領に対する判断を誤ったのが大きな原因だ。
それ以来、プーチン大統領について色々なことが語られてきたが、彼は引き続き世界中の人々に驚きを与え続けている。次に挙げる「プーチンに関する15の真実」を知っておくことは、このロシアのリーダーをより理解するのに役立つだろう。
1. プーチンの母親はレニングラード包囲戦を生き延びた
1941年から1944年まで、ドイツ軍とフィンランド軍は、ソ連のレニングラードへのすべての物資供給を組織的に遮断し、この大都市の住人を餓死させようとした。この出来事は、ドイツ軍がソ連領土で犯した戦争犯罪の中で最も過酷なものだった。プーチンの母親、マリア・イワーノヴナはこの凄惨な包囲をくぐり抜けて生き延びた。この包囲戦で100万人が死亡した。その中にはウラジーミルの兄もいたが、ウラジーミルはまだ生まれていなかった。
2. プーチンは感情をあまり表に出さない環境で育った
ドイツ公共放送連盟 (ARD) 制作のドキュメンタリー『Ich, Putin (私はプーチン)』の中で、プーチン大統領はジャーナリストのフーバー・ザイペルに次のように語っている:
私の家族は感情を表に出す家族だったとは言えません。会話もそんなに多くはありませんでした。皆それぞれが、自分の中に閉じこもっている感じでした。とはいえ、私たちはとても仲がいい家族でした。私の両親は死ぬまでずっと一緒に過ごしました。それでも、両親はロシアの英雄の偉業や困難、悲劇といったことを熱く語ることを好まず、わたしもそういったことは知らずに育ちました。
3. プーチンの父親は「真のプロレタリア」だった
プーチンの幼なじみであるセルゲイ・ロダルジンによれば、プーチンの父親は息子を愛していたが、いつもプーチンに叱っていた。「彼は子供に甘過ぎる親と見られることを恐れていました」と、ロダルジンはザイペルに語っている。
4. プーチンが柔道を始めたのは「集団の中で自分の立場を保つ」ためだった
どちらかというと華奢な体つきをしていた10代のプーチンは、他の10代の男子の思春期の成長が自分よりも早いことに気付いた。それが柔道を習い始めた理由だ、とプーチンは語っている。彼は集団の中で自分自身の存在を主張したかったのだ。
5. プーチンが、前妻に自分が諜報機関(KGB)で働いていることを伝えたのは、結婚する直前だった
「諜報機関で働いていることをどうしても話さなければいけない立場にある人間は、諜報機関で働くのにふさわしくない」とプーチンはザイベルに語っている。
6. プーチンは、西側諸国がロシアを恐れていると考えている
プーチンの伝記『Ich, Putin (私はプーチン)』の冒頭に、その前の数カ月に起こった出来事を考えると奇妙に思える対話がある。
――西側諸国のあなたに対するネガティブな態度は何が原因だと思いますか?」
「不安だと思います」
――あなたへの不安ですか?
「ロシアへの不安です。ロシアの規模、ロシアが所有する核兵器、その他様々な分野でのロシアの可能性が彼らを不安にさせるのです。しかし、それは古い考え方です」
7. プーチンはドイツ語を完璧に話す
8. プーチンは、ソ連の終焉は「20世紀最大の地政学的大惨事」だったと考えている。しかし、ソビエト時代を懐かしく思ってはいない
プーチンが、権力の象徴だったソ連に強い親愛の情を抱いているのは事実である。例えば、彼はソ連国歌に新しい歌詞をつけて再びロシアの国家として導入した。
しかし、ソ連時代に実施された社会政策の成果はもはやほとんど残っていない。例えば、壊滅的な医療制度や財政的セーフティーネットなどだ。2011年末の時点で16%のロシア人が月に192ドルという最低保証すら下回った生活をしていた。その一方、ロシア富裕層は比較的良い暮らしをしている。ロシア富裕層は21世紀初頭から所得税を13%しか払っていない。
9. プーチンは自分をアイスホッケー選手として見せたがる
郊外のアイスリンクで数時間の練習をするにも関わらず、プーチンはアイスホッケーがあまり上手くない。しかし、アイスホッケーはロシアの国技であり、ドイツでのサッカーと同様、共感を得るのにうってつけのスポーツだ。
10. さまざまな国内問題を抱えているにも関わらず、プーチンはロシアを「再建した」と評されている
これは、1990年代にロシアが深刻な危機に瀕していた事実に大きく関わる。90年代の危機は、ロシアの経済に打撃を与えただけでなく、官僚制度や、文化生活、社会的結束、そしてロシアの独立国家の概念が大きく揺らいだ。
2000年にプーチンが政権を握ると国家機構の改革に着手し、独裁的なやり方で再建した。その後の数年間で、天然資源の輸出を中心にロシア経済を立ち直らせた。
しかし、クリミア危機の前に経済成長が減速したのも事実だ。ロシアが今必要としているものは投資である。しかし現在ロシアには制裁措置が課されているため、現時点でロシアへの投資は予測できない。
11. プーチンは田舎の屋敷にいても、「P・ディディ(パフ・ダディ)のように取り巻き」を抱えている
有名なプーチンのポートレイト写真を撮った写真家のプラトンはそう主張している。
12. プーチンはビートルズが好きである
これもプラトンが言っていることだが、ビートルズの中でプーチンのお気に入りはポール・マッカートニーだ。一番好きな曲は、「イエスタデイ」だという。
13. プーチンは党員ではないのに政権与党「統一ロシア」の党首を4年務めた
正確に言えば、プーチンは党総裁になることを要請された。これも国内での彼の影響力の大きさを物語っている。
14. プーチンは自分を外交家だとは考えていない
ARDのリポーターからの質問に対して、「全く違う」と答えた。
15. 対立する相手に、公の場で屈辱を与えたことが何度もある
例えば、クレムリンで収録されたテレビの生番組中に、石油王のミハイル・ホドルコフスキーを税務調査で脅したことがある。その後すぐ、ホドルコフスキーは逮捕された。
もう一つ、倒産しかけていた船用プロペラ工場を訪問した時のエピソードがある。工場を操業停止に追い込み、労働争議を巻き起こしていた経営者に、プーチンは次のように語った。「私がここに来ると言ったら、君たちはゴキブリみたいに騒ぎ回っていたが、全く問題を解決できなかった。君たちは、君たち自身の野心、能力のなさ、どん欲さによって、労働者を人質に取っている」
その後、同工場の株主たちは公の場で、工場の操業維持を保証した契約書にサインしなければならなかった。
この記事は最初にハフポストドイツ版に掲載され、US版に翻訳されたものを邦訳しました。
【関連記事】
ハフィントンポスト日本版はFacebook ページでも情報発信しています。
ハフィントンポスト日本版はTwitterでも情報発信しています。@HuffPostJapan をフォロー