誰もが一度は教科書で見たことのある「国宝」が集結する「日本国宝展 」が東京・上野の東京国立博物館(東博)で開催されている。現在、文化財の中でも特に歴史的、美術的に価値の高い1092件が、たぐいまれな国の宝として「国宝」に指定されている。その中から選りすぐった119件の国宝を通じて、信仰というテーマのもと、日本文化の基層である祈りや精神の形成を俯瞰する。11月3日までの期間限定で奈良・正倉院宝物11件も展示されるほか、「漢委奴国王」が刻まれた「金印」が11月18日から11月30日にかけて出品。11月21日からは国宝に指定されている土偶5体すべてが揃う。
■天平美人「鳥毛立女屏風」など「正倉院宝物」を11月3日まで展示
国宝は、文化財を保存し、活用することを目的とした文化財保護法(1950年公布)によって定められる。これまで東博では、保護法10周年、40周年、50周年の節目に3回にわたって国宝展を開催してきた。
「今回、14年ぶりに4回目の国宝展に開くにあたって、ジャンルを横断したテーマとして『祈り、信じる力』を設けることになり、作品が選ばれました」と話すのは、東博広報室の伊藤信二室長だ。「現在、国宝は美術工芸品で872件あります。その75%が奈良時代から鎌倉時代にかけてのもの。当時、日本文化をリードしていた思想の根底に信仰が大きな部分を占めていました。その信仰を背景にして作られたものが重要文化財や国宝に指定されています」
展覧会は、5つのパートに分かれている。まず「第一章 仏を信じる」では、6世紀に正式に伝来した仏教との出会い、信仰が急速に広まっていった飛鳥・奈良時代を経て、平安時代にかけて仏教の造形が成熟を深めていく様子を紹介。奈良・薬師寺の「仏足石」(753年)や奈良・法隆寺の「玉虫厨子」(7世紀)をはじめ、「阿弥陀聖衆来迎図」(12世紀)、「普賢菩薩像」(12世紀)などが展示されている。
金具の下に玉虫の羽が用いられていることで知られる「玉虫厨子」について、伊藤室長はこう説明する。
「玉虫の羽は2500枚以上残っています。玉虫の羽を使うと緑色や赤色など七色に光りますので、螺鈿のような効果を狙ったのではないでしょうか。玉虫厨子は仏教美術としては非常に初期のものですが、ひとつひとつの作りが非常に精巧です。透かし彫りの金具も非常に鋭く、絵画もすばらしい。破綻なく全体が引き締まった感じです」
「国宝 阿弥陀聖衆来迎図」
(平安時代・12世紀、和歌山・有志八幡講蔵)(展示期間:11月11日〜12月7日)
また、今回、正倉院宝物11件も11月3日までの期間限定で公開されている。正倉院宝物は国宝の指定制度の管轄外にあたるため、国宝ではないが、8世紀に光明皇后が東大寺の大仏に祈りとともに捧げたものであり、展覧会のテーマである「祈り」に通じるものとして特別に紹介されている。中でも、ふくよかな天平美人を描いた「鳥毛立女屏風」(とりげりつじょのびょうぶ)6扇のうち2扇が出展されている。現在、奈良国立博物館で開催されている「第66回正倉院展」でも、他の4扇が展示、すべてが揃う機会になるという。
■「漢委奴国王」の「金印」は、11月18日から30日まで展示
続く「第二章 神を信じる」では、仏教伝来以前から自然や動植物に対して畏怖を感じ、敬うために行われてきた祭祀や、時代を経て体系化されていく神道など、神々の世界を特集する。
国宝に指定されている縄文時代の土偶は5体あるが、まずは「合掌土偶」(風張1遺跡)と「縄文のビーナス」(棚畑遺跡)を展示。11月21日からは、「仮面の女神」(中ッ原遺跡)、「中空土偶」(著保内野遺跡)、「縄文の女神」(西ノ前遺跡)が展示され、5体すべてが見られることになる。このほか、藤ノ木古墳や福岡県・沖ノ島の祭祀遺跡の出土品など、一級の考古資料が展示されている。
「第三章 文学、記録にみる信仰」では、神仏への信心がうつし出された物語や日記、和歌集に焦点をあてている。「日本書紀」をはじめ、「寝覚物語絵巻」(11月9日まで)などの国宝を紹介。11月18日から11月30日までは、日本の古代史上最も有名な5文字「漢委奴国王」と刻まれた「金印」(志賀島出土)が展示される。
「国宝 金印」(弥生時代・1世紀、福岡市東区志賀島出土、福岡市博物館蔵)
(展示期間:11月18日〜11月30日)
■飛鳥時代から鎌倉時代まで、国宝の仏像でみる「祈りの形」
そして、「第四章 多様化する信仰と美」には、鎌倉時代以降、複雑な展開をとげた日本の仏教を中心に、その多様な信仰の姿を紹介する。豊臣秀吉が愛児、鶴松の菩提を弔うために建立した祥雲寺の障壁画として描かれた、長谷川等伯による京都・智積院の「松に秋草図」は11月9日までの期間限定展示となっている。
続く「第五章 仏のすがた」では、国宝の仏像9体を展示する。制作年代は、奈良・法隆寺の「広目天立像」の飛鳥時代から、奈良・安倍文殊院の「善財童子立像」「仏陀波利立像」の鎌倉時代まで。仏像からは、それぞれの時代の様式とともに、当代一の技術が用いられていることが伝わる。伊藤室長はこう解説する。
「法隆寺の『広目天立像』は、冒頭の玉虫厨子に通じるような大変な厳しさが瞬間凝結されています。7世紀にこれだけの技術があるということが、本当に信じられないような完成度です。そこからは段々と、表現が自然になってきまして、平安時代初期の『薬師如来坐像』へとつながり、そこから平安時代後期になると、京都・三千院『観音菩薩坐像』『勢至菩薩坐像』にあるように、非常に静かでたおやかな表現へと変わっていきます。2013年に国宝指定された『善財童子立像』『仏陀波利立像』の鎌倉時代からは、静謐(せいひつ)な感じから動的でリアリティのある表現が出てきます。新しい時代の展開です」
「国宝 観音菩薩坐像(右)・勢至菩薩坐像(左)」(阿弥陀如来および両脇侍のうち)
(平安時代・久安4(1148)年)(京都・三千院蔵 画像提供:文化庁)
また今回、唯一の建造指定による国宝、奈良・元興寺の「元興寺極楽坊五重小塔」が展示されている。高さ5メートルを超えるもので、奈良時代に制作された。元興寺は日本で最初に造営された法興寺(飛鳥寺)を718年に、現在の地に移したもので、南都仏教における主要寺院のひとつだったという。
「この五重小塔がどういう目的で造られたかについては、諸説があります。元興寺には奈良時代の実物の塔がありましたが、江戸時代に焼けてしまいました。その塔のモデルとして造られた、あるいは仏舎利を納めるために造られたなどといった説がありますが、現在は当時、各地に建てられていた塔のひな形、建築モデルとして造られたのではないかという説が有力になっています」と伊藤室長は説明する。
「日本国宝展」は12月7日まで。東京・上野で、粋を極めた美術品や工芸品に昇華された人々の祈りに触れてみてはいかがだろう?
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