現代日本を代表するアーティスト20人の作品の展示とアーティスト自身の歴史をひもとくインタビュー番組を連動させたアートプロジェクト「DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-」が11月3日まで、アート・センター「3331 Arts Chiyoda」(東京都千代田区)で行われている。
手がけるのは、インターネット放送局「DOMMUNE」。「THE 100 JAPANESE CONTEMPORARY ARTISTS」と銘打って、会期中に20人のアーティストのインタビュー番組を放送、今後も100名まで続けられる予定だ。同時に、展覧会会場でもアーティストの作品を展示。作品とともにインタビュー番組のアーカイブ映像を流し、作品を鑑賞しながら、アーティストの語る言葉に耳を傾けるという試みだ。
これまでに、蜷川実花さんやヤノベケンジさんらが登場。10月7日には会田誠さんと社会学者で東京藝術大学准教授の毛利嘉孝さんの対談が開催、ネット中継された。会田さんは、絵画や映像、立体、パフォーマンス、漫画など多彩な表現で知られるアーティスト。2012年から2013年にかけて、大規模な個展「天才でごめんなさい」が東京・森美術館で開催された。常に話題を呼ぶ作品はどのように創られてきたのか。アーティストの半生が語られた。
■左翼少年が三島由紀夫や小林秀雄が好きな高校生へと「プチ転向」
デビュー当時から会田さんの作品に注目していたという毛利さん。太平洋戦争中に戦意高揚のために描かれた戦争画をモチーフにした「戦争画RETURNS」シリーズや、太平洋戦争を舞台にした漫画「ミュータント花子」などの作品について、その舞台裏を訊ねた。
「『ミュータント花子』を描いたきっかけはいくつかあって。『戦争画RETURNS』をやっていたので、太平洋戦争のことを日々、考えていた。そのアイデアに使えないカスが残っていて、それを集めるとくだらないストーリーが作れそうだなと。『巨大フジ隊員vsキングギドラ』という作品で、漫画っぽい絵を描くというレッテルも貼られた。けれども、漫画みたいなものを美術で利用だけするのは卑怯だなと。次は下手でもいいから、ストーリーものを描かなければと思っていました。大体の作品は、4つか5つの動機が重なります」
毛利さんは、「『戦争画RETURNS』はイラスト的な上手さとともに、政治的なものがあり、そのあり方がひねくれている感じがした。あれを当初素直に反戦画と呼んでいた人たちがいましたが、そういった人たちが(『ミュータント花子』で)裏切られたのかなと。政治的なものへの回収に対する揺り戻しかと思いました」と、会田さんの作品に表れる政治的な文脈について言及した。
これに対し会田さんは、自身の政治的な作品がどのように生まれてきたか、その背景を語った。
「僕の父親は、新潟大学の社会学の教授なんです。でも、今にいたるまで、父親の仕事や学問について興味をもたないドラ息子だったので、いまだに社会学とは何なのかよくわからない。父親は80歳ぐらいなのですが、父がやっていた社会学とネットで聞く社会学とはだいぶ異質のような気がします。それはさておき、うちの父親はソフトな左翼なんです。ラディカルではないタイプの。
僕は生い立ちの中で、何度か人知れずプチ転向を繰り返していました。まあ、簡単にいうと、小学校から中学あたりまでは、自分でいうところの左翼少年でして、手塚治虫の漫画から始まり、小田実とか好きだった。そのころは、大人になったらてっきり平和活動家とかになるようなセルフイメージがあったのですが、よくあることですけれども、高校あたりで、『いや待て、これは父親と同じではないか』といろいろあって、三島由紀夫を好きになったり、小林秀雄を好きになったり、プチ転向しちゃって。なんだかんだで大学行ってデビューしたころには、よくわからないやつになってしまっていました。
けれども、頭の中では、物事を右左、右翼・左翼、保守・革新と考えていて、美大の仲間にしゃべると、まわりから『お前は古臭い』と総攻撃を受けていました。80年代はいい面も悪い面もあった時代でしたが、若いクリエーターの卵が右翼、左翼の二分法で考えるなんてダサく感じられていた時代で、『古臭いだろうさ。でも、しょうがない。自分はそういうやつだから』と思っていました。最近は、ネットの世界だけかもしれませんが、右左の対立分離が目に見えて大きくなって、僕はそれを喜ぶべきか、悲しむべきか、微妙な気分なんですよね」
■政治的にすっきりとした考えの方が「ごまかし」がある?
政治的なことを語ることがダサかった会田さんの学生時代。毛利さんは「当時、戦争のことを扱っている人がそんなにいたわけではないですよね。でも、世界的にはポリティカルアートのピークがあったころじゃないですか。90年代になると、政治的な美術が世界的なトレンドになりますが、あまり日本には入ってこなかったですよね」と話した。会田さんは、「でも、情報は入っているので、我々もやらなきゃと思っている先輩がちらほらいる感じでした」と当時を振り返った。
「僕も世界はこれが普通で、それに比べて日本はいろいろ違う。抽象画だけど、特に政治的な意味はなく、自分の先輩アーティストたちはふがいない状態だなと若造ながら思いました。けれど、僕も政治が好きな若造だったかもしれないけれど、それとはまた別に、欧米人のように、政治的アピールを作品にこめるのが苦手というか、生理的に合わないというか。小林秀雄が好きだったこともありますし、アートで政治を扱うのはいやでした。でも、もやもやすると作りたくなるんです。だから、『戦争画RETURNS』はシリーズで12作ぐらいありますが、全体を通した印象は、もやーっとしていると思う。それによって訴えたい僕の政治的方向性はほとんどわからなくて。そんな作品だと思います」
会田さんの『ミュータント花子』や『戦争画RETURNS』について毛利さんは、「僕は、これらの作品を見てすごい気になる作家になりました。アーティストが、戦争という難しいテーマを扱うための仕草を示した点で画期的な感じがした」と指摘。会田さんも、「『家畜人ヤプー』とか好きなんですが、あれは天皇制をとことん馬鹿にしています。でも、三島由紀夫が絶賛していたり、すぱっと政治的立場では説明できない作品。欧米人からみたら、どっちなんだと言われるかもしれないけど、すっきりした考え方の方が、どこかにごまかしがあるんじゃないかという疑いがあります」と話した。
「3331 Arts Chiyoda」で開催中の展覧会で展示されている会田誠さんの作品
■「美術館で作品が出せないのは慣れっこ」
会田さんの作品には、政治的な表現以外にも、性的な表現がしばしば用いられ、公的な美術館での展示が難しい場合がある。2012年から翌年にかけて森美術館で開催された個展では、性的表現を含む刺激の強い作品が含まれていることを美術館が表明。特に刺激が強いと思われた「犬」というシリーズ作品は、18歳未満は入場できない年齢制限を設けたギャラリーに展示された。
毛利さんはこうした作品について、「殺人やレイプはいけないに決まっているけど、映画や小説で描かれるのは当たり前で、表現規制はするべきではない。見たくない人がいたらゾーニングして表現の自由を優先すべきだと思っています。でも、一方でこうした作品は自分の中にも存在する隠された黒い欲望を露にする。その複雑な間に追い込まれた感じがしました」と語った。
会田さんは、「美術館で作品が出せないというのは慣れっこ。そこで表現の自由だと叫ぶ作家もいていいことだと思いますし、片手間の軽い作品というわけではないけれど、展示しなくても展覧会は成立すると思っているので、大抵はゴネません」と話し、「ゴネるのはむしろ、政治や歴史を題材にした時。ある地方の美術館で、ゲートボールを描いた『戦争画RETURNS』がダメだと言われました。『うちは田舎で、おじいちゃんおばあちゃんのゲートボールが盛んで、そういう方たちが悲しむ』と。納得いかないと言ったけどダメでした」と明かした。
■保守化する公立美術館、表現の是非は誰が判断するのか?
「大英博物館で春画の展覧会が開かれた時、日本ではなんでできないんだという議論がありました。それもそうだなと思うけど、日本でできないのも、さもありなんと思うのです。江戸時代でも箪笥の引き出しの奥に隠してほそぼそと楽しんでいたもので、一切見せる場所がないのはおいおいと思うけれども、民間のギャラリーでは、政治的であれ、性的なものであれ、よほどのことがなければ自己検閲はない。僕個人の作家生活の中で表現の自由が著しく阻害されてると感じないので、あまり怒りがありません。森美術館でも、学芸員に18禁のコーナーを設けたいと言われて、さすがプライベートミュージアムだわいと思ったぐらいで」
毛利さんは「今、公立の美術館はどんどん保守化しています。税金で賄われているから市民の声が怖い。政治的なものも性的なもの、反戦や従軍慰安婦、原発など本当に厳しくなっています。逆に民間の方が担当者が腹をくくってしまえば、なんとか乗りきれる」と指摘した。また、表現の是非については「オーディエンスが判断すればいいし、批評家や美術館が事前の検閲的なことをするべきではない。この作品(犬シリーズ)を見て良かったのは、そもそも美術ってなんだろうとか、自分が持っているモラルについて考え直すきっかけになったことです。もっとこういう論争が広がった方が面白い」と述べた。
これに対し、会田さんは自身の作品について次のように語った。
「僕は明らかに論争みたいなものが起こったらいいなと思って作品を創ることが多い。だけど、同時に自分は論争が得意で、やったら高確率で勝てる人間かと思っているかというと逆で、論争したら秒殺されるというのがわかっている。わかっているからやっている。論争だったら人に負けねえと思って作品を創るのは、人をボコボコにするために作っていることになるので。僕は自分を誰よりも弱いと思っているからこそ、論争する権利があると思って、論争的な作品を創っています」
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「DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-」の作品展は11月3日まで「3331 Arts Chiyoda」で開催。連動するインタビュー番組「THE 100 JAPANESE CONTEMPORARY ARTISTS」には今後、横尾忠則さんや森山大道さん、杉本博司さんが出演する予定だ。
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