「子供を育てるのは、子供と向き合うこと」 映画「うまれる ずっと、いっしょ。」の豪田トモ監督に聞く

3組の家族の生と死を追ったドキュメンタリー映画『うまれる ずっと、いっしょ。』が、11月下旬から公開される。監督の豪田トモさんにインタビューした。

うまれる命、旅立つ命、残される命…。3組の家族の生と死を追ったドキュメンタリー映画『うまれる ずっと、いっしょ。』が、11月下旬から全国各地で公開される。命が誕生した後の「家族のつながり」に焦点を当てたという監督の豪田トモさん(41)は、ハフポスト日本版のインタビューに「子供を育てるというのは、子供と向き合うということ」と話す。

豪田トモさん=東京都目黒区

豪田さんは、2010年公開の出産をめぐる家族の様々な葛藤を描いたドキュメンタリー映画『うまれる』を手がけた。今作品は、40万人以上を動員しているその『うまれる』の第二章として位置づけられる。

作品は、「血のつながりのない父と息子」「最愛の妻をうしなった夫」「重篤な障がいを持つ子を育てる夫婦」の3家族を追った。それぞれの事情に向き合う人々の姿を通して、自分たちが生まれてきた意味や家族の絆、命の大切さ、幸せのあり方を考え、感じさせる内容。家族作りに悩む豪田さんがカメラを通して自身の家族像を追い求めた心の記録でもあり、暗くなりがちなストーリーを、笑いとたっぷりの涙で描いた。ナレーションは俳優の樹木希林さんが務めた。

――始めに、この映画はどういう経緯でつくられたのですか。

4年前に、誕生をテーマにした前作『うまれる』を公開しました。それは、自分の親との関係を何とかしたいという思いからでした。

僕、四つ年下の弟がいるんですけど、とても身体が弱くて、小さいときから入退院や手術を繰り返していました。こういう子供がいると、丈夫な方の子供は割と放っておかれるんですね。僕は放っておかれた。親としてはそんな気持ちはないんでしょうけれど、「お父さんとお母さん、僕を見てくれているのかな。ちゃんと愛してくれているのかな」と思っていました。その思いから、次第に親に反発するようになり、思春期はかなり大変な子供でした。

多くの人は、思春期を過ぎて社会人になったら落ち着くと思うんですが、僕の場合はそうではなかった。性格が頑固なのか、35歳を過ぎても、うまく親と意思疎通ができませんした。加えて父と母の仲も良くなかったので、「家族っていいものだ」とはまったく思えませんでした。

だから、家族をつくりたいと思ってなかったし、子供が欲しいとも思っていなかったし、『うまれる』という映画に含まれる妊娠・出産・育児といったテーマは、僕の人生には関係のないものだと思っていました。そんなとき、友人から講演会をボランティアで撮影してくれないかと頼まれたんです。

なんとなく行ってみたら、産婦人科医の池川明先生が「胎内記憶」の話をしていたんです。「子供が親を選ぶ」という考え方です。それまでの僕は「僕はこんな親を選んでいない」「自分は好きで生まれてきたんじゃない」と真逆の考え方でしたが、「選んできたよ」と言ってくれたら親の立場としては嬉しいだろうな、なんて少し感動しました。

その時に「もし万が一、自分で選んだとしたら」と考えてみたら、自分の親子関係やそこから派生すると考えられる人間関係の課題は「親の責任ではなくて、選んで生まれた自分にも責任があるんじゃないか」と感じたんです。それで『うまれる』という原点に戻り、親との関係が良くなるんじゃないかと思って、このテーマで映画を作り始めました。

映画『うまれる ずっと、いっしょ。』より(C)2014 IndigoFilms, Inc.

――ご自身も娘さんが生まれたんですよね。

『うまれる』は2年間かけて作った映画ですが、100人くらいのご家族・夫婦に取材・撮影をさせていただいて、出産も10回ほど撮影させていただきました。それまで頭では分かってはいたけれど、実際に自分の目の前で命の誕生、そして育まれていく姿を見ると、「自分もこうやって生まれてきたのかな」とか「こうやって育ててもらったのか」と、次第に両親の気持ちが分かってきたように感じました。

僕が生まれたとき、親は26歳でした。自分の26歳のときを考えると、とても親なんかやれなかった。29歳で病弱な弟が生まれて心配でたまらない日々を過ごしたと思うと、「放っておかれた」ことも仕方ないかなと思えるようになってきて、少しずつ、親のことを理解し、受け入れられるようになりました。感謝の気持ちもわいてきて、少しずつ親との関係も良くなり、「産んでくれてありがとう」という言葉を言えるようになりました。

親との葛藤が解消すると、不思議とそれまで良いものに思えなかった「家族っていいな」「父親になってみたいな」という気持ちが芽生えてきたんです。そして撮影がほとんど終了したタイミングで(今作品のプロデューサーを務めた妻の牛山)朋子が子供を妊娠し、前作『うまれる』公開の約10日後に娘が産まれました。

でも、いざ父親になってみたら、何をしていいか分からない。女性はつわりや胎動があり、お腹が大きくなって出産して、様々な身体的変化があって10カ月掛けて母親になる準備をする。でも、男はそれがまったくない。つまり、意識だけで父親にならなくてはいけないんです。一方、娘には幸せになってほしいし、自分はよき親でありたいと思う。そのギャップで当初は苦しみました。

――娘さんが生まれたことが、今回の作品に影響しているのですね。

そこで、どう寝かしつけるとか、どう泣きやませるとかいう「子育てのスキル」を磨くだけでは、毎回降り掛かってくる課題に対する対症療法にしかならないし、親として娘が生きる手助けがしきれないと思ったんです。それより、「子育てのマインド」というか哲学を、親としてしっかり持たないといけないと感じました。その際、様々な家族を見ることがそのヒントになると思いました。血のつながらない家族や家庭で暮らせない子供、がん闘病など、5つくらいのテーマで走り始め、色々なご縁と出会いから生まれたのが今回の映画『うまれる ずっと、いっしょ。』です。

作品を作り終えて改めて思うのは、子育てはそもそも「子供が生きる手助け」をすることなんだなということです。「生きる」とは、シンプルに表現してしまえば「生まれてから亡くなるまでの旅路」。そうであるなら、親が「生まれること」「亡くなること」をよく分かっていないと、子供に「生きる」という事を伝えていけない。つまり、死生観を持つこと、それによって自分の人生にそのつど向き合うことが大切だと感じています。

この映画に登場するのは、みな自分たちの課題に向き合っている人たちです。血のつながらない息子と向き合う父親、最愛の妻を亡くした現実に向き合う男性、いつ亡くなるか分からない障がいを持った子供と向き合う夫婦。向き合うことで親として、人間として成長していく彼らの姿を見て、それに向き合ってきた僕自身も成長できたのではないかなと感じています。それによって娘や妻との向き合い方も変わりましたし、その姿は子供にも無意識のうちに日々伝わっている。

子供を育てるというのは、子供と向き合うということ。これからも、学校や塾、思春期の反抗、恋愛をどうするだとか、子供の成長に合わせて色々な課題が出てくるでしょう。その時に向けて、親である僕たち自身に「向き合う力」がつくようにしていきたいと思っています。

――前作『うまれる』の反響が良かったから、今回の作品をつくったということもあるんですか。

実は、前作の完成前から『うまれる』というテーマでシリーズ化していきたいと思っていました。僕らは「命」「家族」「絆」という3つをキーワードにしていますが、これらは、例えば、今回の作品は含んでいないのですが、闘病、児童養護、旅立ち、介護、臓器移植や骨髄移植などと語られるストーリーは無数あり、1作品だけでは表現しきれません。また、定期的・継続的にこうしたテーマで作品をご提供し続けることで、何かしらの社会貢献になったらいいなという気持ちもあります。

映画『うまれる ずっと、いっしょ。』より(C)2014 IndigoFilms, Inc.

――では、映画のどこに特に注目すればいいでしょうか。

親、パートナー、子供との関係を見つめ直してみたい、という人には大きなヒントがたくさんあると思います。僕は「現象のドキュメント」より「関係性のドキュメント」に焦点を当てていまして、例えば、養子縁組という現象そのものより、その課題を持っているご家族の関係性の話に興味があります。どうやって夫婦で、親子で問題に取り組んでいるのかと。そしてそれは、現象そのものに興味がなかったとしても、関係性で語られることによって、「皆に共通するテーマ」に変化し、共感を持ってみていただける作品に変わるのではないかと思っています。

――ご自身が特に印象に残っている場面はどこですか。

「ドキュメンタリー映像の歴史上、初めて撮れたシーン」と言われたのが、血のつながりのない5歳の息子に、その真実を告知する場面です。NHKなどでドキュメントをずっとやっている方々から、映画を観た後に「みんな撮りたいと思っているけれど成功したことがない」と言っていただき、とても光栄な気持ちになりました。

――撮影が入っているのに、登場する人たちは自然な姿を見せているように見えます。かなり仲良くならないとできないことですよね。

とにかく信頼関係を大切にして撮影に臨んでいますが、僕らがどうこうというよりも、カメラを受け入れてくださった彼ら自身の「課題を解決したい」「世の中の同じような立場の方々の役に立ちたい」という気持ちが強かったのではないかと思います。

――撮影者が登場する当事者になってしまっていると言う人がいるかもしれませんね。

確かにその通りです。でも僕は、ドキュメンタリーには「客観的に撮る」か「主観的に撮る」かという2種類あると思っているんですが、現在は、客観的に、一歩下がった第三者としてドキュメンタリーをつくる、というのが大勢です。でも僕はそれが性格的にできない。心のつながりを断った状態でプライベートな空間にいさせていただくというのは、とても失礼なような気がしますし。また、僕は映画の作り方として、僕の私的な課題をカメラを通して解決していくという感じになっていて、前作の『うまれる』は自分の親子関係を改善すること、今回は「父親のなり方」みたいなものを目的としたので、主観的にならざるを得ませんでした。

ただし万が一、僕が凶悪犯罪者のドキュメンタリーを撮るならば、主観的にはなれないので客観的になるかもしれません。世の中のすべての事象には二面性がありますし、主観的でも客観的でも、どっちにも良い面と悪い面があります。あとは性格とか好みの話で、一概に判断できる単純なものではないような気がしています。

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豪田トモ(ごうだ・とも) 1973年、東京都多摩市出身。中央大学法学部卒。6年間のサラリーマン生活の後、29歳でカナダ・バンクーバーへ渡り4年間、映画製作の修行をする。在カナダ時に制作した短編映画は、日本国内、バンクーバー、トロント等数々の映画祭にて入選した。

帰国後はフリーランスの映像クリエイターとして、テレビ向けドキュメンタリーやプロモーション映像などを制作。2007年、「人と地球に優しい映像」をテーマとした映像プロダクション「インディゴ・フィルムズ」を設立。著書に「うまれる かけがえのない、あなたへ」(PHP研究所)、「えらんでうまれてきたよ」(二見書房)がある。

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「うまれる ずっと、いっしょ。」は、11月22日から シネスイッチ銀座ほか全国で順次公開される。

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