北朝鮮へ10回目の墓参団、平壌に到着【同行取材】

第2次世界大戦の末期と終戦直後、現在の北朝鮮で死亡した日本人の遺族による10回目の墓参団が9月15日、首都・平壌に到着した。ハフィントンポスト日本版は今回、同行取材を申請し、認められた。
Taichiro Yoshino

第2次世界大戦の終戦前後に、現在の北朝鮮で亡くなった日本人の遺族による墓参団が9月15日、北朝鮮の首都・平壌に到着した。今回で10回目となる。

近々報告されるとみられる拉致被害者ら日本人の再調査には、遺骨に関する項目も含まれている。今後の日朝関係を見通す上でも、遺骨の調査や収集の行方が注目される。

遺族らでつくる民間団体「北朝鮮地域に残された日本人遺骨の収容と墓参を求める遺族の連絡会」(北遺族連絡会)を窓口とし、今回は遺族5人が参加している。23日まで、北朝鮮北東部の都市、咸鏡北道・清津(チョンジン)や咸鏡南道の咸興(ハムン)などの埋葬地を訪れる。

駅長だった父を日本人収容所で亡くした遠藤功一さん(72)は「父の遺骨があるところに来られて感無量だ。これまで元気でやってこられたのは親父の陰の力だと感謝を伝えたい」と話した。

ハフィントンポスト日本版は今回、墓参団への同行取材を申請し、認められた。北朝鮮各地を巡る墓参の様子などを随時報告する。

■北朝鮮の遺骨問題とは

1945年8月、第2次世界大戦の末期に旧ソ連軍が朝鮮半島に侵攻、敗戦で朝鮮半島北部から日本本土へ引き揚げる日本人は各地の収容所に入れられたが、寒さや餓え、伝染病などで多数が死亡した。

日本側は、北朝鮮内の日本人墓地71カ所を把握している。北朝鮮内では日本人墓地に計約3万4千人が埋葬され、うち1万3千柱が持ち帰られたといわれるが、実態は明確ではない。(朝日新聞2012年8月13日付朝刊より)

遺族の墓参は日朝間に国交がないため長いこと実現しなかったが、2012年8月の日朝赤十字協議、9月の日朝政府間予備協議で、墓参団の派遣や受け入れを推進することで合意した。同年8月末から9月に、北朝鮮は遺族らの予備調査として第1陣の訪朝団を受け入れ、10月から本格的な墓参訪朝が始まっていた。

2014年5月の日朝局長級協議で、北朝鮮は日本人の拉致被害者の再調査を約束した。調査は拉致問題だけでなく包括的な「すべての日本人に対する調査」となっており、日朝双方の発表文には▽日本人の遺骨及び墓地▽残留日本人▽いわゆる日本人配偶者▽拉致被害者及び行方不明者、の順で列記されている。これらの再調査はすべて同時並行的に行うとされている。

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