映画「ローマ環状線、めぐりゆく人生たち」が描く、大都市からこぼれ落ちた愛しい人々とは【画像】

ドキュメンタリーとして初めてヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した映画「ローマ環状線、めぐりゆく人生たち」。ベルナルド・ベルトリッチ監督や坂本龍一氏といった審査員に絶賛された本作が8月16日、ヒューマントラストシネマ有楽町で公開される。

ドキュメンタリーとして初めてヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した映画「ローマ環状線、めぐりゆく人生たち」。ベルナルド・ベルトリッチ監督や坂本龍一氏といった審査員に絶賛された本作が8月16日から、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかで順次公開される。

ローマ環状線とは、1日の車の交通量16万台、全長70キロ、大都市ローマの大動脈・高速道路GRAのこと。大都市ローマを走る環状線の周辺には、旅行者が知ることのない、人々の暮らしがある。

映画には、ブルジョアを装う没落貴族や、音響機器と殺虫剤で武装する植物学者のほか、老いた母を支える救命隊員など、伝統と近代化の狭間で揺れる大都市ローマの片隅で、こぼれ落ちそうになりながら生きる人々が描かれる。

ジャンフランコ・ロージ監督は、現在イタリアを代表する作家、イタロ・カルヴィーノの幻想小説「見えない都市」にインスパイアされて本作を製作。映画を撮るにあたり、長い時間をかけて登場人物との距離を縮めていった。撮影の際は、クルーを付けず、カメラだけを持って、1人で撮影を行ったという。

監督は、その日々について「問われるべきは、彼らと過ごさなければならない期間」だったと振り返っている。

こうして徐々に接近してからでなければ、どの程度の距離を置いて撮影するべきなのか、どのアングルが相応しいのか、どんな構成で撮影するのか分からないのです。遂に撮影すべき時が来たことが分かれば、もう迷いはありません。その瞬間、そこに存在するのは私、登場人物、そして私の手中で姿を消したかのように存在するカメラだけなのです。

問われるべきは、あるシーンにどのスタイルを用いるべきなのかではなく、適切な距離と登場人物のストーリーの全体像を見つけ出す前に、彼らと過ごさなければならない期間なのです。

(「映画『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』オフィシャルサイト」より)

作家の池澤夏樹氏は、本作について「カメラの位置とマイクの位置の関係が鍵」などとコメントを寄せている。

映画を動かしているのは、スクリーンに映る人々の会話なのだ。カメラは室外にあってもマイクは室内にある。それはつまり身辺にマイクがあることを被写体ないし登場人物は承知しているということだ。承知した上でそのことは忘れて普通に日々を送っている。たぶん厖大な量のシークエンスの一部が選び出され編集されて映画になったのだろう。(中略)

この映画の場合、カメラの位置とマイクの位置の関係が鍵だとぼくは思った。

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