6月13日に開幕したサッカーワールドカップのブラジル大会で、日本代表DFを務める長友佑都(ながとも・ゆうと)。イタリアのセリエAに参戦して4年目を迎える。ヨーロッパのスポーツ界で170センチの身長は小柄だが、その驚異的なスタミナは「小さな巨人」と海外メディアも絶賛するほどだ。
4年前のワールドカップ・南アフリカ大会では、世界最高FWと当時いわれていたサミュエル・エトーを完封。世界に「ナガトモ」の名前を響かせた。大会終了後の2010年7月、イタリアのチェゼーナに東京FCから移籍。翌年1月から同じくセリエAの名門インテルへと移籍。左サイドバックや攻撃的サイドハーフとして存在感を発揮してきた。
そんな長友だが、最初から順風満帆なサッカー人生を歩んできたわけではない。それを示すエピソードを紹介しよう。
■「アレ本当に控え部員か?」
2006年4月、「明治大学サッカー部には、やたら太鼓がうまい部員がいる」と話題になっていた。その躍動的なリズムは、大学サッカーの応援ではありえないほどクオリティが高かったのだ。大規模掲示板2ちゃんねるの、当時のログを引こう。
556 :U-名無しさん:2006/04/09(日) 22:34:30 ID:KSfHAtDn0
明治はやたら応援のドラムのリズム良かったな(w
アレ本当に控え部員か?
557 :U-名無しさん:2006/04/09(日) 22:57:55 ID:PU89LoFi0
>>556
あんなリズミカルな太鼓叩き、J以外で初めて聴いたwww。
思わず身を乗り出して、明治応援団を見てしまったw。
この書き込みを見て実際に試合を見にいた人がいる。「2ちゃんでまで話題になる太鼓ってどんなもんか?」と好奇心から観戦に行ったときの思い出を彼はブログに次のように記している。
明治の試合になりました。
なんとも心地よいリズムが聞こえてくるではありませんか。
そこで噂の太鼓に目を移します。
一般的に応援の太鼓って肩から大きいのを下げて片手で叩くじゃないですか?
明治の太鼓は違ったんです。
イスに腰掛けて股に太鼓を挟み込み、両手に撥を持ってまるでドラムのリズムでも奏でているかのように叩いてました。
いやね、そのリズムと言ったら聞き惚れますよ。
完全に明治の太鼓のファンになってまいました。
(CZOブログ「長友佑都」2009-06-06 18:15)
この太鼓を叩いていたのは、当時、明治大学2年生でサッカー部の控え選手、長友佑都だった。入部早々に発症した椎間板ヘルニアを再発したことで、試合に出場できずスタンドで応援する日々が続いていた。その腕前は、鹿島アントラーズのサポーターから「うちでも太鼓を立ちてくれ」と勧誘に来るほどだったという。
長友自身も東京FC時代に「一番成長できたのが、応援の和太鼓です」と、振り返っている。
明治大学に進学し、ここでもまた色々な経験をさせてもらい成長する事ができました。中でも、一番成長できたのが、応援の和太鼓です!1、2年生の頃は、ケガなどで試合に出場できない事が多く、試合の時は必ず太鼓を叩くのが僕の使命でした。正直、自分でも自己満足するくらいアフリカンなノリの太鼓は、大学サッカー界の話題をさらいました(笑)鹿島アントラーズのサポーターの方から「ウチで太鼓を叩いてもらえないか?」というオファーを受けた程ですから。。。(実話)
(若き赤青戦士の日記「こんにちは!長友です!!」2008/04/04)
長友は、2006年夏には復帰し、後期リーグの開幕戦で入部以来初の先発出場。「明治の太鼓が試合に出てるらしい」と、大学サッカー界で話題になった。ここから長友の快進撃が始まった。全日本大学選抜やユニバーシアード代表にも選出。2008年の大学在学中に、FC東京と正式契約している。日本代表に選ばれてからの活躍っぷりは先ほど書いた通りだ。
彼の太鼓の応援は、試合に出場できない悔しさを昇華するための手段だったのかもしれない。スタンドで和太鼓の応援しかできなかった屈辱の日々が、世界有数のフットボーラー「ナガトモ」を生むきっかけになった。