2014年1月。その男はついに、イタリアの名門クラブ、ACミランのユニフォームに袖を通す。しかも、背番号は数々の伝説に彩られた「10」。勝利が義務付けられ、結果を出さなければすぐに見限られてしまうビッグクラブで熾烈なレギュラー争いを戦い、そして「集大成」と位置づけるワールドカップに臨む本田圭佑。
「やるからには優勝を狙う」。その率直な物言いから、本田はしばしば「ビッグマウス」と揶揄されることもある。しかし、その歩みを振り返ると、常に厳しい環境に自ら身を投じ、大きな目標をぶちあげ、挫折し、それを跳ね返す、その繰り返しを通して成長してきたことが浮かび上がってくる。
本田のサッカー人生のなかでも大きな挫折として知られているのが、ガンバ大阪の下部組織から外れた経験だ。中学の3年間を家長昭博(大宮)、安田理大(鳥栖)、東口順昭(ガンバ大阪)ら後にプロになる選手らと、ガンバのジュニアユースでプレーしたが、実力が足らず、上のカテゴリのユースチームには進めなかった。本田は生まれ育った大阪を離れ、石川県の星稜高校への進学を決める。
ジュニアユース時代のコーチは、本田の気持ちの強さについて回想する。
「ユースに昇格できなかったのは、相当悔しい出来事だったはずです。いつも『俺は家長に負けてない』と言っていたからね。でも、高校1年になるということは、大人への第一歩を踏み出すことやから、自分で考えなければいけない。
壁にぶつかってガツンとやられた選手の道は、ふたつしかないんです。自信をなくしたり、ふて腐れたりして別の道に行くか、悔しさを味わってもっと必死になるか。圭佑は後者の道を選んだ。自分に何が足りないか考え、大きく成長した。結果論ですが、良かったのかなと」
(フットボールチャンネル「本田圭佑15歳の挫折―ガンバユースに上がれなかった理由(飯尾篤史)」より 2014/03/16)
高校を卒業する頃には、Jリーグの複数のクラブから声がかかる存在に。その後も、北京オリンピックで惨敗、オランダ1部リーグに移籍しゴールを自ら奪うプレースタイルへ進化、膝の怪我、コンフェデ杯での惨敗、そして利き足でない右足でのシュートへのチャレンジ……。本田のキャリアは常に、挫折し、這い上がる。この繰り返しだ。それはミランにいる今も変わらない。
本田は自らの「ビッグマウス」について、こう語っている。
「言葉を口で発するときは、自分に向かって話している部分がある。何を言うかって非常に重要。俺はメディアにしゃべっていることって、自分に話しているということがほとんどやから。あとは公言的なところがあって、『言っちゃったよ』みたいな。自分は弱いからさ。当たり前だけど、人間やから」
(J SPORTS「本田 ビッグマウスの理由」より 2013/10/04)
ワールドカップ直前、本田は自らのホームページに、ファンへのメッセージを書き記した。そこには「集大成」の文字もある。「優勝」を口にして憚らない男の、覚悟がそこにはある。
今日まで応援ありがとうございます。
これからもW杯後も、サッカーは続きますが、今回のW杯は集大成ですので、
今まで培った経験を、すべてブラジルにおいてこれるように、最高の準備をしてプレーしてきます。
最高のプレーを見せるので、絶対に最後まであきらめずに、応援してください。
本当にありがとうございます。
(本田圭佑オフィシャルWEBサイト「四年に一度のW杯に行く前に」より 2014/05/29)
【ワールドカップ関連の記事】
ハフィントンポスト日本版はFacebook ページでも情報発信しています。
ハフィントンポスト日本版はTwitterでも情報発信しています。@HuffPostJapan をフォロー