笑顔の人々や、踊っている子供たち――以下の画像集では、1989年に起きた天安門事件の暴力的なイメージとはかけ離れた光景を見ることができる。
全体的にヒッピー的な雰囲気が浸透しているこれらの素晴らしい写真には、急速に繰り広げられた後、なおいっそう素早く隠し去られた悲劇の痛切な側面が写し出されている。
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25年前の1989年春、北京では大規模なデモ活動が展開していた。数週間に渡って平和的な抗議活動は続いたが、中国当局は1989年6月4日、北京の街で残酷かつ無慈悲な大虐殺を実行した。正確な犠牲者の数はわかっていないが、数百人以上が殺害されたと見られている。
中国人民解放軍が市民に向けて発砲し、装甲車で轢き殺すなどして学生たちから天安門広場を奪回する前に、どんな世界が展開していたのかを、以下の画像でかいま見ることができる。
毛沢東初代国家主席の肖像画にはペンキがかけられた
学生たちは「民主主義の女神」像を作った
この像は彼らの闘いを象徴していた
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1989年6月1日、天安門広場では子供たちが笑顔で踊っていた
学生たちは官制の新聞を燃やした
抗議活動に協力的な軍人もいた
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天安門広場近くでVサインをする人々
学生たちは公然と政府を拒絶した
それはまるでウッドストックだった
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学生指導者の王丹が、街中でデモ行進を行うよう呼びかけている
天安門事件の数日前には、ハンガーストライキを行う人たちもいた
彼らは、政権に対する強い不信感を表明していた
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報道機関がデモに加わったことで、勝利のムードが出てきた
抗議活動の中には、冗談やリラックスした雰囲気もあった
通りでは、人々はVサインを行い、勝利を祝福していた
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たくさんの人々が通りを行進し、デモを支援した
教育実習生たちも、手を挙げながらデモを支援した
天安門広場を埋めつくす人々
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改革派支援を示すたくさんの旗
しかし、平穏さは不確実なものだった
軍は、怒る市民に向けて大量発砲を行った
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負傷者たちはリヤカーで搬送された
無茶苦茶に倒された自転車の間に横たわる犠牲者たち
戦車の進路にバリケードを張る抗議者たち
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自分ひとりで行動を起こそうとする人もいた
伝説となったこの写真には、事件当日の精神が捉えられている
25周年となった今年、香港では民主主義を擁護するための抗議行動が行われたが、中国政府は天安門事件に関して徹底した報道管制を敷いている。
[Charlotte Meredith(English) 日本語版:丸山佳伸、合原弘子/ガリレオ]
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