[北京 4日 ロイター] - 王楠さん(当時19)は25年前の1989年6月3日遅く、数万人の群衆が民主改革を求めて集まる中国・北京の天安門広場にカメラを持って向かった。友人には歴史を記録したいのだと話していた。
「軍隊は発砲するかな」──。出がけの問いに母親の張先玲さん(77)はそれはないだろうと答えた。それから約3時間後、王さんは兵士に射殺された。
息子の死から25年を迎える張さんは現在、8人の警察・公安関係者によって24時間監視されている。
今年に入って監視態勢はこれまでにないほど厳しくなっている。4月の段階で、ロイター記者を含め、外国人ジャーナリストの張さん宅訪問は警察が妨害。張さんはロイターの電話取材に対し「ばかげている。私は年寄りだというのに」と語る。「(記者に)何を語ることができるというのか。国家機密を知っているというわけでもないし、私が語ることができるのは息子に関することだけ。何を恐れているのか」。
中国共産党が民主化運動を武力弾圧した天安門事件から4日で25年を迎えた。現場では多くの武装した警察官が警戒の目を光らせている。
数百人から数千人の武器を持たない人々が殺されたとされる事件。中国の主要インターネットサイトでは関連語句が検閲されており、中国版ツイッター「微博(ウェイボー)」では、事件が起きた6月4日を意味する「5月35日」といった隠語が削除されている。また、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによると、天安門事件25周年に関連して少なくとも66人が身柄を拘束された。
<締め付け強化>
張さんの場合は、どこへ行こうと警察車両に乗せられ、市場へ行けば2人の警察官にぴったりと張り付かれるといった状態。これは張さんが天安門事件の犠牲者のために活動する遺族団体「天安門の母」の共同創設者であるためだ。
張さんらによると、別の共同創設者である丁子霖さんは上海近くの無錫に赴いていたが、北京に戻る許可が得られなかったという。
中国外務省は天安門の母に対する締め付けについて、中国人民の法的権利は保障されているが、全ての人民は中国のルールと法を尊重しなければならないと指摘した。
当局が民主化運動を「反革命」と位置付け武力弾圧に乗り出した天安門事件は多くの中国人に深い傷跡を残した。中国はその後、民主化運動に背を向け経済成長にまい進。多くの若者は「愛国教育」を受け、民主化運動に乗り出そうとする気配もない。
天安門事件当時の学生リーダーで、現在は台湾に逃れている王丹氏は、25年前は政治問題を話し合う「民主サロン」を北京大学で開催することができたと指摘。「今ではそんなことをやろうとすれば拘束されると誰もが知っている。事件当時よりも(中国の民主化運動が)衰退していることは明白だ」と述べた。
(Sui-Lee Wee記者 執筆協力:Michael Gold in TAIPEI and Ben Blanchard and Paul Carsten in BEIJING and Reuters Television in NEW YORK 翻訳:川上健一 編集:宮崎亜巳)
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