School in the cloud: Children with mentors on the other side of the world
5年前、インドの少年が、ロンドン在住の退職した教師という意外な相手と友情を結びました。現在、少年は彼女の助けを借りて、医師になるための勉強をしています。実際には会ったことのない二人が、何千マイルもの距離を隔てて、お互いになくてはならない存在になったのです。
シャールク・カーンが13歳の時、彼が通うハイデラバードの学校に新たにコンピューター室ができました。それが人生の転機となりました。
カーンたち生徒は小さな教室に集まり、インターネットを使ってみました。また、よその国に住む退職した教師たちとおしゃべりをすることも出来ました。
それは生徒と外国人の先生とをつなごうという計画によるものでした。生徒たちは何でも好きな質問が出来、地球の反対側にいる大人たちが、その疑問に対する答えを見つける方法をアドバイスし、励まします。
「外国の人と話して、新しいことを学ぶのは面白かったです」とカーンは言います。「ぼくはよくコンピューターの前に座って、いろいろな物を見たり、ロンドンのリズ・フューイングスさんのような人たちと話したりしていました」
60歳だったフューイングスは、教師を退職したばかりでした。ロンドン東部のハックニー在住で、新聞でプロジェクトのことを知り2009年に参加しました。
「当てはまる選択肢はすべてチェックしました」とフューイングスは言います。「子どもたちとのおしゃべりが懐かしかったのです」
はじめのうち、フューイングスは数人のインドの生徒たちと一度に話をしていましたが、しばらくすると、参加者がカーンだけになりました。「それで私たちの友情は深まりました」
二人は電子メールのやり取りをするようになり、フューイングスはカーンに英語を教えました。「彼があまりよく理解出来ないようだったので、私はしつこく問いかけました。私が言ったことがわかった?私は何て言った?と」
「私の物の見方は、彼がそれまで馴染んでいた物の見方とかなり違っていたようだったので、そのことで笑いあうこともありました。私が彼をちょっとからかったり、彼が私をからかったり。大文字で書いた時には、私がどなっているのだということも彼にはわかるようになりました」
カーンは新たな友情を最大限に活用しました。英語力は飛躍的に伸びました。
数年後、カーンはフューイングスに医師になりたいこと、そして英国の大学に出願するつもりであることを話しました。
カーンの父は、彼がまだ6歳の時に亡くなりました。一番上の兄が一家を支え、学校の授業料も払ってくれていましたが、外国の大学への出願については助言することが出来ませんでした。
「外国のことは何も知りませんでした。文化のことも何も」とカーンは言います。「フューイングスさんと話すようになって、ロンドンでの人々の暮らしをはっきりと思い描けるようになりました」
フューイングスは、どのくらい費用がかかるか、どのように出願すればよいか、そして詐欺に引っかからないようにするにはどうしたらよいかを調べました。
「カーンが、ケンブリッジにある大学のチラシをインターネットで見つけて送ってくれたのですが、実際によく調べてみると、どこかの小さな村にある私書箱が使われていました」とフューイングスは言います。
カーンは「手っ取り早く稼げる」儲け話の詳細も送りましたが、フューイングスはすぐに詐欺だと見破りました。「私の役割は、世の中は見た目通りとは言えないこと、あなたをだまそうと狙っている人がいること、判断力を磨く必要があることに気づかせてあげることだったと思います」
フューイングスの助けによって、カーンには英国で学ぶことが予想していたよりお金がかかり、複雑であることがわかりました。
カーンは他の国を考慮に入れ、ウクライナ、ロシア、中国、フィリピンの大学について調べました。フューイングスはそれぞれの国の文化の違いや気候、生活環境などについて考えるよう促しました。
「中国の大学がありました……ゴビ砂漠の中です。そこでゴビ砂漠の気温(氷点下になることが多い)を調べて、『暖かいハイデラバードで暮らしている人が、なぜ服を何枚も着こまなくてはいけないような場所へ行くの?ちゃんと考えてごらんなさい』と助言しました」とフューイングスは言います。
じっくり話し合った結果、カーンはフィリピンで学ぶことに決め、間もなく医学部に入ります。
カーンはこのプロジェクトの恩恵を受けた何千人もの子どもの一人にすぎません。15年前に産声をあげたこのプロジェクトは、学者のスガタ・ミトラがデリーのスラムに住む子どもたちに、無料でコンピューターにアクセスし、好きなように使うことができる環境を用意したのが始まりでした。ミトラはこの試みを「ホール・イン・ザ・ウォール(壁の穴)」と呼びました。
ミトラは、子どもたちが何の説明を受けなくても自分たちでコンピューターを使えるようになるか、様子を見ました。すると子どもたちはすぐにスクリーンの周りに集まり、協力して新しい概念を身に着けていったので驚きました。「私は単独での学習は、集団での学習とは異なるのではないかと考え始めました」とミトラは言います。
ミトラは「この方法を使えば、子どもたちは10年も12年も先取りすることができる」と考えています。
ミトラはこれを自己管理学習と呼び、プロジェクトを拡大しました。2008年にはカーンの母校を含むハイデラバードの11の学校にコンピューターを導入しました。以来、インドの地方の学校にもこの自己管理学習環境(Soles)の考え方を広めています。
このプロジェクトにインスピレーションを得て、『ぼくと1ルピーの神様』という本が生まれ、それをもとにアカデミー賞を受賞した映画『スラムドッグ$ミリオネア』が制作されました。
昨年、ミトラはテクノロジー・エンターテイメント・アンド・デザイン(TED)カンファレンスの主催者から100万ドル(65万ポンド)の賞を受けました。彼はこの賞金をプロジェクトの次のステージとなる「スクール・イン・ザ・クラウド(クラウドの中の学校)」の資金にすることにしています。
スクール・イン・ザ・クラウドは、自己管理学習のために新たに作られる7つのセンターのネットワークです。センターは、基本的には、近くにいる人なら誰でもコンピューターを見ることができる子どものためのサイバーカフェの働きをしています。また、フューイングスのような「電子助言者」にアドバイスをもらうための大きなモニターもあります。
7つのセンターのうち3つはインド東部に置かれます。中でも西ベンガル州のコラカティとチャンドラコナは遠隔地域で、現在、子どもたちが教育の機会をなかなか得られない状況にある場所です。
プロジェクトの対象はインドだけではありません。ミトラ教授はコンピューター施設を英国にも2カ所作りました。イングランド北東部のキリングワースとニュートン・エイクリフです。
ここでも生徒たちは「クラウド・グラニー(クラウドおばあちゃん)」と呼ばれる先生と話をすることができます。もっともフューイングスのように、実際には多くの人がおばあちゃんではありませんが。
おばあちゃんという呼び名を使うのは、先生たちが誇り高い祖父母のようにふるまい、教えるというよりはむしろ励まし導くからです。
「先生たちは『すごいわね、何年も先取りしたことをやっているじゃない。いったいどうやったの?』といった具合に話しかけるのです」とミトラは言います。
現在、およそ50人のクラウド・グラニーが活躍しており、忙しくなった時のためにさらに50人が待機しています。
ミトラは自己管理学習には教室での授業の代用となる可能性があるものの、教師の代用にはなれないと考えています。「教師には子どもたちに課題を提示し、触れさせる役割があります。自己管理学習へとつながる質問を組み立てていく役割です」とミトラは言います。
人生の大半を教室で過ごしてきたフューイングスは、自己管理学習は子どもたちの問題解決能力を育てる助けになると考えています。「生徒たちが列を作って座り事実を学ぶのではなく、協力し助け合いながら学ぶ方法が必要です」
恩恵を受けるのは子どもたちだけではありません。フューイングスは今ではカーンの伯母にでもなったような気がしています。「インドの人とこのような関係が築けるのは、私にとって本当にわくわくすることです……なにしろこの子は、とても優しい子なんです」とフューイングスは言います。
カーンのほうも、孤独を感じることがなくなったと言います。「困ったことがあったら、いつでも助けてくれる人がいますから」
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