2020年の東京オリンピックのメーン会場となる新国立競技場の建設が混迷を深めている。コンペで選ばれた外国人建築家のデザインは莫大な建築コストと周囲の景観の破壊が懸念されているが、東京都は3月に発表した調査計画書の中で、新たに聖徳記念絵画館の前庭にサブトラックを設置することを明らかにした。これに対し、建築家の槇文彦氏や作家の森まゆみ氏など6人は4月23日、緊急記者会見を開き、サブトラック設置の計画見直しと、7月に迫る現国立競技場の解体工事の延期を求めていくことを表明した。
2013年9月に東京オリンピックの開催が決定して以降、2018年度に完成予定の新国立競技場は、文部科学省が試算した1300億円という莫大な総工事費に対する批判が強く、議論となっている。
下村博文文科相は2013年10月の参院予算委員会で、「最大3000億円かかる」という試算を明かしたのに対し、猪瀬直樹東京都知事(当時)が「1500億円でできる」と反論するなど、国と東京都で建設費をめぐりさや当てが続いていた。
もう一つの問題は、イラク出身の女性建築家ザハ・ハディド氏が設計したデザインが「あまりに巨大過ぎる」点にある。
日本建築士会連合会など関連5団体は2013年11月11日、下村文科相、猪瀬前知事、日本スポーツ振興センター(JSC)の河野一郎理事長に対し、施設規模や計画の条件設定の見直しと情報公開を求める要望書を提出している。
さらに2014年3月、今年2月中旬並みの大雪が降った場合には新国立競技場の開閉式屋根が雪の重みに耐えられない可能性があり、基本設計を進めているJSCが設計の見直しを検討していることが伝えられた。当初は基本設計が3月末に発表される予定だったが、現段階でも明らかになっていない。
7月には現国立競技場の解体工事が予定されているが、基本設計が決定しないうちに解体工事に着手することへの批判も強まっている。
一方、東京都のオリンピック・パラリンピック準備局は3月28日、新国立競技場建設の環境アセスメントの調査計画書を発表し、新国立競技場のサブトラックの配置場所として聖徳記念絵画館の前庭を使うという案が提示された。絵画館前の馬蹄形の芝生と周辺に縁取られているいちょう並木の道路が改変され、オリンピックスタジアム周辺の空き地の一部となる。
東京都は3月28日から4月16日にかけて、この環境アセスメントに対するパブリックコメントを募集したが、その声がどこまで反映されるかは分からない。
かねてから新国立競技場の建設計画に異論を唱えている建築家の槇文彦氏をはじめ、6人の有識者が4月23日に声明を発表。環境アセスメントに記載されたサブトラック建設計画の見直しと、7月の現国立競技場の解体工事の延期を求める要望書を早急に提出することを明らかにした。以下、出席者の発言を紹介する(敬称略)。
大野秀敏(建築家、東京大学教授)
サブトラックが仮設のものか常設のものかこの文面を見る限り定かではありませんが、短期間のパブリックコメントでは私たちが十分吟味することができません。とりあえず意見は出しておりますけれども、かなり大きい問題であり、早急に要望書を出したいということで、今日この要望書の概要についてお話させていただこうということでございます。
現在は、小判型に道路が周回しておりまして、いちょう並木が中心軸、長軸を提供するようにある。これが全体となって聖徳記念絵画館の空間を作り、相互に不可分な一帯を形成しているのです。
それが、全く関係なく競技場がはみ出てくるような造形になっております。私どもから見ると稚拙な計画図だと思っておりますけれども、こういうものが非常に短期間で、皆さんがご存じない時にパブリックコメントで査定に入っているということ自体が大きな問題であると考えております。これが第1点です。
第2点として、片方で新国立競技場の建設に向けて現競技場の解体工事が7月に始まろうとしていて、仮囲いが始まっているわけです。準備局のウェブサイトにも掲載されておりますが、新国立競技場の基本設計がまとまっていない。専門家によっては現施設を改修しても使えるのではないかという議論が沸き上がっている中で、基本設計がまとまらない中で拙速に壊してしまうことがありますと、「利用できたのではないか」と後で議論をしても取り返しがつかないことになるので、これについては基本設計が了承されて、これで行こうと決まった段階で取り壊しを始めるべきであって、慌てて壊す必要はないと考えます。
この2点が私どもは大変重要ではないかと思っています。この趣旨にそって、今後意見書をまとめまして、再度関係部署に提出しようと考えております。
1964年の東京オリンピック、1991年の世界陸上の際には仮設のサブトラックが作られました。しかし今回の計画では、会場ごとに環境アセスメントを行うとしているにもかかわらず、非常に短い解説が書いているだけで、コメントのしようがないくらいに詳細が不明なんです。そして当事者である東京都も把握してないままなのです。ひょっとしたらこのサブトラックが本設なのかもしれないし、この競技場にはレーストラックがないのが致命的だというのはかねてから指摘されていることですから、非常に注意深く扱わなければいけないことが、こんなにずさんでいいのかという懸念を強く持っているわけです。
東京にはいろんな時代のいろんな建築が断片的に存在しています。それぞれが個性を持って東京の都市空間を形成しているのです。最近、東京駅が改修されるなど、それぞれの建築が(新たな個性を)持ってきていると思います。そこには、外部空間と建築が一体となってエレメントを作っているのですから、「建築ができれば外部空間はどうなってもいい」というものではないのです。そういう観点からも、建築の保存が市民権を得た今、(絵画館周辺の保持は)非常に重要なものではないかと思うのです。
槇文彦(建築家)
明治神宮一帯は、明治天皇崩御の際に記念として内苑と外苑を作られたものであります。聖徳記念絵画館、そして前庭にあたる馬蹄形の広場、そして絵画館を中心としたいちょう並木という配置は、外苑の根幹をなしているのであって、当時作った方は、これは日本でも珍しい西洋式のビスタ(眺め、景色)がある計画であって、誇りとして、長く保存していくべきだということをはっきりと言われているわけですね。しかもこの外苑の中軸になる部分ができたのは、関東大震災のすぐあとです。関東大震災では、7万人の方が亡くなられている。ある意味においては、これは私見なのですが、鎮魂の場であったのではないかと考えてもいいくらい、東京にとって歴史的にも大事な部分であったと思うのです。
このサブトラックの計画がもちろん仮設であって、また元の状態に復元するということがはっきりしているのであれば、それなりに納得できるのですが、それがはっきりしないんですね。たまたま今回の新国立競技場を作るから、その周りも一緒に変えてしまおう、歴史的な遺産はどうでもいいというようなことが当局者の基本的な態度であれば、問題にすべきではないかと思うのです。
我々建築家も、いろんな機会に海外で建築と景観の保存という問題に直面するのですが、今回の経緯は信じられません。成熟した国で、平気で我々の知らないうちに計画が進むようなことは絶対にあり得ないのです。日本という国は、どこかで国民に知らせないままに都市計画審議会、あるいは有識者会議を開催して了承を得る。そういったシステム自体の問題を象徴的に表しているのではないかと思うのです。
森まゆみ(作家、神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会共同代表)
この調査計画書は東京都のアセスメントに出てくる図で、2012年2月の初期評価アセスメントにも使われていますが、都の準備局に問い合わせたところ、「この図をいつ、誰が描いたのかわからない」という回答でした。この計画書は環境局からパブリックコメント締切日の4月16日にやっと入手できたのですが、1368ページある計画書を読んで意見を述べなければならないということだったので慌てて書きました。
環境局にも、準備局のウェブサイトのどこから入っていったらパブコメに辿り着けるのかを問い合わせたら「わからない」と言っていました。それくらい、ホームーページの隅の隅の隅に書かれていたものだったんです。
古市徹雄(建築家)
新国立競技場の設計は現在基本設計を進めているのに、我々建築家に情報が伝わってこないのです。どういう設計をしているのか、どういう方向で進んでいるのか、ほとんど入ってこない。これは極めて異常なことで、あらゆる公共建築は必ずステージごとに情報を公開するものです。本来3月末に発表されるはずの基本設計がまだ出てきていない。その点も非常に心配しております。
そうでありながら、現在の国立競技場を7月に取り壊してしまうのは、我々としては納得できないのです。
陣内秀信(建築史家、法政大学教授)
この一帯は当時のいろんな分野の専門家たちが議論しながらいろんな案を練って選ばれ、最終的には壮麗な、当時、ヨーロッパで生み出されて世界中に広がっていったバロック様式的な造形が東京でも実現したという、歴史的に造園と建築と都市計画の集大成ともいうべき、全体が一体となった空間なんです。
それを変な形で、仮設とはいえ、サブトラックが入り込む形で計画されていますが、これがどういう形で作られるのか明快な見解が示されるべきだし、もともと持っていた造園、環境空間、建築が一体となったものを認識し、価値を共有財産として受け継ぎながら、ここに国立競技場がどうあるべきかということが、本来コンペの段階で考えるべきだったのです。そういった要望が受け入れられることがないままにコンペが行われて審査の過程でも考慮に入れられなかった。やはりひとつひとつのものにどういう価値があるものなのか、そして仮設なのかどうか、元に戻すのかをはっきりと表明してほしいということを訴えていきたい。
1964年の東京オリンピックの時にも、高速道路を作って水辺を失い、裏参道の馬車も通れる並木道が台無しになったということがありました。しかし、競技場の設計に関しては丹下健三さんの国立競技場は、オープンスペースやスカイライン、シルエットなどをよく考え、周辺の財産とも言える環境を活かして設計されたわけです。芦原義信さんが設計された駒沢体育館も外部空間の価値を考えながらつくられています。山田守さんが設計した日本武道館も、北の丸公園にある江戸城の石垣や緑地などを考慮に入れながら日本的にデザインしているのです。
建築空間とともに水辺や緑を回復させることで人々のセンシビリティが癒されるはずなのに、今回は全く逆で、巨大な建築が周囲の緑や自然や歴史を破壊しようとしている。本来、成熟した日本の社会でオリンピックが行われるとすれば、人々の価値観や社会のなかでの建築のあり方を考え、歴史や環境、場所の価値を尊重しながら良い建築をつくるはずなのに、非常に皮肉な話なのです。
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