キトラ古墳の壁画が東京国立博物館で公開 明日香村外では初めて【画像集】

大陸風極彩色の壁画で知られる奈良県明日香村の「キトラ古墳」。壁画の「四神」や「十二支像」の一部が4月22日から5月18日まで、東京国立博物館(東京都台東区)で公開される。村外での公開は初めて。
猪谷千香

大陸風極彩色の壁画で知られる奈良県明日香村の「キトラ古墳」。壁画の「四神」や「十二支像」の一部が4月22日から5月18日まで、東京国立博物館(東京都台東区)で公開される。村外での公開は初めてで、修復・保存のために取り外されたことを機に東京で展示されることになった。発見から30年。古代東アジアの歴史を伝える壁画は今後、明日香村で保存される予定で、今回が最初で最後の村外公開になるかもしれないという。

■精緻な壁画の背景には古代東アジアで流行の「五行思想」

キトラ古墳は7世紀末から8世紀初めに築造された直径13.8メートルの円墳で、特別史跡に指定されている。1983年に石室の北壁に描かれた「玄武」が発見され、高松塚古墳に続き国内2例目の極彩色壁画古墳として注目を集めた。調査の結果、石室壁面には「青龍」「朱雀」「白虎」「玄武」の四神と獣頭人身の十二支、天井には天文図がそれぞれ描かれていた。壁画は石室を組み立て、石材の上から漆喰を塗った上に描いたと推測されている。

被葬者は天武天皇の皇子や大臣クラスの豪族、朝鮮半島から亡命してきた百済王家の人物など諸説がある。当時の都、藤原宮の中央から南へ伸びる朱雀大路の延長上に位置。天武持統陵や文武陵が同じ線上にあることから、いずれにしても高い地位にあった人物が埋葬されたと考えられている。

今回の「特別展 キトラ古墳壁画」では、四神のうち「朱雀」「白虎」「玄武」が展示されている。「朱雀」は南の方角を司る霊獣で、五行思想に基づく色は赤。キトラ古墳の「朱雀」は、石室に蓋をする閉塞石に描かれていることから、唯一、屋外で描かれたと推測される。他の霊獣が中国の比較的新しい要素が見られるのに対し、「朱雀」には朝鮮半島の古い壁画とも共通点があるという。

「白虎」は西の方角を司る霊獣で、同じく白色が割り当てられている。近隣にある高松塚古墳の壁画の白虎とよく似ており、同じような手本を参照していたのではと考えられている。しかし、高松塚古墳の壁画に比べてキトラ古墳の「白虎」は、尾が後ろ足に絡まって跳ね上がる勢いある姿で描かれており、中国大陸流行を積極的に取り入れたと思われる。同じく「玄武」は北の方角を司り、色は黒を表現する。唐代の中国大陸で用いられた古い図像を参照したと考えられている。

「これらの壁画が描かれた背景として、後に風水や陰陽道に展開していく陰陽五行思想がありました」と文化庁文化財部古墳壁画室・古墳壁画対策調査官の建石徹さんは説明する。「当時は飛鳥時代後半ですから、すでに仏教は伝わっています。しかし、キトラ古墳に仏教的な要素はありません。陰陽五行思想の中でも五行思想にのっとって、色が重ねられていたり、四神などが描かれています」

また、四神以外にも獣頭人身の十二支のうち「子」と「丑」の壁画が今回公開されているほか、古墳から出土した大刀や金具の一部が展示されている。

■壁画は2016年度開館予定の明日香村の壁画保存管理施設で公開へ

特別展では、壁画の公開にあわせて、壁画の修復保存の手法や使用された道具なども展示している。キトラ古墳は発見当初、石室内にファイバースコープによる内視調査が行われた。数回にわたる調査の結果、きわめて重要な壁画古墳であることが判明、2000年には特別史跡に指定されている。

しかし調査と同時に、石室内の水の流れや乾燥による壁面の汚染や剥離も確認された。2004年の石室調査の結果、「青龍」と「白虎」の周辺で漆喰層が石材から浮き上がっていることがわかり、保存の危機にあることが判明した。こうした状況から壁画を取り外しをする方針が決定。すべての壁画の取り外しが2010年11月に完了した。

現在もキトラ古墳の壁画の修理作業は進められており、2016年度には明日香村に開館予定の国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区内の壁画保存管理施設での公開が計画されている。

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