【3.11】福島県田村市の冨塚市長 「帰還者が楽しめるよう応援したい」 都路地区が初の避難指示解除へ

なぜ田村市は避難指示解除を決断したのか。3月5日、冨塚市長と志村和俊・副市長に、その背景と復興に賭ける思いを聞いた。
安藤健二

山すそにある閑静な市役所。小雨が降っていたため、市民の出入りは少なめだった。入口に市内各地の放射線量を伝える液晶モニターが設置してあるのと、職員の多くが緑色の防災服に身を包んでいることを除けば、よくある地方都市の庁舎。ここは、福島県郡山市から自動車で30分ほどの田村市役所だ。

田村市の東端にある都路(みやこじ)地区。その中でも福島第一原子力発電所から20キロ圏内にある地域が、今も住民が自由に住むことができない「避難指示解除準備区域」となっている(下図の青い部分)。約120世帯370人が、避難生活を余儀なくされており、2014年3月現在は市役所に届け出た人のみが宿泊可能だ。

原子力災害対策本部が3月10日に発表した「避難指示区域の概念図」

国は4月1日に避難指示を解除する方針を決めている。解除を要請していた冨塚宥●(●は日へんに景、ゆうけい)市長が、2月23日に住民に伝えた。3年前の原発事故発生直後、国は原発20キロ圏内の人に対し、避難命令を出した。都路地区は、その解除のさきがけとなる。他の福島県内の6市町村も今後2年ほどの間に解除を検討し、計約3万人が帰還するかどうかの判断を迫られる。

なぜ田村市は避難指示解除を決断したのか。3月5日、冨塚市長と志村和俊・副市長に、その背景と復興に賭ける思いを聞いた。

■「戻りたい人が戻れる状況」がベター

——今回、4月1日の避難指示解除準備区域の解除を決めた一番の理由は?

冨塚市長:まず自分達が生活していたところに「戻りたい」と思っている住民の方の気持ちに応えるためです。もう一つは「いつまでも戻らないと地域が破壊される、あるいはなくなってしまう」という不安を払拭するためです。

戻って仕事をしたいという方もいます。田んぼ、畑、あるいは林業、畜産、さらには商業を営む方もいる。戻ってお店を再開したい。宿泊所を経営している方もいますが、準備区域が解除になってないと「来てください」と言っても泊めることができない。自分の力でお客さんを呼んだり、あるいは田畑を耕したいという要望があって、解除に向けた方がベターと考えたわけです。

もちろん住民の方の中には、放射線量を不安に思っている方もいます。さらには福島第一原発から20キロ圏内です。「もう一度、爆発はないでしょうか」、あるいは「収束していますか」という不安感を持っている人もいます。国が「廃炉に向けて作業しているので、それを信用せざるを得ない」という人もいれば、一方では「信用できない」という人もいます。

ただ、解除をしなければ、戻りたい人もいつまでも他の地域での生活となります。「戻りたい人にとって戻れる状況」を作るのが「市としても最大のベター」ということから解除に向けて進んで、住民の理解を得て4月1日から解除になったということです。

——線量が不安で「帰りたくない」という方に無理に帰還を促すわけではない?

冨塚市長:そうです。避難は命の安全を考えて強制的なものでした。でも「戻りなさい」という強制はできません。「戻れる状況になりましたから、どうぞ戻りたい方は戻ってください」ということです。

それから、準備区域に限らず都路地区全体で学校教育がストップしており、これまでスクールバスで他の地域の学校に通っていました。これも4月から再開に向けて動いています。都路の認定こども園、小中学校が再開します。保護者の方々には、不安を抱えている方もいます。「本当に自分の子供が都路で教育を受けた場合に、健康への不安はどうなるでしょうか」という方もいます。

ただし、都路地区全体の保護者アンケートでは、約8割の方々が「都路に戻って自分の子供を就学させたい」という結果が出ています。そして4割くらいは都路に戻って、子供を自宅から通学させたいと思っています。

——では学校教育も含めて一つの節目になるということですね

冨塚市長:そういうことです。そして、なぜ今年の4月かということは、本来は昨年の4月に「戻っていいですよ」ということをお話しましたが「除染がまだ進んでない」という声が出ました。そこで20キロ圏内は国直轄として除染を昨年6月に終了しました。そして20キロから外側、30ロ圏内については「ほぼ終了」ということであります。

それを踏まえて保護者の方々にお話をして、学校の再開については「全てじゃないけども安心して通学、そこで教育できます」というお話をさせていただいたということです。

■田村市内の準備区域が真っ先に解除になった理由は?

——今回20キロ圏内で避難指示解除準備区域が解除された、田村市の都路地区が初めてです。まだ他の地域は解除されてないわけですが、田村市だけが早く、一番最初になったのはなぜでしょうか

冨塚市長:田村市の都路地区が、20キロ圏内と30キロ圏内の2つに分断されてしまっているのが大きいんです。30キロ圏内の地域は、2012年9月に緊急時避難準備区域が解除されて、自由に生活できています。

——同じ地域内で格差が出ていると?

冨塚市長:はい。なぜ20キロ圏内だけ解除できなかったかというと、もし万が一、福島第一原発で再び事故が発生したときに、避難する必要があったからです。20キロ圏内に住んでる人にとっては、戻ってからもう一度爆発した場合にどういう避難体制が取れるかという問題があった。だからあそこはまだ解除にはならなかった。

でも、別な角度から見ると、放射線量が都路地区の中では、ほぼ同じなんです。「同じなのになぜ20キロ圏内だけ解除できないんですか?」という疑問の声も出ていました。

2012年11月16日時点の田村市内の線量分布。赤線内が20キロ圏内(内閣府原子力被災者生活支援チームが作成

——なるほど。放射線量がほぼ同じなのに、同じ旧都路村の都路地区内で「何が違うのか」という話になるわけですね

冨塚市長:本来は20キロ圏内も含めて、都路地区に関しては全解除を本当はしたかったんです。そういった要望をしてたんですが、「20キロは時期尚早」という意見があったり、他の20キロ圏内の地域との兼ね合いなどで、そのときは解除されなかった。

ただ、放射線量だけ見れば、田村は20キロ圏内の放射線量と、それから外側、同じ地域でもほぼ同じ。むしろ20キロ圏内の方が線量が低いところがあったわけです。

——住民の方で一時期、他の地域の方に避難された方の中にも「30キロ圏外の地域より都路の方が低いじゃないか」というので不思議に思ったこともあったようですね。

冨塚市長:そういう結果だったのは事実です。2011年3月12日に、原発から20キロ圏内の人を「危ないですよ」と一律で国が避難させたんですが、実際には原子炉建屋が爆発したときに気流がちょうど北側の方に行って、福島市や郡山市の方に放射性物質が、ぐるっと回っていったんです。その結果として田村市は比較的、放射線量が低かったんです。

——ただ、福島第一原発の今後の有事に備えた不安については、どう解消しますか?

冨塚市長:はい。住民の不安としては「起こらないと言っても、起きたでしょう」という。「今度ないですよと言っても、もしあった場合にどうするんですか」って声はあります。「その次、あった場合にはどういう誘導の仕方がありますか」。働いている場合も深夜の場合もあります。

そういうときの避難態勢を練っています。それは万が一の場合ということで、一時はバスも都路行政局の方に待機させておいたり、子供さんのいる家庭向けの対策を考えたりしています。

■帰還住民が「楽しめる」復興支援を

——もともと都路地区は高齢化が進んでいて若い人が少なかった。また準備区域解除にしても「戻りたい」っていう方がご年配の方が多くて、若い方が戻りたがらないと、ますます高齢化が進んでしまう恐れもあると思いますが、どう対処しますか?

冨塚市長:これは、都路地区だけじゃなくて福島県も全国も同じような状況です。ただ、田村市の中でも都路地区はその加速が相当激しい。農業離れも進んでいるし、企業も少ない。若い世代の方々が他の地域に出てしまいます。

そしてさらに今回の原発事故で別の場所へ避難して、避難した先で働く場を見つけ、子供さんの健康不安もあって、若い世代がなかなか戻らないというのはどの地域も同じです。若い世代は「仕事がないじゃないの」「不便じゃないの」「子供の教育は」「介護はどうなの」となる。そうしたことを考えると、他の地域に避難された方は、そっちの方が利便性が高いので戻りにくいという問題はあるんです。

高齢者の方は「自分でもう何十年も生きてきた」「先祖の墓もある」「仮設住宅、アパートにいても環境に慣れない」などの理由で、「自分の生まれた所で、あるいは生活した所でのびのびと生活したい」という方が多い。

——その辺はどうされますか?若者の雇用を支える施策はありますか

冨塚市長:企業誘致を進めてはいますが、ただその時に若い世代が本当に戻ってきて、そこに仕事に就いてもらえるかというと、なかなか難しいです。数十名の企業を誘致しても、どこまで効果があるのかは未知数なので。

ただ、買い物が不便でないように、田村市が都路地区の2カ所に商業施設を作ります。これは準備区域解除後すぐの4月6日にオープンします。市が設置して、地元の方々がその販売をするという施設です。また来年度の前半になりますが、都路地区では初となるコンビニのファミリーマートが建つ予定です。

——そのほかの施策としては?

志村副市長:これは市というよりも市民のボランティアというものをちょっと後押しするような取り組みをしてます。各市民にヒアリングをしているんですけど、その中でもやはり前向きに、「どうやってこの都路を元気にしていくか」と考えて、立ち上がった方が何人か出てきております。

例えば今、古民家再生ということで、都路は非常に森林が多いところなので、田舎暮らしを好む方がいらしてたんですけど「古民家を再生して皆が集まる場所にしようじゃないか」、もしくは「そこをリフォームしてまたアーティストに来てもらおうじゃないか」とか。そういう活動をしている方々も出てきました。

他にもまた、「自分の家の山を新しく観光地化して花を植えよう」とか「新しい名所を作ろう」と考えている人がいます。

我々としてはやはり都路の方々が立ち上がって「自分の町をどうしよう」って考えていただかないとどうしようもないので、そういう方々を我々はできる限り応援をして行こうと思っています。ただお金を出すんじゃなくて、人と人とをつないでいきます。プロジェクトに共鳴した方に一緒に手伝ってもらうとか、学生ボランティアも呼んで一緒に作ってもらうとか、田舎暮らしを体験してもらうとか。そういったことを我々も今、後押しをするような取り組みを応援していきます。

——市民の自発的な取り組みを応援するということですね。

冨塚市長:復旧、復興というけれど、これを行政が全てやったとしても、住民は拒否反応を起こしますよ。住民が自分達でやるというのが大事なんです。物作り、作る楽しみ、人間対人間、今まで交流できなかった人との交流ができて、そして販売ができる。「もっと素晴らしいものを作ろう」という意欲が出てくる。そうすることで、住民が楽しみながら復興が自然に出来てくると思うんです。

今度地域に戻った場合に「じゃあ我々の地域はどうしたらいいのか」というのが、いろいろな角度からアイデアが生まれてきて、その中で市が支援できるものについてはするというふうにして行きたいです。原発で悲惨な状況じゃなくて、明るい話題もたくさん出てきてます。それがなかなかマスコミにも取り上げてもらえないって面があるので、その辺を是非取り上げていただけたらと思ってます。

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