青い海、ゆったりと回る風車、そして、丘から眼下に広がるオリーブの畑――。
小豆島のオリーブ公園に建つ風車から、海を見下ろす
小豆島町の主な産業は「オリーブ」。明治41(1908)年、当時の農商務省によってアメリカから輸入されたオリーブの苗木は、日本で最初にこの島で根付き、育った。100年たった今、島いっぱいに広がるオリーブ畑は島外からたくさんの観光客を呼び寄せている。
小豆島から遠く離れた福島県双葉郡広野町。東京電力の福島第1原子力発電所から20〜30キロに位置するこの町で、オリーブの木を植えている人たちがいる「ひろのオリーブ村」という広野町民らでつくられたボランティア団体だ。小豆島のような自然の産業を――。広野町で100年後の未来を見据えた活動が始まった。
東日本大震災前、人口約5500人だった広野町は、温暖な気候から「東北に春を告げるまち」として知られていた。しかし、「311」以来、その暮らしは一変する。最北にあるサッカーのトレーングセンター「Jヴィレッジ」は原発事故対応の最前基地に。2011年9月末に緊急時避難準備区域が解除となったが、住民の帰還は進まず、現在も2割強にあたる約1350人が戻ったにすぎない。事故から3年たった今も、復興は思うように進んでいない。
「町の将来に希望が見えたら、人は戻ってくる。笑顔も戻ってくる」
オリーブの生産や加工を町の新たな産業に育てることで、復興を手助けしたいと話すのは、ひろのオリーブ村で会長を務める佐藤賢治さん。双葉地方広域市町村圏組合消防本部で働いていた元消防士だ。
なぜ、消防士がオリーブを植えることになったのか。きっかけは、隣接するいわき市で農業を営む木田源泰さんとの偶然の出会いだった。当時、佐藤さんはいわき市に避難していた。
「そうしたら、たまたま、家の前で木田さんがオリーブを作ってたのよ」
広告代理店を辞め、脱サラして農家を始めた木田さん。いわき市内のいたる所で見られる耕作放棄地を、なんとか再利用して新しい作物の栽培ができないかと、2009年に「いわきオリーブプロジェクト研究会」を発足させて、福島県内でのオリーブ作りに挑戦していた。
「いわきには漁港があって、イワシがたくさん捕れるんです。しかし、捕れすぎて海上投棄されていた。もったいない。缶詰にしたらいいのにと思った。
イワシの缶詰といえばアンチョビ。アンチョビといえばオリーブオイル。
調べてみると、いわきは小豆島と気候はさほど変わらない。いわき市でもオリーブが作れると確信しました」
とと振り返る木田さん。
2010年、木田さんはいわきにオリーブを植えた。しかし、原発事故で、農業がやられた。まだ実がなってないオリーブも、諦めかけていた。その木田さんを勇気づけたのが、小豆島の人たちだった。
「震災後の2011年秋に、小豆島に行く機会があったんです。そしたら、続けろと言われました」
もうやめようかと相談する木田さんを、小豆島の人たちは叱咤する。
やりなさい。支援するから。ノウハウは教えるから――。
収穫の秋。小豆島には、収穫のためにやってくる観光客の笑顔もあった。オリーブで人も呼び込めると感じた瞬間だった。
その木田さんらの最初のオリーブ畑が、佐藤さんが暮らしていた借り上げ住宅の目の前にあった。いわきに移ってから早期退職した佐藤さん。消防士の眼だったら「畑」は見過ごしていたかもしれないが、「人」には目が行く。
木田さんの話を聞いた佐藤さんは、広野町にもオリーブを根付かせたいと仲間を集め「ひろのオリーブ村」を立ち上げ、木田さんに教えを請いながら活動を始めたという。
「何かきっかけがないと、町に人は戻ってこないでしょう?そのシンボルが必要だと思った。シンボルは明るい方がいい。明るくないと戻りたいと思わない。オリーブって、明るいでしょう?もう、暗い話はお腹いっぱいなのよ。お涙頂戴の話は、もういらない」
オリーブは実がなるまで5年かかるが、樹齢は1000年を超す。ヨーロッパでは平和の象徴ともいわれ、代々受け継がれてきた。
町にお金を呼ぶだけなら、工場を建てたり、居酒屋を開いたりすれば良い。しかし、それは町の歴史になり得るのか。それは、復興なのか。100年後に、町に住む人々の笑顔が思い浮かぶのかと、佐藤さんは問いかける。
「広野は、じっじ、ばっぱの町でもあるのよ。廃炉研究とか、工場もいいけど、じっじ、ばっぱも町で生活するには、研究とか、工場じゃないでしょう」
佐藤さんは、わざわざ手間がかかるオリーブを選んだ。
「植えるだけのお祭りだったら、誰でもできる。オリーブは実がなる。しかし、実らせるには、手間がかかる」
手間はかかるが、根付くまで町を見捨てないという、覚悟がそこには見える。
「100年後か200年後か、あの時オリーブを植えた人がいたと、いわれたらいいよね」
将来を想像して、自然と笑みも浮かぶ。町の人や企業から募金を募り、広野町の小・中学校、役場などに170本を植えてきた。
「それに、風車もあるのよ(笑)。たまたまね。たまたま」
たまたま、広野町にも、風車があった。佐藤さんらは2013年、海のそばの二ツ沼総合公園の風車が建つ丘に、オリーブを植えた。東京電力から、復興推進活動で手伝いにやってきた。しかし、今はまだ、東電社員の表情も硬い。支柱支え、剪定、これからも手を借りそうな機会は続く。
2013年秋、いわきのオリーブ畑に、初めて実がなった。まだまだオリーブオイルを絞るには足りないが、福島でもオリーブが育つと証明できた。放射性物質も不検出だ。
木田さんの送ってくれた写真には、収穫する子供たちの笑顔が写っていた。
広野のオリーブ畑に、実がなるのはいつか――。ひろのオリーブ村が苗を植えたのは2012年。実がなるのはもう少しだけかかる。
「うちのパン屋だって、3年はかかったよ」
「魔女の宅急便」で尾野真千子さんが演じる繁盛パン屋のおかみ・オソノさんは、仕事で落ち込む見習い魔女を映画の中でそう励ます。
「私たちの、ひろのオリーブ村も、こういう姿を見せられるよう頑張りたい」
佐藤さんらは、ひろのオリーブ村の協力者である町民が持つ農地を借りて、新たに2013年2月から150本の苗木を育てはじめた。故郷を覆い尽くすオリーブの木に実がたわわになり、人々の笑顔があふれる未来のために。