"フルート嫌い"のモーツァルト、お金のために仕事をした―東京藝大准教授・高木綾子さんに聞く

2月14日のバレンタインデーで天才モーツアルトは、自身のフルート嫌いを告白したと言われている。東京藝術大学准教授の高木綾子さんにこの理由を聞いた。
HuffPost Japan

2月14日のバレンタインデーは、愛を告白する日としても知られているが、この日、天才モーツァルトは、自分の仕事の悩みを告白した。

「我慢できない楽器のために、作曲を続けるのはうんざり」

モーツァルトが「我慢できない楽器」と評したのはフルート。フルート曲の作曲を請け負っていた1778年2月14日、モーツァルトは父宛の手紙の中で、嫌な仕事を引き受けていることを愚痴った。

それでも仕事は、仕事。この時に作った「フルート四重奏曲

」は、TVやCMでも度々使われる名曲だ。こんなにも美しい曲を作るくせに、何故モーツァルトはフルートに対してこのような感情を爆発させたのか。

「当時のフルートは未完成の状態だったので、モーツァルトに創作意欲を与えられる楽器ではなかったのだと思います」

東京藝術大学准教授の高木綾子さん(36)は、少し悲しそうな表情で説明する。

モーツァルトの時代のフルートは、木の棒に穴があいているだけというものだった。リコーダーのように指を穴で押さえて音程をとるが、半音を出すには穴を半分だけ開けるという方法であったため、指もたくさん動かすようなこともできず、音量も出ない楽器だったのだ。

モーツァルト時代のフルート:フラウト・トラヴェルソ(復元)

フルートはその後、穴を増やしたり、穴を押さえる蓋をつけたりする改良が加えられ、さらに、金属製へと変わる。

「今のようなフルートが当時存在していたら、モーツァルトは、もっといろんな曲を書いたんじゃないかなと思います」

この時のモーツァルトは我慢に耐えられなかったのか、依頼された曲数のうちの1曲を、前年に作曲した「オーボエ協奏曲」を編曲しただけで提出したともいわれている。怒った依頼者は、モーツァルトに支払う報酬の半額を減額した。

モーツァルトが手紙に書いた苛立ちの原因となったのは、技術の進歩に追いつけない楽器と、それでも食べるために仕事を受けなくてはならない環境に向けられたものだった。

「書きなぐるなら、いくらでもできます。ですが、そういうものが世の中に出ることになる。私の名前が記載されるのだから、恥ずかしくないものを出したい。気の乗らない仕事をしていたら、すぐに鈍くなってしまう」

モーツァルトは父への手紙に、理想と現実を嘆いた。

■芸術とお金

芸術への探究と、食べるためのお金――。

この問題はモーツァルトが生きた時代から200年経った今でも消えないテーマだ。

モーツァルトの時代の王室や貴族というパトロンは、現代日本においては国家や自治体、企業などに形を変えた。芸術の振興のために国や自治体が出すお金は「税金」でまかなわれ、国民の監視の目が付く。

大阪市の橋下徹市長は市政改革の一環として、文化団体への補助金の見直しを決定。大阪が生んだ芸術といわれる「文楽」の協会に対しても、国立文楽劇場の入場者総数に応じて補助金を交付するとした。

危機感もあったのか、2013年は劇場創設以来、最高となる観客数を動員。それでも、市が新しく設けた基準には届かず、補助金は減額になる。

橋下市長「皆さんに芸に集中していただくのは当然ですが、例えばバイオリン奏者でもプロ野球選手でも、自分の収入のことを考えずに稽古だけに専念すればよいとはいかないと思う。文楽をどう広げるか、お金のことも含めて考えていただきたい」

(MSN産経ニュース「【ZOOM】文楽VS橋下騒動から見えたもの “行革”と伝統芸能の溝、露呈」より 2012/10/09 08:22)

国や自治体が求める「成果」と、芸術を生み出す「道程」。高木さんは学生や子供たちに音楽を指導する立場から、『音楽教育インフラ』の整備について、官と教育現場との乖離を次のように指摘する。

「イベントなどで子供たちが音楽に触れる機会は多くなってきています。予算がつきやすいものは、文化交流であったり、ワークショップなどのイベントであったり、成果がすぐに表に現れやすい、見えやすいものなんです。

 

しかし、芸術を志す若者にとって一番必要なのは、練習できる「環境」。古い学校ですので、練習室など老朽化した学校の施設をリフォームしているのですが、予算が満足に下りず、防音設備を十分に整えられない。

 

また、学生たちに指導する講師も足りません。私の教える管楽・打楽の専攻では、フルートのほかに、オーボエ、クラリネット、ファゴット、サクソフォーン、ホルン、トランペット、トロンボーン、ユーフォニアム、チューバ、そして打楽器という11種類の楽器を扱いますが、専任講師の数は7人しかいない。学生が相談をしたくても、担当の先生が非常勤のために学校にはいないという楽器専攻の子もいるのです。

 

東京藝術大学は世の中から見るとメジャーなのかもしれないですが、社会的地位で言うとマイナーなのかもしれないと、講師の間で話すこともあります」

スター演奏家として喝采を浴びるのであれば、音楽家の社会的位置は高いだろう。素晴らしい演奏に人々は感動し、再び音楽に対価を払うという好循環を生むことにもなる。しかし、素晴らしい演奏をするためには、一にも二にも練習なのだ。

ところが、練習は舞台裏のものであり、表には現れない。ましてや、その結果は即効で現れるものではなく、長い時間をかけて生み出されるものでもある。国や自治体が現在行っている補助制度は、長期的視野に立ってみたときに効果的なのか。2014年度の文化庁予算案では「世界に誇るべき『文化芸術立国』の実現を目指す」と謳ってあるが、芸術家の人材育成の予算は2013年度よりも減らされている。

■芸術とアベノミクス

国や自治体からの支援ではなく、ビジネス面から見た現状はどうなっているのか。

「今が一番、仕事が無いピークと言ってもいいと思います」

高木さんは現状の音楽業界をそう分析する。アベノミクスでデフレ脱却と言われているが、それが芸術家へも波及されるのは3年後、4年後になるという。

「景気が悪いと財布の紐を締めなきゃって思うでしょう。そんなときには、芸術分野が真っ先に影響を受けますよね。

そして、景気が良くなったかなと思っても、戻りが遅い。世の中は回復基調であっても、担当者がまだ早いと判断すれば、流れることもある。予算が余ったときになって、やっと音楽に使おうかなという具合なんですね」

高木さんの夫で、自らもトロンボーン奏者の松永英也さん(37)もそう続く。アベノミクスの効果については、音楽家にとってはまだまだ予断を許さない状態だという。

「良い音楽家も演奏家もいっぱいいるが、アベノミクスの効果が出るまでに、どうか芽をつまないようにして欲しい。なんとか若いかたたちが発表ができる機会と場所が、増えればと思います」

■あふれるクリエイティビティ

それでも芸術家のあふれるクリエイティビティは止まらない。高木さんは今、モーツァルトがバイオリンのために書いた曲を、フルートで演奏することにチャレンジしている。2月9日に紀尾井ホールで披露するヴァイオリン・ソナタ第28番や30番は、モーツァルトが我慢しながらフルート協奏曲を作曲した合間にできた曲でもある。

フルートはメロディーを追う「単音楽器」だが、モーツァルトの魅力を崩さず、まるで「フルートの為に書かれた曲」のように、バイオリンのメロディを演奏できるかが課題だと、高木さんは話す。

「モーツァルトに、聴かせたいですね。今、こんなことができる時代になったよって」

楽器が進化を遂げたことで、均一の音を出せるようになったフルート。今度は人の技量が試される番だ。

フルートは息を使う楽器のため、オペラを歌うことに似ているという。息の使い方がフルーティストの持ち味となり、個性となる。高木さんは、フルート演奏で見られる個性を、次のように説明する。

「フルートのイメージというと、きれいだとか優しいとか、鳥の声とか、美しいイメージで例えられることが多いんですけれど、生の人間が、体から出す息をつかって奏でるもので、声楽と同じようなことだと思うんです。体の中のものを使って音を出しているので生々しいというか、ドロっとした人の感情も、演奏に出てきます」

フルート演奏は体力的にもしんどいことでもあるという。モーツァルトの「ヴァイオリン・ソナタ」は、1曲が20分を超える。その間ステージに立ちっぱなし。湿気がこもり、水もたまる。

それでも、観客を魅了したい。その思いは、モーツァルトの時代から変わらないだろう。

モーツァルトが今、生きていたとしたら――。

フルートを好きになってくれるのか。そしてアベノミクスや補助金制度に何を思うのか。

高木綾子さんとご家族:3人の子供の前では母親の顔

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高木綾子(たかぎ・あやこ):東京藝術大学大学院修了。第70回日本音楽コンクールフルート部門第1位、ジャン=ピエール・ランパル国際フルートコンクール第3位、神戸国際フルートコンクール第3位など多数の受賞歴を誇る。2000年にCDデビューを果たし、これまでに12枚をリリース。現在、東京藝術大学准教授,洗足学園音楽大学客員教授を務めるなど後進の指導も行っている。

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