やしきたかじんさん、知名度が東京で低い理由とは

歌手やテレビ司会者として人気のタレント、やしきたかじんさんが1月7日、64歳で亡くなった。食道がんで休養中だった。なぜ、たかじんさんは関東で知名度が低かったのか。
時事通信社

歌手やテレビ司会者として人気のタレント、やしきたかじんさんが1月7日、64歳で亡くなった。食道がんで休養中だった。

大阪市生まれのたかじんさんは、1976年に歌手デビュー。1984年に「あんた」、1986年に「やっぱ好きやねん」などがヒット曲を次々に送り出した。鋭い話術や歯に衣着せぬ発言が人気を呼び、テレビやラジオ番組で活躍。たかじんさんの冠番組は高視聴率を誇り「浪速の視聴率男」「関西の視聴率男」などの異名を持っていた

このように、大阪では圧倒的な知名度を誇るたかじんさんだが、関東での知名度は低い。死去のニュースは、ネット上でも西高東低の反応が見られた。Twitterでも、以下のような声がツイートされている。

関西人にとって、たかじんはテレビになくてはならない存在。

関東人にとってのタモリさん位の存在だと思う。

— ことばさがし (@Kotoba_Sagashi) 2014, 1月 8

たかじん死去のニュース、西日本勢の「えっ!?」っていう反応と東日本の「誰だよ・・・」っていうのに見事に二分されてて不謹慎だけどちょっと面白い

— 榛名ちゃん天使教団@イフ鯖 (@Ikalga) 2014, 1月 7

なぜ、たかじんさんは関東での知名度が低かったのか。たかじんさんは、冠番組の東京での放送を拒否していたという。東京への対抗意識が関西で受けたようだ。

自分の名前を冠したテレビ番組を「東京で放送されるなら辞める」と関東エリアへのネットを拒否した。以前、東京キー局の番組に出演して、思い通りにならなかった不満があるらしいが、その時の武勇伝が面白おかしく伝えられる。

すべてが東京に一極集中し、情報も東京発信で、芸能人・タレントはメジャーになるため東京進出を目指す。そんな風潮に逆らう姿勢が、何事にも東京への対抗意識を燃やす関西でうけた。

(MSN産経ニュース「【浪速風】「視聴率男」の東京嫌い」より 2014/01/08 12:30)

一方で、たかじんさんの「東京嫌い」を、読売テレビの山西敏之制作局長はを否定している。生前、よく「いつか東京の人にも見てもらうようになるんだ」と話していたという。

ゲスト出演する評論家やタレントは大半が関東在住。たかじんさんの意向で、出演者用の弁当は京都のすし店から取り寄せ、帰りの新幹線でも食べてもらえるようにした。

たかじんは東京が嫌い――。山西さんはそうした見方を否定する。「東京制作の番組が多いなか、大阪発信で支持を得て、東京の人に見てもらうようになるんだ、といつも話していた」という。

(朝日新聞デジタル「毒舌の裏に気配り、視聴者目線追求 たかじんさん死去」より 2014/01/08 12:17)

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