■マグレブ(アフリカ北西部)版「アミナはフェメンを辞めた『反イスラム団体に名を連ねたくない』」(8月20日)」
2013年6月24日に開設されたマグレブ版ハフィントンポストが、この半年でどれか1本を選ぶとしたら、間違いなくアミナ・スブイだろう。
アミナ・スブイは、またの名をアミナ・タイラーとも言い、19歳のチュニジア人女性だ。チュニジア人で初めて「フェメン」の活動家になったことで知られる。フェメンはウクライナ発祥のフェミニズム団体で、街頭でトップレスになって抗議する、過激な活動で有名だが、アミナは8月20日のマグレブ版ハフポストとの単独インタビューで、フェメンからの決別を宣言した。主要メンバーであるインナ・シェフチェンコの「反イスラム」と「疑わしい資金集め」に疑問を抱いたからだという。
このスプラッシュはいろいろな意味で興味深い。
スプラッシュの読者は、赤く染めたショートヘアのアミナがタバコを吸っている頭しか見えない。本人がフェイスブックで公開した全体の写真(スライドショーの15枚目参照)では、トップレスのアミナが、空の酒瓶でつくった爆弾のようなものでタバコに火をつけている。胸には「あなたの民主主義なんていらない」と書かれているのが読める。この写真は、チュニジア社会におけるいくつかのタブーを破っている。
単独インタビューであることも大きな特色だ。2010年12月17日に始まった「アラブの春」で、読者は社会、政治分野の独自記事に期待を抱くようになったからだ。
アミナがフェメンと決別したことは、大きな波紋を呼んだ。アミナは「墓石を冒とくした」という容疑で投獄されていたが、その間、チュニジアの運動は外国から来た活動家によって支えられていた。3人の外国人活動家がチュニスでトップレスで抗議活動をして逮捕された。アミナは、フェメンが反イスラム主義で疑わしい資金集めをしていると批判したが、その言動は活動家たちを怒らせた。通信社や各地の新聞、欧米のメディアも大きくこの発言を報じた。新興メディアのマグレブ版ハフポストによる、初のスクープだった。
■革命と独裁の終焉
チュニジアは「ジャスミン革命」から3年を迎えた。貧困にあえぐ地方の青年が不正、貧困、不平等に抗議して焼身自殺したのが2010年12月17日。1カ月後、ベン・アリ大統領の独裁政権は崩壊した。
「労働、自由、尊厳」は革命のスローガンだった。すべての要求の中心に自由があり、チュニジア人に共有されていた。いまだ自由は厳しく試されている。恐怖政治の廃止により、近代化を志向する人々と保守主義者という、2つの社会的勢力の対立が鮮明になった。
アミナはフェメンの服を脱ぎ捨てた。その写真は新たな自由、彼女が直面する困難、チュニジア社会の矛盾を描き出している。
■近代化の中の保守主義
2011年10月23日の選挙で、イスラム主義者やサラフィスト(イスラム教スンニ派による過激派勢力)が議会で多数派となった。イスラム教の伝統の重さか、自由の制限か。チュニジア・フェメンによるトップレスの抗議行動は、論点の一つにもなっている。
アミナは迷える若者の象徴でもある。街頭で、テクノロジーとソーシャルメディアを通じて「革命を起こしたのは自分だ」と常に主張してきた。抵抗、自由への乾き、生意気で希望に満ちた姿、それはチュニジア人の若者であり、アミナなのだ。
(ウエイダ・アヌアル編集長)
マグレブ 【Maghreb】
《アラビア語で西の意》アフリカ北西部のモロッコ・アルジェリア・チュニジアの地域の称。リビアを含むこともある。かつてはスペインも含めてよばれた。
( コトバンク「マグレブ とは」より)
世界9カ国に広がるザ・ハフィントン・ポストのネットワーク。各国版の編集長が選んだ、2013年の各国イチ押しスプラッシュ(トップ記事)を紹介します。
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