猪瀬直樹・東京都知事は12月18日午前、辞職願を都議会議長に提出した。医療法人「徳洲会」グループから5000万円の資金提供を受けていた問題で、都政に混乱を招いた責任を取ったという。午前10時半から都庁で緊急記者会見を開き、辞任に至った経緯を説明した。
■猪瀬直樹知事 記者会見 発言全文
私はこのたび、東京都知事の職を辞する決心をいたしました。先刻、吉野都議会議長に辞職を申し出、議会において同意頂くようお願いをいたしました。
私の借入金問題につきまして、都議会本会議、総務委員会での集中審議、あるいは記者会見で自分なりに都議会の皆様、都民、国民の皆様に説明責任を果たすべく努力してきたつもりであります。しかし残念ながら私に対する疑念を払拭するにはいたりませんでした。ひとえに私の不徳の致すところであります。
思い起こせば1年前、多くの都民の皆様から付託を頂き、この都庁で知事就任記者会見をいたしました。以来、日本の心臓である東京を力強く鼓動させることで、日本全体に安心と希望を広げるよう懸命に仕事をしてきたつもりであります。チームニッポンの一員として2020年の東京オリンピック、パラリンピックの招致を成功させることもできました。
そして日本が長いトンネルから抜け出し2020年に向かってスタートダッシュしなければならない大事なこの時期に、私の問題で都政を停滞させるわけにはいきません。国の名誉がかかった五輪、パラリンピックの開催準備を滞らせるわけにもまいりません。今、ここに至り、この局面を打開するためには、私が自ら都知事の職を退くよりほかに道はない。そう決断しました。都民、国民の皆様には大変心苦しく、申し訳なく思っております。深くお詫びもうしあげます。
これからは都政に携わってきた経験も活かし、一人の作家として都民として都政を見守り、恩返しをしたい。そう思っています。
最後になりますが、東京と日本の発展、2020年オリンピック、パラリンピックの大成功を心より祈念いたします。
Q:疑惑が持ち上がったとき、潔く辞めていれば作家として生き残る道はあった。なぜここまで長引いたのか。
私なりに疑念を払拭できなかったのは不徳の致すところですが、できるだけ説明をしようと努力したつもりであります。今これ以上都政を滞らせていけないというつもりで辞任を決断しました。できるだけ、できる限り説明をしたいと思ったんです。
Q:ずっと辞職の考えはないと説明してきたが、なぜここへ来て突然、辞職に至ったのか。東電病院の件か。徳洲会側とこの話をしたことはないと知事は話していたが、徳洲会側は「した」と証言している。この問題が一部報道されてから知事が辞職に動いたのではないか。
その問題と直接関係ありません。ひとつは一昨日、石原前知事とお会いしまして、「やはり都政をこれ以上停滞させるわけにはいかないね」というふうなことで決断をいたしました。それから昨日、僕の当時の選対責任者だった川渕三郎キャプテンにお会いして、「やはり東京オリンピックを何とか成功させなければいけない」ということで、「これ以上都政を停滞するわけにいきませんね」ということでご相談申し上げ、決断いたしました。
最初のご質問ですが、確かに記憶の中では残っていなかったが、NHKの報道でもそういう会話があったというぐらいのところだったと思います。ただし東電(病院)の売却は株主総会で昨年6月にそういう方向になったということでありまして、そのあとは東京電力において競争入札が決定されるので、売却の手続きは全部、東京電力が行うもので、東京都とは関係ありません。以上です。
Q:徳洲会からの5千万円は結局、生活資金なのか。選挙資金なのか。
すでに繰り返しご説明申し上げてきましたが、個人的にお借りしたものであります。そのお借りしたものをお返ししました。借用書もお見せしました。当時、昨年11月ごろ、自分の選挙がどうなるかという不安の中で、選挙がだめだった場合には、有名の候補がまだいっぱい出そうだということで、生活の不安があったのでお借りしましたが、そのあと当選したので返そうということでお返しする算段をしていたところ、それが少し遅れていたとご説明しました。以上です。
Q:ファクトとエビデンスを重視する作家だったと思うが、これまでの会見や議会での答弁内容はファクトに忠実に発言していたと宣言できるか。
あの、できる限りファクトに忠実に発言してきたつもりですが、一部に記憶違いがあったりとか、1年前の何月何日何時どうだと言われても、一瞬で答えられないことがありましたので、小さな間違いがいくつかあったということでありまして、基本的にはかなりファクトを重視して説明したつもりであります。
Q:ツイッター展開など、ネット重視を掲げてきた。たとえばそうした方法で、都民に猪瀬さんらしいやり方で説明する方法はないか。
できるだけ説明をしていきたいと思っております。昨年の今頃都知事になったわけですけども、すぐに各部局にツイッターで毎日毎日情報を発信して、特に防災関係、情報を常に発信していくという方法で、都庁の情報発信能力を高めてきたつもりでありますが、これからも自分自身が作家に戻り、いろいろ自分自身の情報を発信していきたいと思っております。
Q:賄賂性を疑われても仕方ないと、借りるときに思わなかったのか。
当時はちょうど、石原知事がお辞めになるということで、各業界、各団体の人に毎日毎日お会いして回るという状況の中で、たまたま個人的に貸してくれるという人がおりましたので、それはお借りしましたが、しかしそれはお借りすべきでなかったと思っております。それはとても、アマチュアの、政治家ということについてよく知らない、アマチュアだったなと思っております。ですから、都政を進める上で政策について一生懸命やってきたつもりですが、そういう政務的なものについての知識が足りなく、ものの考えが至らなく、そして当時は皆さんが応援してくれるというので「お願いします、お願いします」と言っている中にそういうものが入ってきていて。そういうことは僕は、当時やや傲慢になっていたんだなと反省しています。
Q:どのようなおごりがあったか。知事として何をしたかったのか。新しい都知事にどんなことをしてほしいか。
まずは政策について、自分はかなり精通していると思っておりましたが、いわゆる政務ということは大変その、アマチュアだったと反省していて、政治家としてずっとやってこられた方は、常にどういうものを受け取ったらいけないかとか、そういうことについて詳しいということもありますし、皆さんに対しても非常に腰が低い。そういうところがあると思います。しかし僕の場合は、政策をちゃんとやればいいだろうと、ややそういう生意気なところがあったと反省しております。
2番目は何でしたっけ。プロフェッショナルな政治家という意味では僕は失格ですが、ただ逆にプロフェッショナルな政治家しかいない世界に、新参者として、作家として政策についていろんな発想をもって登場するということが、そういう意味では、去年実は僕が都知事になったこと自体が一つの事件だったと思います。
つまり、いままでの常識をよく知らないところに触媒のような形で僕が現れたんだと思います。しかしプロの政治家としての厳しさを知らないところがあって、それでせっかく434万人の皆さんの付託に今十分に答えられていないということで、大変反省しております。
もう一つ、これから2020年東京五輪、パラリンピックをどうしても成功させていってもらいたいなと思います。だから次に都知事になる方は、本当にスポーツに明るく、東京をスポーツにあふれた都市にする、オリンピック、パラリンピックを迎えるのにふさわしい、そういう方が次の都知事になってくれたら本当にすばらしいなと思います。
Q:百条委員会の設置が決まった。都議会側の動きが辞任判断に影響を及ぼしたのか。
正確にはそうではありません。(都議会)総務委員会で僕なりに説明をしつくしたつもりでおります。ただ、夏から組んで来た予算とかそういうものがこの年末の時期に、年明けには本当はもう知事査定があるわけです。そういう段階で、これ以上都政を停滞させて、百条委員会つくっても職員がずっと当たったりとか、いろんなことをやらなければいけないわけですから、これ以上都政を停滞させてはならない。予算の問題もあるし。それからオリンピックの組織委員会もつくらなければいけない。そういうときに、これ以上、私の不徳の致すところの問題ではありますが、この問題で時間を費やすことは許されないなということで、都知事を辞職する決断をしました。
Q:石原さん、川渕さんとは具体的にどういう話を。
石原前知事にはオリンピックが招致成功した後にご挨拶に行きました。それは9月ぐらいだと思いますがね。そして今、これから組織委員会を立ち上げなければならない時期になっていた。もともと石原前知事がこのオリンピックをやろうと提案されたわけですね。それをやった上で、今こういう時期に都政が停滞して、オリンピックが進められないような状況になっていることに対して大変申し訳ないと。石原前都知事も、そういうことだったらここで辞職することにしようじゃないかとお話ししました。
それから川渕チェアマンは、東京オリンピック、パラリンピックをどうしても成功させたい。川渕チェアマン自身が成功させたいという気持ちが非常に強い。だから「猪瀬さん、ここはいったん打ち切ろう」と。「これから自分が東京オリンピック、パラリンピックを一生懸命支えていきます」と、非常に温かい声をかけて頂きましたので、今日会見することにいたしました。
Q:今後、一切都政に関わっていくつもりはないのか。
都政に直接関わることはないとしても、いろいろとここで勉強したこと、感じたことを含めて、外側から恩返しはさせて頂きたいと思っております。
Q:回りから「説明責任は果たされていない」という声が多く聞かれる。今後、説明責任を果たされていくつもりはあるのか。どういった形で、どのようにしていくのか。
これまでも説明してきましたが、かなり詳しく説明したつもりではおりますけれども、説明がもし足りないのであれば、さらに説明を加えていきたいと思います。まずは都知事をやめることになりましたので、自分なりの説明の仕方をこれから考えていかなければいけないと思います。
Q:高村(自民党副総裁)さんは「シロであっても外形的な事実で問題がある」と。どう思うか。
それは高村さんのご意見だということで承っておきますが、私個人としては、説明してきたように、お借りしたものをお返ししたということで、特別何か依頼されたり、こちらから頼んだことはありませんので、直接関係ないと思っております。はい。
Q:知事職への未練はあるか。
オリンピックを、とにかく決めることが出来て、これはチームニッポンの力ですけど、本当に良かったと思ってます。プレゼンの前の日は金メダルしか取れないんだと、前の晩かなり緊張して休みました。そういう意味で、さきほどちょっと申し上げたのは、次に都知事になる方は、2020年オリンピック、パラリンピックをぜひ成功させてほしい。そして本当に東京をスポーツやアートにあふれる街にしていく、そういう信頼されるべき人、そういう人になってもらえれば、自分のやったことは少し、今回オリンピックで頑張ったりしたことは、受け継がれるし、むしろそういうものを2020年に向けて、とにかく成功させるためのふさわしい人間が次に現れてくれたらいいなと、本当にそう思ってます。心の底から。
Q:知事としてその成功を見守りたいという気持ちはなかったのか。
次の方がきちんとやってくれれば、それはもう本当に素晴らしいと思っております。そしてその、2020年の成功を見届けたいと思ってます。
もちろんこれ、2020年オリンピック、パラリンピックが決まったということは、やはり歴史的なことだったと思います。チームニッポンの力が発揮された。チームニッポンというものができたんだ、できたんだから、これから政府も東京とも、あるいは民間も財界も都議会も、いろんな人々も、チームニッポンができたという記憶をもって、2020年東京オリンピック、パラリンピックにみんなが一つになって向かっていただければ、僕はそれで満足です。
Q:未練はないということか。
だからそれで満足だって。
Q:この1カ月の気持ちの変遷を聞かせて欲しい。徳洲会のお金は色んな人に渡っているが、なぜ都知事だけが批判されたのか。どう思っているか。
さきほども申し上げましたが、僕は政策をやっていくのが仕事だと思っていましたので、いわゆる政務というか、そういうものにとても疎い、アマチュアでありましたので、そういうお金をお借りしたということについて、本当に不徳の致すところで、これはもう反省するしかないわけであります。そしてそれはもちろん、お返しするチャンスも何回もつくっていたわけですが、それをご説明させていただきました。お返ししましたけれども。そういうことで、この問題はやはり、自分にとっては、つまり僕が都知事になったこと自体が、アマチュアの政治家なわけですね、政策については詳しいけども。だから最初に言いましたが、僕自身がなったこと自体が異例のことだと思っておりました。異例であるという意味で、それは誇っているのではなくて、ある意味では謙虚な気持ちで今申し上げているんですが、そういうことなので、これはやめるべきときがきたらやめるしかないなということも考えておりました。
Q:1年間の給与返上を表明したということは、少なくとも1年は職務を続けるつもりだったのでは。なぜこのタイミングで辞めたのか。百条委員会で知事のスタッフが呼ばれる可能性もあった。仲間を守るために自ら辞任を考えたのか。
都政をとにかく停滞させてはならないと、先ほど申し上げましたが、それはそれでいろんな人たちが、職員が関わらざるをえないわけでありますから、そういう気持ちがいちばん先に立ちまして、ですからまずは給与の返納とか考えましたが、やはりこれ以上都政を停滞させてはいけないという気持ちがいちばん強いです。さきほど言いましたように、予算の時期であり、しかもオリンピックの組織委員会、これは立ち上げなきゃいけないです、2月にはですね。ですからもし今から僕がここで辞めれば選挙が1月中、2月あたまぐらいにはなるかもしれませんが、すべては新しい知事に受け渡すことができますので、そこで組織委員会の人事も決められますから、そういう意味で、今ギリギリここで辞めるのがいちばん都政を停滞させないポイントだなと思っております。そう思って決めました。
Q:チームニッポンのメンバーには話はしたのか。
チームニッポンでオリンピックが成功したわけですね。これは太田勇貴選手や、滝川クリスタル、クリステルさんや佐藤真海ちゃんや、いろんな人たち。それからもちろん国会議員、都議会議員、それから政府の関係者、東京都職員、あるいはJOCメンバー、スポーツ関係者、皆さんが一つになってチームニッポンができて、オリンピックを勝ち取ることができた。チームニッポンができたという自信を都民が持っていただければ、そしてそれを引き継ぐ人が僕の代わりに、これから組織委員会を立ち上げてくれると思っていますので、そこに期待していきたいと思っております。
Q:就任されてから電力改革、地下鉄一元化など斬新な政策をやってきた。都庁に積み残していかれるのはどういうお気持ちか。1年でおやめになる。70年の歴史の中でどういう意味を持つ都政だったか。
今のご質問は、いろいろな改革の種を蒔いて少し育ててきて、プロジェクトいくつかやってきましたね、それはそれで僕はその芽は育っていくものだと思います。
2つめの質問に対して申し上げますと、先ほどちょっと言ったんですけど、政治家が政治をやるということで、それはそれですばらしいことなんですが、政治の世界のプロでない人が1年間都政を担って政策中心にやってきたということで、ある種のいろんな意味での触媒効果みたいなものはあったのではないかなと。それを特に、自分の中ではね、人にない発想とかいろんなもので仕事をしていたわけで、それは作家的なセンスの問題でやっていたということになると思いますが、ただし70年の都政の歴史の中で1年間そういう時代がちょっとあったなと思って頂くということですね。また政務がきちっとできるプロの方、あるいは東京オリンピック、パラリンピックを何とか成功させるためにチームニッポンを作っていってくれる方に後は託したいなと思っています。
(以上)