阪神タイガースOBの掛布雅之氏(58)が、引退以来25年ぶりに縦じまのユニホームに袖を通した。11月2日からの秋季キャンプに「GM付育成&打撃コーディネーター」の肩書で指導に汗を流している。阪神が日本一になった1985年の中心選手だが、球団との確執などもあり監督やコーチの役職にはまったくついていなかった。往年の人気選手の再登場に、ファンは喝采を送る。
日本シリーズの熱戦が続いていた11月の3連休から、掛布氏は高知県安芸市での秋季キャンプに現れ、若手を中心に打撃練習などを見守っている。
午前9時45分に球場入りすると、まずは選手に訓示。練習が始まるとグラウンド内を精力的に移動し、打撃だけでなく三塁の守備練習をしていた新井良、今成には「いい競争しろよ!!」と言葉をかけた。屋外でのフリー打撃が始まるとケージ後ろで野手全員に身ぶり手ぶりでアドバイス。
(サンスポ・コム「虎の掛布劇場開幕!合流初日いきなり収穫見つけた」より 2013/11/3 05:03)
伊藤隼には「怪童流」指導だ。前日2日の夜間練習で個別指導した。阪神伊藤隼太外野手(24)は畳のすれる音を響かせながらマンツーマンでスポンジボールを打ち込んだ。これは掛布雅之GM付育成&打撃コーディネーター(DC=58)が現役時代の打撃コーチだった中西太氏(日刊スポーツ評論家)の指導法。打撃練習では弓を放つポーズなど身ぶり手ぶりで打撃道を伝授された。隼太は「柔らかく使うことと体を平行に回すこと。回すための体の使い方ですね。意見交換もしました」と笑顔だった。
(日刊スポーツ「掛布DC、伊藤隼に「怪童流」個別指導」より 2013/11/4 11:13)
掛布氏は1973年秋にドラフト6位で阪神に入団。79、82、84の各年に最多本塁打のタイトルに輝くなど主軸打者として活躍した。85年には「バース・掛布・岡田」のクリーンナップによるバックスクリーン3連発など、打線爆発の阪神で4番打者に座り、21年ぶりのリーグ優勝と初の日本一に輝いた。
しかし、現役引退後、指導者として復帰することはなかった。朝日新聞デジタルが以下のように報じている。
かつて掛布さんと球団の間には、溝があったとされている。一因は、現役だった87年の飲酒運転による道交法違反容疑での逮捕。安全第一を掲げる阪神電車のイメージを損ねかねない事態に、当時の久万俊二郎オーナー(故人)が「欠陥商品だ」と言った。
その時のショックからか、関係者によると、球団への不信感を抱いた時期もあったという。引退後は巨人に近い日本テレビで解説者生活を送った。一方、金銭を巡るトラブルも報じられた。2011年、実質経営する会社が約4億円の負債を抱え事実上倒産。イメージを大事にする阪神が声を掛けづらい面もあった。
(朝日新聞デジタル「(FOCUS)掛布さん25年目の復帰 球団との溝越え」より 2013/11/5 13:37)
その久万氏も死去し、掛布氏も球団関係の仕事を引き受け、信頼関係も回復してきたという。
ここ数年は、阪神戦を中継するケーブルテレビなどの解説者に起用され、1軍だけでなく2軍も観戦。現場を歩き、古巣への愛情を込めた提言が、周囲の支持を得ていた。ある球団幹部は「チームのことを外から見て分析していたし、国内での指導歴はなくても、実績を考えれば不安はない」と明かす。
(朝日新聞デジタル「(FOCUS)掛布さん25年目の復帰 球団との溝越え」より 2013/11/5 13:37)
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