2014年の夏、軽井沢に新しい学校が誕生する。その名も「インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢(以下、ISAK=アイザック)」。アジア太平洋地域で幅広く活躍できる、リーダーシップを発揮できる人材の育成を目指すインターナショナルスクールだ。その設立に情熱をそそぐのがISAK設立準備財団代表理事の小林りんさん(写真)。2012年に、世界経済フォーラムのYoung Global Leadersに選出。今年は日経ビジネス「チェンジメーカー・オブ・ザ・イヤー2013」やアエラ「日本を立て直す100人」などに選ばれた。自ら変革を起こす小林さんに、グローバル教育を目指すISAKのミッションや、学校設立を志した小林さんの原体験を聞いた。
■日本に、世界中の子供たちが集う学び舎を
ISAKの開校に先がけてスタートしたサマースクールは、今年で4回目。中学2〜3年生を対象にしたこのサマースクールに、なんと世界35カ国から400人近い応募があったという。面接やエッセイなどの選考を経て、実際に19カ国から95人が参加した。
国籍だけでなく、経済的にも、宗教的にも、さまざまバックグラウンドを持つ生徒が軽井沢に集まり寮生活を送る。そして、7月に竣工したばかりの校舎(写真)で、世界のインターナショナルスクールで教える先生陣によるインタラクティブな授業が行われる。
「カフェテリアの運営も生徒にまかせます。配膳の仕方、席順なども生徒で決めさせるんです。日本人同士なら育った環境も文化も似ていますが、文化が違う子たちが集まるので、最初は配膳に40分かかることも。でも、大人は口を出さない。子供たちが自分で答えを見つけるのを辛抱強く待ちます」
食事のひとときも、多様性を学び、問題を見つけ解決していくカリキュラムのひとつ。こういった濃密な2週間のサマースクールによって、子供たちは多様性を学び、驚くほどの変化を見せるという。
■世界で活躍できるチェンジメーカーを育成する学校
ISAKは、「アジア太平洋地域で幅広く世界に活躍できるリーダーシップを発揮できる人」を育てることをミッションとしている。それぞれが情熱を注げる分野で、変革を起こせる、チェンジメーカーを育てることを理念としている。学校生活を通じて養うのは、1)多様性に対する寛容力、2)問題を見つけ解を導く力、3)リスクをとる力 という3つ力だ。
文科省の教育課程特例校指定を受けて、ISAKの授業はすべて英語で行われる(写真)。また、ISAKは1条校として認可を受ける予定であるため、日本の高校卒業資格を得られることはもちろん、日本で初めて全校生徒に国際バカロレアディプロマプログラムを導入*する高等学校となるため、卒業後は世界中の大学へ進学できる可能性がある。
*現在ISAKは、国際バカロレア認定候補校として認められており、開校後の審査を経て、認定校となる予定。
自然豊かな軽井沢で、最高レベルのカリキュラムを実践し、全員が寮生活を送る。そうなると授業料や寮費は決して安くないが、開校までに50%の生徒が、部分または全額の奨学金を得られるような仕組みにするという。奨学金枠は、学校の理念に共感した個人の寄付を中心に、セコムや武田薬品工業をはじめとする企業なども支援している。
従来の日本の高校とは一線を画す、新しい学校が誕生しようとしている――。なぜ小林さんがこの学校を設立することになったのか。そのきっかけは、高校生のときの忘れられない体験にあったという
■高校1年生で単身カナダ留学、メキシコで教育格差を知る
東京の進学校に入学した小林さんは、先生のアドバイスもあって高校を1年で中退。奨学金を得て単身カナダに留学する道を選ぶ。そこは、2学年約200人の生徒が世界86カ国から集うユナイテッド・ワールド・カレッジ。生徒のほとんどが、国から奨学金をもらって留学しにきている学校だった。そして、夏休みに遊びにいったメキシコ人の友だちの実家で、小林さんは教育格差を目の当たりにする。
「友だちの家では、コンクリートのブロックを積み上げたバラックのような狭い部屋に、家族8人が暮らしていました。教育熱心な親御さんのもとに生まれた彼女やほかの兄弟4人は、みんな英語がペラペラ。でも、奨学金をもらうことができた彼女だけが高校へ。お兄さんは、自動車の修理工をしながら専門学校に通っていました」
「メキシコでは、これが中流だよ」と友だちはいう。冬休みに再び訪れたメキシコで、スラム街に暮らす貧困層の存在を知り、その言葉の意味を理解した。「自分がいかに恵まれているかということを実感しました。このときに、その立場に生まれた人間が背負うべき使命感、社会的な使命のようなものを強く感じたことを覚えています」と、小林さんは話す。漠然と、貧困層教育を通じて社会を変えたいと思った瞬間だった。
■貧困層教育によって感じた、リーダー教育の必要性
こうして小林さんは、教育を通じて貧困層の識字率を上げ、彼らが選挙を通じて自分たちで国の未来を切り開いていくサポートをしたいと思うようになった。その夢を胸に、東京大学で開発経済を学ぶ。卒業後は、外資系金融機関でビジネスの基礎を学んだ後、ベンチャー企業経営、国際協力銀行での勤務を経て、スタンフォード大学院で教育政策学の修士号を取得。その後、ユニセフのフィリピン事務所に着任し、念願だった貧困層教育に携わることなる。
そこでは、プログラムオフィサーとして主にストリートチルドレンのベーシックリテラシー向上のための教育や職業訓練を手がけ、一人ひとりの人生が大きく変わっていくのを支援した。この仕事には大きなやりがいを感じていたが、一方で、貧困層が生まれる社会の悪循環が変わらない限り、ストリートチルドレンの数は減らないのではないかと感じ始める。
貧困層教育ももちろん大事ではあるが、変革を起こすことのできる立場にいる指導者層が変われば、貧困が生まれる社会構造自体ががらっと変わる可能性がある。「実際に大統領が変わっただけで、フィリピンの汚職がすごく少なくなりました。必ずしも政治家や経営者である必要はないですが、フィリピン独立の英雄となった芸術家のホセ・リサールのように、社会に変革を起こせるような人を育てる教育が必要であると感じました」と小林さんは語る。
■日本に、チェンジメーカーを育てる学校を作る
貧困層教育からリーダー教育へ。小林さんが新しい一歩をふみだしたときに、大学の同級生だった岩瀬大輔さん(ライフネット生命保険株式会社代表取締役社長)の紹介で、谷家衛さん(あすかアセットマネジメント株式会社代表取締役会長)に出会う。こうして、谷家さんが思い描いていた学校の構想を知ることになる。2007年のことだった。
「谷家から、学校の構想を聞いて、これまでのキャリアパスが、すべてこのために繋がっていたんだなと思えました。高校を中退し留学したあたりから、全部がつながっているんだなと。心から情熱を感じる分野で、私のペースで、これまでの経験が活かせる初めての仕事だと思いました」
「理想の学校をつくろう」谷家さんとともに、小林さんの夢が動き出す。リーダーシップ教育に重きをおき、アジア的な価値観を取り入れたインターナショナルスクールを——。教育を通じて社会を変えたいという小林さんの強い想いが、学校という形で結実する。ISAKの開校に向けた挑戦がはじまった。
高校を中退して留学する道を選んだことで、さまざまなキャリアパスを歩むことになった小林さん。広い視野を持ったことで、アジアに日本に必要な教育のあり方を思い描くことができたのだろう。
「日本の高校での私の成績は、数学は赤点、英語はほぼ満点。でも受験のためには五教科万遍なく高得点を取ることを求められた。もっと得意なことを伸ばしたい。そんな想いから、留学を決意したんです。結果、留学したことで途上国支援に携わるという目的を持てた。目的があれば、意外と勉強はできるものです」と小林さんは笑った。
※軽井沢にグローバル教育を目指すインターナショナルスクールが誕生します。この新しいプロジェクトについて、どう思いますか? 小林さんの歩みについてどう思いますか? あなたの意見をお聞かせください
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