任天堂の元社長の山内溥(やまうち・ひろし)さんが9月19日、肺炎のため死去した。85歳だった。朝日新聞デジタルなどが報じた。
山内さんは早稲田大在学中の1949年、家業の花札、かるたの製造・販売業の山内任天堂(1963年に「任天堂」に社名変更)の3代目経営者に就き、翌年早大を中退した。
山内さんが社長についた後、任天堂は花札メーカーから、玩具、続いてビデオゲームに進出。1983年に発売した家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」が大人気となり、任天堂を世界的なテレビゲームメーカーに押し上げた。
山内さん死去のニュースは、海外のメディアも速報している。
CVGのロブ・クロスリー副編集員は、「この人がゲーム業界にもたらした影響は見くびれない」とBBCに話した。「この人が社長のときに作られたNES(ファミコンをベースにしたゲーム機)やスーパーファミコンは、電子エンターテインメントの変革だった」
(BBC「Nintendo visionary Hiroshi Yamauchi dies aged 85」より。 2013/09/19)
The Telegraphでは、山内氏が倒産危機に見舞われたこともあったことから、任天堂が無借金経営に転じたと報じている。
1960年代、会社は製品ラインを広げすぎたことがたたって、倒産の危機に面したことも何回かあった。この経験から、山内氏は事業のためにお金を借りないようにした。
(The Telegraph「Nintendo's Hiroshi Yamauchi dies aged 85」より。)
MSN産経ニュースは、社長を退いたときのことを下記のように報じた。
平成14(2002)年に社長を退き、代表権のない取締役相談役に就任。溥氏まで3代続けて創業家出身者が社長を務めたが、後継者に当時42歳の岩田聡氏を指名し、話題を呼んだ。17年の取締役退任時には巨額の慰労金の受け取りを辞退するなど、引き際の見事さも際だった。
(MSN産経ニュース「任天堂前社長の山内溥相談役死去 「ファミコン」発売、世界的ゲーム企業に育てる」 2013/09/19 18:06)
ご冥福をお祈りいたします。