24日に集まった群衆のなかには、1963年の最初の行進に参加した25万人近い人々の1人だった人もいた。ハフィントン・ポストのインタビューでは、そのような人々のうちの何人かが、その日の経験を語り、50年前と現在という、歴史的に重要な2つの政治的行動に参加した意味について語ってくれた。
動画には出てこない人物としては、退役少将のジョン・R・ホーキンズの話もある。最初のワシントン大行進のとき13歳だったホーキンズ氏は、母親の言いつけに背いて、ワシントンDCのアナコスティア近郊から自転車で現地に向かった。そして、会場がよく見えるようにと、ナショナル・モールの横にある木に登ったという。
「2人の友達が一緒だった。自転車に乗って、ワシントンDCの南東部から、ダレス橋を渡ってここまで来た」とホーキンズ氏は言う。「母親は、暴動が起きることを心配していた。『あそこに行ってはだめ』と言った」。そして、この未来の少将はもちろん、母親にこう答えた。「『ママ、僕は行くよ』。そして自転車に飛び乗ってここまで来たんだ」
「母親は1日か2日の間、カンカンに怒っていた。しかしその後、私が体験した出来事の重大さを理解した。あのことは私の人生をすっかり変えてしまった」とホーキンズ氏は述べている。
レス・グレフが最初の行進に参加したのは39歳のときだった。あの日、ボルチモアから到着したことを、グレフ氏は「自分の人生で覚えておくべき重大な出来事のひとつ」だと述べた。
グレフ氏は24日、ナショナル・モールにある人工池リフレクティング・プール沿いの木陰を歩いた。「50年前にもここにいた人は、私のノートに署名してください」と書いた看板を手に持って。
「非常に多くの人々が来てくれた。これは驚くべきことだったと思う」とグレフ氏は回想する。「かなりの数の黒人と白人が、ともによい1日を過ごし、連帯した。それが最もよかったことだと思う」
ロッキー・デラプレイン氏は、1963年の行進に母親と一緒に参加したとき、まだ10歳だった。けれどもその光景ははっきりと覚えているという。
「たくさんのバスがひっきりなしに到着し、人々が次々に会場に乗り込んでいくのが見えた」とデラプレイン氏は述べる。「労働組合の人もいたし、自動車工場の労働者の看板、公務員の看板、教師たちの看板などが見えたし、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教など、宗教的な集団を代表する人々も多かった」
デラプレイン氏は、暑かったその日、リフレクティング・プールの南側に腰を下ろし、水に足を漬けて身体を冷やすことができる人々をうらやましく思っていた。スピーカー・システムからは、ジョーン・バエズが歌う『O Freedom』や『We Shall Overcome』(『勝利を我らに』)のほか、ピーター・ポール&マリーの『Blowin' In The Wind』(『風に吹かれて』)などが聞こえていた。
ただし、デラプレイン氏が思い出せる唯一の演説は、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師のものだ。
「覚えているのは、キング牧師の鳴り響くような力強い声、彼が繰り返し述べた言葉だ。その声は私を希望で満たしてくれた。それが私が感じていたことだった。自分がキング牧師の言葉をどれだけ理解できたのかはわからないが、その声は私を希望で満たした。その場にいるだけで、この人間愛の海の中にいるだけで、私は希望で満たされた」
「私たちは変化を生み出している、という感覚を覚えている。私たちは歴史を築いている最中で、そこにいる人々の感情はとてもパワフルだった。皆が同じ目標をめざして戦う、これほど大きな集団の中にいることで、この国でこれから重要な変化が起こる、と誰もが(10歳の私も含めて)強く確信していた」
「それが私の出発点になり、思いを固めるのに役立った。人々がひとつになって社会の変化のために戦えば、偉大なことが起こりうるという思いを」
「ワシントン大行進」50周年記念行動
[Sam Stein, Ryan Rainey, Ashley Balcerzak(English) 日本語版:平井眞弓/ガリレオ]