ご多忙中ありがとうございます。
本日柿沢未途はみんなの党を離党いたしました。離党届を正午に、渡辺喜美代表、浅尾幹事長に提出させていただき、受理していただきました。
経過をお話しますと、事の発端は昨日であります。
渡辺代表から、かねてから面談のご要請を頂いておりまして、昨日(22日)、面談が行われました。その場において、渡辺代表から、「何も言わないからこの党から出ていってくれ」と、繰り返しいただくことになりました。浅尾幹事長からは、若干のご質問がありましたが、渡辺代表からは「党から出ていってほしい」そのことのみであります。
大変重いお言葉を、私も即答ができるはずはありませんし、その場は退出致しました。その後、渡辺代表から再度お話をいただきまして、22日午後5時までに返事をするようにといわれました。
いくらなんでも、選挙区の有権者から選ばれた1人としても、午後3時に伝えて、午後5時に返事をしろというのはムリです。浅尾幹事長は、「こういうことは、他の人に話すと広がるから」ということで、翌日(23日)正午までに出すようにといわれました。
本日は浅尾幹事長にまず面会をさせていただき、その後、渡辺代表とお会いしました。私の育ての親であります渡辺代表から、党を出ていってくれといわれれば、致し方ないと腹をくくりまして、その場で離党させていただくと、申し上げました。
「ならば、自分の目の前で離党届を書いてほしい」と、渡辺代表がおっしゃったので、いくらなんでも勘弁してほしい、自室に戻って書いてくるので時間がほしい。先延ばしするわけではないと伝えると、「じゃあいつくる」と言われましたので、「10分だけ時間をください」と申し上げ、自室のコピー機から、白紙のA4の紙を抜き出し、「一身上の都合により、離党致します」と書いて、代表・幹事長の待つ、渡辺先生の部屋に行きました。
私自身は結党当初からの一員でありますし、1期目の3年4ヶ月の間は国会質問回数もナンバーワンといわれました。みんなの党のアジェンダを掲げて先頭を走ってきたという思いがあります。その延長線で、結党からの理念である「政界再編」に向かって、ウイングを広げて、仲間を作って、私たちの政策を実現したいという思いで、一環して行動してきました。
しかし、いつの間にか、党の中心メンバーの思いと、かけ離れてしまっていたのかなというが感じています。
党の理念に反する行動も発言もしたことがないにも関わらず、育ての親から「出ていってほしい」と繰り返しお話を頂いて、万事休すと、自ら覚悟を決めることといたしました。
私は、みんなの党を愛しております。政策重視の党で、「君子の交わりは淡きこと水の如し」といいますけれども、理念と政策を重視する優れた仲間の集団だったと思います。こんな形で離れざるを得なかったところは、私の不徳のいたすところであり、はらわたが千切れるほど残念です。
党の代表から求められたということであっても、私自身が政治家として決めたことです。これから置かれた立場において、自分に何ができるのかを考えて、日々を過ごしてゆきたいと思います。
離党届の提出が、計画的ではないということは、コピーすらとっていないこと、声明文も用意していないことなどから、類推していただければと思います。あまりにも唐突に、昨日申し渡して、今すぐ返事を、ダメなら明日の昼だと。やむにやまれぬ選択に、残念でありますし、何故こうなってしまったのか、と思っています。
私からの報告は以上です。
■質疑応答
−−22日午後3時からのミーティングはどのぐらいの長さだったか。
30分ぐらい。渡辺代表からはその間、「出ていってくれ」しかほぼ言われていない。
−−(夫人の)野上ゆきえ都議会議員は今後どうするのか。
夫と妻といえども別々の選挙で有権者からの信任を受けている。
行動が一致しているわけではない。彼女が決めることである。
−−このミーティングから今までの間、江田幹事長と話したか。
ノーコメント。
−−渡辺代表から「不要だから出ていってくれ」といわれたのか。
「不要だからと」いう言葉があったわけではない。
「何も言わないから、出ていってくれ」と、4回5回繰り返しおっしゃられた
−−離党勧告を受けたことに対して、思い当たる節は。
参院選後の両議員総会での総括の場合において、江田幹事長のおっしゃることに同調する発言や行動を取ってきた。
政界再編のあるべき姿についても、民主党も維新の会もみんなの党も、大きな器を作り、仲間を作っていくべきだと話した。
それが、単体としての存続を考える幹部と、相反することになっていたのかもしれない。
みんなの党は、政党再編の触媒政党だという結党宣言がある。新しい政界の枠組みができるときには、みんなの党がなくなるということは、未来の姿としてはありうべしということというのが共通認識としてあったと思うから、党の理念には反していないと思う。
それでも、反党行為を働いたような離党要求をうけた。無念である。
−−浅尾幹事長からの質問内容は。
浅尾幹事長からは、連立政権を組むことをどう思うかと聞かれた。私は、理念も政策を無視して、一つになることを優先して、新しい党を作ることが正しいことだとは思っていない。理念と政策の一致が大切である。
みんなの党は、民主党の反省と批判から生まれた。可能な限り政策や理念を一致させた上での再編でなければ、つぎはぎ細工になってしまう。
私と渡辺代表・浅尾幹事長の間で、考え方がまったく違うというわけではない。
「ではなぜ、新党を目指して会合しているとか、こういう報道が出るのか。」ときかれたが、私が新党発言をしたことは一度もない。報道ベースで様々なことが報じられたが、「そういう報道が出ることが、党のイメージを損なう。こういう報道が出ないように行動をしてほしい。」とのことだった。
報道が書いていることで、私が書いていることではないので、私のコントロールの範疇ではないと思うが、こうしたところまで指摘をされて、問題とされるのであれば、今後も私が超党派の議連に行った時にも、同様の指摘がされ、処分だ離党だということが再燃する。そういう形で党内にとどまって反抗的なことをしているように見られるのは、党にとっても私にとっても、良いことではない。腹をくくるしか無い。
−−党を出なかった場合のことについて、代表・幹事長から言及があったか。
それとなく、「今、判断するのがお前のためだ。」という言葉から、今後、とどまった場合にどういうことがあるのかを示唆したかと思う。
−−参院選の東京選挙区の戦いについては話したか。
選挙基盤を持つ地方自治体の議員が、銀座や渋谷に来てビラ配りをしていることが、マイナスをもたらしたのではないか、足の付かない選挙を戦ったのが敗因ではないかと申し上げた。
東京の候補者の応援のために、みんなでゆかたを着て、街頭演説をするということは、本気ではないと取られたのではないか。私の選挙の常識では考えられないと申し上げた。
−−柴田、井坂議員についても、渡辺代表は面会を要請していると聞くが。
直接聞いていないので分からない。
もうこんなことは私だけにしてもらいたい。
みんなの党は、政界再編をすると行って結党した。
党がまとまって大きな枠組を作り出す。
そのことが何故いけないんですか。
それをやる人を排除する必要はない。
−−無所属で、後ろ盾を無くした後、どういう形で活動していくのか。
今回は、誰かと示し合わせたわけでも、計画的でもない。
今後のことについては明確なプランビジョンを持ち合わせている状況じゃない。
1人の脱藩浪人としてどう生きていくか、じっくりかんがえる。
−−江田氏は渡辺代表のことを『渡辺個人商店』と表したが。
私は代表に育てていただいた人間。
渡辺代表には、大きなステージで働いていただきたいと思っているし、みんなの党が渡辺代表のものでもでいいと思っている。
4年間の感謝を伝えたい。
路頭に迷ってどん底にいた私を拾ってくださったのは渡辺代表。
恩義は片時もわすれたことはない。
そのかたから、「出ていってくれ」といわれれば、仕方がない。
渡辺代表には感謝している。
本当に無念。腸が千切れるような思いです。
私もここから前に進んでいくしかない。
今後共どうぞよろしくお願いいたします。
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