東電福島第一原発発電所の敷地内で8月12日、作業員10人の身体に、放射性物質が付着していたことがわかった。共同通信が報じた。熱中症対策として散布しているミストの中に、放射性物質が混じった可能性があるという。東電によると、10人は福島第一原発の作業拠点となっている免震棟前で、バスを待っているところだったというが、なぜ福島第一原発にバスが走っているのか。
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このバスは、福島第一原発の構内だけで走っているもの。東電によると、福島第一原発の建物間を移動するには、構内専用車に乗って移動するのだという。作業員一人ひとりの被ばく量を抑え、また、他の箇所に放射性物質を拡散させないためである。
福島第一原発では、乗り物による放射性物質の拡散抑制に、種々の対応を行っている。例えば、福島第一原発への出入りもその一つ。福島第一原発への出入りは厳重に管理されており、作業員の方も、東電が運行するバスによって通勤する。
ところが、福島第一原発への通勤に片道2時間かかり、疲弊している作業員がいるとの声も出ているという。
■通勤時間が福島第一原発まで2時間かかる人も
現在、福島第一原発の周辺は帰宅困難区域とされ、一般の方々の立ち入りが認められていない。それは作業員のかたとておなじことである。作業員の方たちはどのようにして福島第一原発まで通っているのかというと、復旧対応の拠点であるJヴィレッジ(楢葉町)から運行されるバスである。東電によると、作業員の方たちは、一旦、Jヴィレッジに入り、そこから東電が運行している構外車両(主にバス)で、福島第一原発や福島第二原発へ通う。逆に言うと、Jヴィレッジを経由しない限り、福島第一原発に入ることは出来ない状態なのである。
Jヴィレッジは、福島第一原発の南およそ20kmの、ちょうど樽葉町と広野町の境に位置する。東電の構外専用バスでは福島第一原発まで片道40分かかる距離だ。作業員の方は毎日、各々の自宅や避難先、宿舎などから、Jヴィレッジに通勤する。
通勤時間は短いほうが良い。可能ならJヴィレッジ近辺に住みたいというのが、多くの作業員の方たちの考えであろう。もちろんJヴィレッジの敷地内にも東電が用意したプレハブ宿舎などが設置されている。しかし、これらは単身者向けであり、数も1,600人が入れるほど。1ヶ月に必要な作業員の数人ということなので、これでは足りない状態だ。
Jヴィレッジの南側である広野町は、福島第一原発の半径20km〜30km圏内に位置し、原発事故当時は『屋内退避区域』に指定された。『屋内退避区域』は簡単に言うと、その場所にいても良いが、外には出るなというものだ。断水していることもあり、町は住民全体に避難を呼び掛け、ほとんどの住民が県内外に避難。その後、2011年4月末ごろに、緊急時避難準備区域にうつり、2011年9月末には緊急時避難準備区域も解除された。
しかし、一度避難した人はなかなか戻らない。2011年3月11日に住基台帳に登録されていた同町の人口は5,490人であったが、2013年7月23日現在、実際に広野町に住んでいる人は、1,085人にとどまっている。住民票こそ、5,000人以上が広野町にあるとしながらも、避難生活を送っている人が8割を占める。
広野町に作業員の方たちが住めるようなアパート等があれば良いだろうが、住民が戻ってこない状態ではアパートを建てる余裕もない状態だという。広野町役場のかたの話では、民宿などの広野町に有る宿泊施設のほとんどが、作業員の方たちで埋まっているという。「とてもじゃないですが、旅行などで利用することは出来ない状態です。」また、町としても、作業員向けの住宅を作る計画は、現在はないとのことだ。民宿はほとんどが大部屋。それでも、空きがない状態だという。
広野町に住めるところがないとなると、更にその南のいわき市から通うところになる。ところが、いわき市は、原発作業者だけでなく震災避難者も多数受け入れており、不動産に空きがない状態。ようやく見つけた部屋は、Jヴィレッジまで1時間半かかるという場所であるということもよくある話だという。昨年6月まで東電社員として働いていた吉川彰浩さんもその1人。
「それでも私の場合は、高速が利用できるからまだマシだったかもしれません。国道は毎日が帰省ラッシュのように渋滞するのです。」
福島の海側には国道6号線と常磐高速道路が走っており、共に原発作業員の方たちがJヴィレッジまで通う際の通勤路となっている。吉川さんが借りた部屋は、たまたま高速道路の出入り口が近かったこともあり、高速を利用して1時間ほどで通うことが出来たという。しかし、国道を利用すると遠回りになる場合ではもっと時間がかかることもある。
■作業員も被災者、地域の仮設住宅がJヴィレッジから遠い場合も
原発作業者の住居の問題は、家族をバラバラにしてしまうという問題も有る。福島第一原発および、福島第二原発に勤務していた人や、これら原発と取引を行なっていた企業に努めているひとは、原発の近くに住んでいた人が多い。これらのほとんどの方が被災者となり、自分の家に住むことが出来ず、震災被災者として避難生活を送っている。
しかし、これらの被災者が移り住んだ仮設住宅が、必ずしもJヴィレッジの近くであるとは限らない。吉川さんは、自身のブログで次のように綴っている。
仮設住宅は町ごとの単位で作られ、基本的にその町に以前から住んでいた人しか住むことができません。
浪江町においてはいわき市に仮設住宅がない状態です。
原発作業員の多くは警戒区域に住んでいた方々で、原発事故の混乱期に着の身着のまま空いている、アパート、仮設住宅に入ってしまい、原発事故が落ち着いて、発電所での勤務が行える状態になった今、片道1時間30から2時間という通勤状態に追い込まれています。
(吉川彰浩さんブログ「原発作業員用アパートの続報」より。 2013/03/16)
確かに、浪江町が用意する仮設住宅は、いわき市にはないようだ。福島第一原発が立地する熊町や双葉町は、いわき市内にの仮設住宅を用意しているようだが、いずれも、Jヴィレッジから20km以上離れている場所である。東電は地元の方との会合の中でも、家族での住居先からは勤務できず、単身寮から通勤している人もいると話してしている。
吉川さんの話によると、平日は福島第一原発に作業員として通い、土日は家族が避難している県外の避難所に通うかたもいるという。「休みは、ゆっくりしたいでしょうけど、家族も避難先で知人がいないこともあり、参ってしまうということもあるようです。」
NHKの調査によると、平日の勤め人の「往復」の通勤平均時間は1時間17分、東京圏だけでみても1時間37分とのことだ。東京圏では電車通勤の方が多いが、福島第一原発に通う作業員の方はマイカー通勤も多いという。Mail Onlineが報じるところによると、通勤時間が長くなると、幸福感も低くなるという調査結果が出ているという。
これからも原発の復旧作業は続く。現場で働き、長時間自分でマイカーを運転をして、すまいに戻る日々が続く。そんな日々がいつまで続くのか。いつまで耐えられるのか。耐えられない人が大勢になった時、復旧は進むのか。
吉川さんは東電を辞めたあと、原発復旧にあたる作業員のことを広く知らせたいと活動を続けている。東電という会社に対しては否定的な感情があるとしながらも次のように述べている。
耳を傾けなくてはいけない人間達がいる。
それを支援しなければ、結果として自分達の生活に降りかかってくる。
(吉川彰浩さんのFacebookより)
住居などの環境を含めた作業員の確保の問題を、あなたはどのように考えますか。アイディアをお寄せください。
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