「終戦のエンペラー」に「タブーに挑んだ労作」と評価する声も ハフポストのブロガーはどう見たか?

第二次大戦直後の昭和天皇と、GHQ最高指令官のマッカーサー元帥の交流を描いた映画「終戦のエンペラー」に注目が集まっています。ハフィントンポスト日本版でも、ロッシェル・カップ、田原総一朗、宿輪純一の三氏がこの映画について全く別の視点から評論しました。

第二次大戦直後の昭和天皇と、GHQ最高指令官のマッカーサー元帥の交流を描いた映画「終戦のエンペラー」に注目が集まっています。ハフィントンポスト日本版でも、ロッシェル・カップ、田原総一朗、宿輪純一の三氏がこの映画について全く別の視点から評論しました。

7月26日の記事でジャパン・インターカルチュラル・コンサルティング社社長のロシェル・カップ氏は「ハリウッドの挑戦作」と意欲を買いながらも、マッカーサーの部下のボナー・フェラーズ准将の立ち回りについて不満を漏らしています。

敗戦後の日本を描くということで、ハリウッドにとっては挑戦作だったと言えますが、残念だったのは、脚本家が映画をフェラーズ准将と日本人の恋人アヤの「ハリウッド風ロマンス仕立て」にしてしまったことです。

映画『終戦のエンペラー』―ハリウッド的ラブストーリーながらも終戦直後の日本の再現力は圧巻!

一方、7月30日の記事で、日本を代表するジャーナリストの田原総一朗氏は「力のこもった労作」と高く評価。この作品がアメリカで映画化された理由について「天皇の戦争責任を扱うことが日本ではタブーだから」という趣旨のことを述べています。

フェラーズが、東条英機、近衛文麿、木戸幸一たちキーパーソンに直接あたって、天皇の戦争責任を問い、裁判にかけるべきかどうかを確かめる。これがこの映画のテーマでありストーリーである。

たしかに日本ではとても映画化出来そうにはない。いわばタブーである。げんに、これまでにこのような映画を企画した日本人はいない。

『終戦のエンペラー』がアメリカで映画化された理由とは

そして、8月6日にはエコノミストの宿輪純一氏が連載記事「シネマ経済学」の中で、この映画に触れた。マッカーサーが昭和天皇の戦争責任を問わなかった理由には一対一の面談が大きかったとして上で、「何事も最後はその人格が重要である」と結論づけました。

クライマックスの天皇陛下のマッカーサーとの会談となっていくが、(通訳はいたものの)一対一での面談で、陛下の高潔な態度に感銘を受けたマッカーサーが天皇を戦犯として裁判には掛けず、国の象徴としての地位を維持すべしとの決定に向かっていく。やはり、何事も最後はその人格が重要であると筆者は信じる。この映画には、日本に対する敬意も感じるのは筆者だけだろうか。

『終戦のエンペラー』-宿輪純一のシネマ経済学(5)

このように識者の中でも、様々に評価が分かれている「終戦のエンペラー」。ご覧になった方は、是非コメント欄に感想をお寄せください。

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