開会中のタイ国会で、国外逃亡しているタクシン元首相の帰国につながる可能性のある恩赦法案が審議される見通しとなったことを受け、法案の反対派が4日、首都バンコク中心部のルンピニ公園で抗議集会を開き、「政権打倒のために団結しよう」と訴えた。警察によると、約4千人が参加した。共同通信が伝えた。
時事通信によると、4日にデモを行ったのは「反タクシン体制人民軍」と名乗るグループ。会場のバンコクのルンピニ公園には警察推計で約4000人が集まり、「打倒タクシン体制」と気勢を上げた。反タクシン派は、7日に国会で審議される予定の恩赦法案に対し、恩赦の対象にタクシン元首相が含まれる恐れがあるとして反発を強めている。
今回のデモのきっかけは、タイのタクシン元首相派政権と反タクシン派の政治対立が、8月1日の通常国会開会を機に、先鋭化し始めていることだ。2日夜には、インラック首相がテレビを通じて異例の緊急演説をし、対立解消への協力を求める呼びかけをした。
国会で焦点となっているのは与党・タイ貢献党の議員が提出した恩赦法案。政治対立の起点となった2006年のタクシン首相(当時)追放クーデター以降に街頭デモや政治的な暴力事件などで逮捕された人びとに恩赦を与えるものだ。
■ タイの政治対立、その背景は?
では、2006年から続くタイの政治対立には、どのような背景があるのだろうか。
タクシン首相(当時)一族の株取引疑惑などで、大規模な反タクシン運動が起きる中、2006年9月に軍がクーデターでタクシン氏を追放した。しかし、07年の総選挙ではタクシン派が勝利。運動が再燃し、空港占拠などの混乱の末、08年末に民主党が連立工作で政権を奪取した。今度はタクシン派が現政権に解散・総選挙を求める抗議運動を開始。2010年の抗議集会は3月半ばに始まり、街頭占拠は4月に入って商業地区に拡大した。アピシット首相(当時)は2010年4月7日にバンコクとその周辺に非常事態を宣言。タクシン派の幹部の逮捕状をとった。
(コトバンク「タイの政治対立とは」より)
反タクシン派の民主主義市民連合(PAD)は、国王の誕生日の色でもある黄色がシンボルカラー。2008年、バンコクの空港を占拠した際は、現場を黄色のシャツで埋め尽くした。軍や裁判所、官僚といった既存の権力層や都市中間層を基盤とする反タクシン派は、王室護持を掲げる。一方、タクシン派の「反独裁民主同盟」はシャツを赤で統一していた。主な支持基盤は東北部の農民や都市の貧困層だ。
(コトバンク「タクシン派と反対派の対立の構図」より)
現首相のインラック氏はタクシン元首相の末の妹で、兄とは17歳離れている。11年8月、タイ初の女性首相に就任したインラック氏は、8日に就任から2年を迎え、これまで比較的安定した政情を保ってきたが、コメ買い取り制度や兄のタクシン元首相の恩赦問題で、一部の国民の不満が噴き出している。
朝日新聞デジタルによると、インラック首相は2日のテレビ演説で「選挙で選ばれた政府を倒し、クーデターや暴力を求める扇動行為がある。多くの国民が対立の先鋭化を恐れている。そこで、建設的で参加型の解決策を提案したい」と、一部の過激な反タクシン派を牽制(けんせい)。一方で、「政治改革会議」を創設する方針を表明。全政党、タクシン派、反タクシン派双方の運動組織、官民の有識者らが参加するものにしたいと語った。
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