コンピューター雑誌のスターはインターネットに消された
かつて「紙」のコンピューター「雑誌」の雄と言われた『PC World』の終焉について、関わるべきか否か私は迷っていた。Ziff-Davis PublishingがPC Magazineを買収した後創刊されたPC Worldの物語は、昨今の主要ブログとよく似ているので、一考する価値がある。
PC MagazineとPC Worldの競争は、Ziffに買収されたPC Magazineの社員らが移動を拒否した時に始まった。似たような状況はGizmodoの創成期にPeter RojasがGawker Mediaに引き抜かれてEngadgetをスタートした時にも起きた。私がこの2つのブログを読んでいたのは、10年前にLaptop MagazineやPC Upgradeであくせく働いていた頃で、お察しの通りどちらも印刷版はもう存在しない。このちょっとした勢力争いが、この10年の2大巨頭を生みだし、コンピューター雑誌のプリンスを廃刊に追い込んだ。
その結果起きたオンライン出版の隆盛は、印刷時代の巨人たちを食い続けた。コンピューター雑誌 ― 殆んどがDVDの付録つき ― は今でもインターネット普及度の低い地域では人気だが、米国は紙媒体の荒れ地となりつつあり、ニューススタンドで売られている雑誌は、一般的な大衆市場向けのニュースやゴシップか、驚くほどニッチで印刷版でしか成立しないものくらいだ。広告も(徐々にではあったが)GizmodoとEngadgetに流れ、ついにはこれら紙メディアの主役たちの息の根を止めた。この数年間は印刷版終末が相次ぎ、技術系ライターの友人たちは大変悔しい思いをしている。
かつてコンピューター雑誌は、今のブログと同じくらい重要だった。われわれ1980年代少年の多くは、AnticやComputeなどに載った長いリストをタイプすることでプログラミングを覚えた。私はライターになろうと思う以前から、John DvorakやSteven Levyに傾倒していた。2人のライターは作品に魂を込めていた。PC Magazineでモリス・ワームについて読んだことや、巻末の三行広告欄でボイスシンセサイザーや高速モデムが数百ドルで売られているのをよだれを垂らして見ていたことを思い出す
Gateway以前、パソコンを買う唯一の方法は部品を集めて自作することだった。もちろん、TandyやIBMから完成品を買うこともできたが、高価な上にパワー不足だった。これも廃刊になったComputer Shopperは、テク好きな父と子のチームが食卓で組み立ちてれる工作材料を山ほど載せていた。雑誌の休刊を伝えるBBSを大きく取り上げたこの記事をご覧あれ。
私はPC Worldが消えたことを悲しんではいない。もう何年も読んでいなかったし、そこで働いていた人たちはまだ雇われている。インターネットは、まるでKindleがペーパーバックを消しつつあるように、紙の雑誌を消した。巨大な機械の「印刷」ボタンを押し、一連の流通経路を始動させるためにはトラックや箱が必要だ。ニューススタンドは、タブレットで「購入」ボタンを押すのとは競争できない。もし違うことを言う者がいれば、そいつはインクのセールスマンだ。
かつて私はダンボール箱一杯のPC WorldとPC Magazineを持っていた。私は熟読し、アセンブラのプログラムを打ち込み、EGAグラフィクスに驚嘆し、自分のハードディスクを買える日が待ち遠しかった。物事は間違いなく変わったが、技術系出版は今も生きていて、大いに活発だ。紙雑誌、PC Worldはその役を演じきった。今がステージを去る時だ。
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(翻訳:Nob Takahashi)
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