健全な乳房を切除!? 「予防的な医療行為」はどこまで許されるのか?
ハリウッド女優のアンジェリーナ・ジョリーさんが乳がん予防のため、乳房を切除したことを告白したことは、日本でも大きな反響を呼んでいる。報道によると、ジョリーさんは、遺伝子検査の結果、乳がん発症リスクが87%、卵巣がん発症リスクが50%であることが判明したため、乳房切除を決めたという。手術を受けたことで、ジョリーさんの乳がんリスクは5%にまで減少したそうだ。
将来のがん予防のための乳房切除手術については、日本国内でも、がん研有明病院と聖路加国際病院が実施に向けた準備を進めている。遺伝子の異常を指摘され、発がんのリスクに怯える人には朗報かもしれない。一方で、がんの発症リスクが高いとはいえ、健康な身体を傷つけることに抵抗をおぼえる人もいるだろう。
また、病気を治療することを本来の仕事とする医師の行為としても、適正といえるのだろうか。いつか病気になるかもしれないとはいえ、いまは特に異常がない肉体にメスを入れて、その一部を切り取ってしまう。こうした行為はそもそも、医師に許された「医療行為」と言えるのだろうか。また、それは、将来の病気の発症確率によって変わってくるのだろうか。医師や医療従事者の案件を多数扱っている山田昌典弁護士に聞いた。
●医師の取り扱う業務の範囲が広がっている
「現在、医師の取り扱う業務は、病気の治療のみに限られません。疾病の予防も医師の業務として注目を増してきています。
リハビリテーションを専門とする医師(リハビリテーション科専門医)の数も、増加傾向にあります。また、治療を目的としない行為も、医療行為に含まれるとされており、たとえば、美容整形行為も医療行為と解されています」
医師の業務を取り巻く現状について、山田弁護士は、こう説明する。
「そもそも、法律が、医療行為を業として行うために資格を要することにしている趣旨は、国民の生命・健康を守ることにあります。
このような、国民の生命・健康を守るという観点からすれば、乳がん予防のために、遺伝子検査によって発症リスクを判断し、生命・健康に及ぼす影響を告知・説明するという重い責務を負うのにふさわしいのは『医師』であるといえます。また、乳房の切除については、人体に危害を及ぼすおそれのある行為ですから、やはり『医師』がその任にあたるべきです」
●「美容整形行為」が、治療目的の医療行為とは異なることを重視した裁判例もある
このように山田弁護士は述べるが、外科手術は表面的に見れば、他人の肉体を傷つける行為にほかならない。
「刑法的な観点から言えば、人の身体を侵襲する行為(分かりやすく言えば、身体を傷つけること)が、刑法35条によって正当化されるためには、(1)治療目的、(2)医学的に承認された方法で行われること、(3)患者の同意、という3つの要件を満たす必要があると、一般に解釈されています」
つまり、このような3つの要件をクリアーしているからこそ、医師による手術が刑法35条によって適法なものとされているのだ。ただ、外科手術といっても微妙なケースがある。たとえば、「豊胸手術」がそうだ。
山田弁護士によると、かつて豊胸手術に関して争われた裁判があり、そこでは、美容整形行為は「治療目的」でないため、刑法35条では正当化されないとされたのだという(東京高判平成9年8月4日)。
このような場合は、いわゆる「同意傷害」の問題となる。つまり、被害者が身体を傷つけることに同意している場合に、はたして犯罪が成立するのか、という問題だ。
「最高裁の判断基準によれば、身体を傷つけることについての承諾の有無や、承諾を得た動機、目的、傷害の手段・方法、損傷部位、程度等の諸般の事情を総合考慮して、犯罪が成立するか否かが決まることになります(最決昭和55年11月13日)」
●治療と予防の境界は、今後ますます不明確になっていく
では、アンジェリーナ・ジョリーさんのように、乳がんの予防のために、乳房の切除手術を行った場合、どのように扱われるのだろうか。山田弁護士は次のように自らの見解を述べる。
「豊胸手術についての東京高裁の判決の考え方を形式的にあてはめれば、乳房の予防的切除は、治療目的によるものではないので、刑法35条によっては正当化されないといえるかもしれません。
しかし私は、少なくとも、医学的根拠に基づいて発症確率を算出することができ、その発症確率が高く、そのリスクが医師によって患者に適切に説明され、他の選択肢も提示されていたのに、患者が将来のリスクを避けるために手術を希望したのであれば、『治療に準ずる目的』による行為として、刑法35条により正当化されるべきだと考えます」
まだ日本では、そもそも予防目的の切除手術が問題になっていないので、裁判所がどのような判断を下すのかは不透明だ。ただ今後、ジョリーさんと同様の手術を準備している医療機関があることからすると、法律による整備が望まれているといえそうだ。
「今後、遺伝子についての研究がさらに進めば、予防的医療行為の重要性は今後さらに高まることが予想され、治療と予防の境界はますます不明確になっていくと思います。また、医師が予防的医療行為を患者に提案する際に説明すべき内容はどうあるべきかが、今後の検討事項となるでしょう。
たとえば、切除手術を選択肢として患者に提示するとしても、病気が発症した場合に予想される病状やその深刻度、切除手術以外の他の選択肢等について、どこまで詳細に説明すべきかが問題となります。このあたりの問題をきちんと検討せずに、安易に、予防的切除手術を勧めて手術した場合、患者が、『医師から、もっと適切な説明を受けていれば、切除手術を受けることを決断しなかった』と主張して、損害賠償請求の裁判を起こすこともあるでしょう」
山田弁護士はこう指摘しており、今後は、何をどこまで患者に説明すべきかが問題となりそうだ。科学の進歩とともに、医師の役割も変容を迫られているということなのだろう。そのような変化に、法律や制度も追いついていく必要があるといえるのではないだろうか。
【関連記事】
【取材協力弁護士】
東京の「くれたけ法律事務所」勤務時代から、離婚事件や子どもの親権問題についての事件を多く取り扱っている。また、妻は医師であり、医師や医療従事者の依頼を受けることも多い。社会福祉士資格も有している。
事務所名: つくば法律事務所