同性婚を支援している僧侶が、ハーバード大生に禅を説く理由

世間で禅と言われるものには、大きく二つの意味があります。

妙心寺境内にある春光院というお寺で副住職をしております、川上全龍と申します。

私は「同性婚の支援活動を行っているお坊さん」ということで取材をしていただけることが多く、ハフィントンポストでは下記のような記事でこれまでご紹介いただきました。

他方で、春光院での英語で訪日外国人を対象とした座禅会、トヨタ自動車の海外の営業担当の方への「おもてなし」の研修、予防科学研究者の石川善樹さんらとのリクルートテクノロジーラボやDeNAでの禅の企業研修など、禅や禅にかかわる知恵についての普及活動にも務めています。

特に、英語での座禅会には年5000人ほどにお越しいただいておりまして、世界のトップ企業の経営者や、ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、ペンシルバニア大学ウォートン・スクールなど、世界の名門大学のビジネススクールに通う学生さんに指導させていただく機会をいただいております。

座禅会の様子。「深い呼吸を通じて身心をととのえることが主眼であり、椅子を使ってもよい」という。

この春座禅会の内容をまとめる形で、石川さんの協力のもと、『世界中のトップエリートが集う禅の教室』を出版いたしました。

仏教に元々馴染みのない国の方々に伝える上では、まずは身近に感じてもらうことが大切だと考えております。いきなり高僧の話や昔から伝わる法話を語っても、外国の方は難しいと思って引いてしまいます(私自身が学者を目指してアメリカにて心理学を学んでいた時期があったのも、仏教者のそのような説明になじめなかったためでした)。

そのため、最初に座禅の習慣が脳科学や心理学の知見から心身のパフォーマンス向上に役立つことが明らかにされていること、禅の考え方が今の実生活に役立つこと、有名企業のCEOなどが禅で学んだ思想を基に様々なビジネスに取り組んでいることを紹介し、関心を持ってもらうようにしております。

living in a momentとno subjectivity

世間で禅と言われるものには、大きく二つの意味があります。

一つ目が「座禅」です。座禅(瞑想)は、心を落ち着かせ、自己認知力や思考の客観性を鍛えることに役立ちます。海外の方には、このような禅が持つ意味について「living in a moment」(いまを生きる知恵)と説明しています。

普段から瞑想を行って身心をととのえる術を身につけることは、現代人にとって、いまを大切にし、その一瞬において、パフォーマンスを最大限に発揮することにもつながります。他にも瞑想は自己認知能力の向上効用は近年海外での研究が進んでおり、医療や教育の現場に活かすことも行われています。

禅の二つ目の意味は、禅宗的な考え方のことです。そしてその根本にあるものを、私は海外の方に「no subjectivity」だと説明しています。つまり、「あるがままの状態を把握するために、主観を排す」ということです。禅と西洋思想との大きな違いは、仏教では物事の絶対的な善悪を決めつけず、善悪はあくまで人間の頭の中の事柄、相対的なものだと考えるという点にあります。

そして、この「no subjectivity」は「living in a moment」につながります。

たとえば、心理学では「3:1の法則」というものがあります。人間は良いことの受け止め方と、ネガティブなことの受け止め方では、ネガティブなことのほうが3倍強い、というものです(バーバラ・フレドリクソン『ポジティブな人だけがうまくいく3:1の法則』)。したがって人間が、自分は今良い状態にあると思うのは実は難しいことで、一つの悪いこと、自分はこういう失敗をした、こういうところがダメだったということがあれば、気持ちをイーブンにするためには三つの良いことが必要になるからです。

もし、禅の知恵である「主観を脱ぎ去り、あるがままを観る」ことができれば、ネガティブなことを過度に悲観的に受け止めず、必要以上に落ち込んでいる自分を見つめ直し、これまで以上に良いことに目を向けることで、幸せを感じることができるようになります。

Ted x Kyoto2015でのプレゼンテーション(英語)

これからのビジネスは「利他」がキーワード

私が行っている同性婚の支援活動は、一つはこの「no subjectivity」に基づいています。

これは先に紹介いただいた記事にもありましたが、活動のきっかけには私自身が自覚なくゲイの友人を傷つけていたことへの反省がありました。人は普通に生きていれば何かしらの色眼鏡を持っています。心理学に「確証バイアス」という概念がありますが、自分から遠い意見に関しては、ついつい耳をふさいだり遠ざけてしまったりするものです。

偏見をなくすことは決して簡単なことではありません。だからこそ、普段から「偏見を持っている自分」を常に意識することが大切です。自分自身をあるがままに観るためには、こうした人間の本能的な部分に逆らう力が必要ですが、人は焦っている時や、イライラしている時にはついつい攻撃的になります。人間の本能的な部分に支配されやすくなるのです。

「no subjectivity」のためには、身心をととのえて自制心を発揮できる状態にしておくことが必要ですし、先に申し上げたよう、そうして主観を脱ぎ去ることで、今をよりよく生きることができるようになります。

さらに、こうした偏見をなくして、他者と接するというのが、これからのビジネスのキーワードである「利他」とも接続しています。

今、欧米のビジネスの世界で、利他という概念がとても重要になってきています。自分たちの利益だけではなくて、他人の利益を考えられる企業こそが成功し、生き残ることができる、このような考え方が徐々に浸透しはじめています。

かつての自己実現や勤労こそが成果を生むと信じられていた価値観が揺らぐ中で、ビジネスにおいても、社会の問題を解決しようという利他の精神―CSRという概念の普及や、社会起業家の増加に代表的です―や、社員の幸福を実現するための他者への共感といったものが重視されるようになってきています。特にハーバードやMITのビジネススクールの学生は、リーマン・ショックにてそのことを強く意識したと言います。そのため、私のお寺に来る学生の多くがそういった社会貢献とビジネスを結び付けることに関心を持っています。

そうした利他の活動を行う上では、人の痛みを察する力(共感力)が必要になります。そして、共感をするには自らを正しく受け止める力=自己認知能力が必要になります。最近の脳科学の研究において、自己認知と共感を、脳の同じ部分(島皮質)が司っていることが明らかにされました。同じ部位が司っている以上、自己認知ができない人間は、他者に共感するような能力が高いはずがないということです。そのためまず自分を見つめなおすこと、その術を身につけることが彼らの最初の課題となっているのです。

ですから、自らをあるがままに受け止めるようにする訓練を行って利他や共感の能力を培うことがこれからのビジネスの成功につながること、それは社会全体の幸せにも関係すること、そしてそこに座禅の習慣や禅の考え方が寄与できる部分があるということを、世界を引っ張るビジネスリーダーの方々に知ってほしい、そのように思って活動しております。