様々な会社で、「目標必達」という言葉が使われている。従業員に発破をかけるために用いられていると思うが、ひとつの疑問が常にあった。
常に「目標達成している」人物を、信用していいのだろうか?
という疑問だ。
確かに経営者からすれば毎度のように目標を達成してくれる人物はありがたい存在である。給料を上げたり、ボーナスを気前よく振る舞ったりもしたくなるだろう。
が、
一方でこのような話もある。
常に目標を達成できる、ということは、「目標が低く設定されていたからだ」ということではないか?
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ある会社の人事評価制度について、議論があった。そのなかで、「目標の難易度」について話が及んだ。
この会社は経営者が「社員に目標達成してくれないと困る」という方針であったため、目標の達成度合いに応じてボーナスの額や、次の年の昇給の度合いを決定していた。
しかし、低すぎる目標では会社の利益が出ず、高過ぎる目標値では社員のやる気を損なう。そこで、毎年のように各部門長は経営者と、「ぎりぎり達成できそうな目標」を折衝することに心を砕いていた。
そして、部門長と社員の努力で、この会社は殆どの人が「毎年目標達成」していた。経営者は自分の正しさを確信していた。
しかし数年後、この会社の商品は陳腐化し、誰も目標達成できる人間はいなくなった。後に続く商品はない。
当然である。リスクの高い試みは誰も手を出そうとしなかったからだ。目標達成できなければ、社員として会社での立場はなかった。
経営者1人は、「リスクの高い新規事業はオレがつくる」と息巻いていたが、それもかなわず、この会社は事業規模を縮小せざるを得なかった。
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ピーター・ドラッカーは著作「マネジメント」の中でこのように述べている。
"成果とは長期のものである。すなわち、まちがいや失敗をしない者を信用してはならないということである。
それは、見せかけか、無難なこと、下らないことにしか手をつけない者である。
成果とは打率である。弱みがないことを評価してはならない。
そのようなことでは、意欲を失わせ、士気を損なう。
人は、優れているほど多くのまちがいをおかす。
優れているほど新しいことを試みる。 "
もちろん、目標達成は、本人の努力の証であることは疑う余地はない。しかし、毎回のように目標達成をしている人間がいたら、毎年のように目標達成している組織があったら、上の話を疑ってみるべきだ。
「失敗できない」という状況ほど、人間を保守的たらしめることはない。
クレイトン・クリステンセンが指摘するように、大企業の中からイノベーションが起きにくい理由は、まさに「失敗を避ける」からであり、サラリーマンが受ける人事評価にとって失敗が致命的であるからなのだ。
すなわち、無難に目標達成をしていたほうが評価が良いから、イノベーションが起きにくい、と言い換えることもできる。
「成果は打率であり、長期のものである」というドラッカーの言葉を、経営者はもう一度よく考えて見る必要がある。
そうすれば、一年単位で目標必達を強制することが如何に意味のないことかがよく分かるだろう。
(2014年6月10日 Books&Apps に加筆・修正)