ショーン・マクアードル川上氏の経歴詐称が発覚し、メインキャスターをつとめるはずだった報道番組(フジ)の他、多数の番組を降板した。関係者はさぞ迷惑だったと思うが、世の中はこの騒動の話題でもちきり。
「経歴詐称」という、これまでも度々あった珍しくもない詐欺的行為に、今回世間の視線が集中しているのはなぜなのか?
騒動を「劇場型ドラマ的出来事」としてとらえてみると、騒ぎの理由や背景が少し見えてくるのかもしれない。ショーン氏の特徴を5つ挙げてみると──。
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【1】ルックス
バタ臭いイケメン顔。今や整形疑惑まで囁かれているが、もしこの人が日本人離れした彫りの深い顔立ち「でなかった」としたらどうだろう? こんなにあちこちの番組や広告等に抜擢されただろうか。こんな騒動になっただろうか。
【2】よそおい
スーツ姿がいかにもデキるビジネスパーソンを体現。イタリアン・コンチネンタル風の、適度にシェイプしたボディライン。さっそうと着こなすオシャレ度の高さ。日本のビジネスマンにはなかなかマネができないスマートさがあった。
【3】身のこなし
ふとした手の動かし方、置き方。指先や手の表情、目線の置き所が人柄を物語ることをよく知っていた。プロフィール写真の視線や顔の向き、表情の作り方の巧さもプロの役者並み。
【4】声の質
深く響く低音、まったりとした美声。声も才能の一つ。その声を、しぐさや表情とからませる術も見事だった。
【5】話し方
速度、間合いの取り方には工夫の痕跡が。ゆったりと話すためには、敢えてそうしようという意図や自覚が必要だ。余裕と落ち着きが身に付いているかのような、いわば自己演出力を感じさせた。
──つまり、ニュースやワイドショーという「枠組」の中で、ふられた「役割」を上手に演じていた。その意味においては役者・ドラマ的才覚の持ち主だったと言えるだろう。
事務所社長も、彼の本名は「川上伸一郎」であり、テレビやラジオで名乗っていた「ショーンK」はビジネスネーム、いわば「芸名」だと認めている。そう、すべて「芸」なのだ。
「ドラマ」には3つの構成要素がある。
役者、演出、そして脚本。ショーン氏の場合は役者として、また自己演出家としてある種の才覚があった。しかし、脚本についてはどうだろうか。ちょっとお粗末だったと言わざるをえないのでは。
コメンテーターとしての解説を何度聞いても、どこかの新聞に書いてあるようなことが多く、ハッとさせられるような独自性や鋭い批評性は感じとれなかった。この人にしかない視点とか自身の哲学による切り口といったものは、残念ながら少なかったのではないか。
脚本・セリフは凡庸。
それでも人気者になったのはなぜか?
人が情報を受け取る時、何を感じ取っているだろうか。
言葉の「意味」はさして比重が大きくない、という指摘をしたのは心理学者アルバート・メラビアンだ。相手に与える影響のうち言葉の内容は7%、声や表情などによる印象の方が格段に大きいという。もちろん全てのケースにあてはまる法則ではないとしても、私たちの想像以上に声や表情が威力を発揮している、ということだろう。
つまり、「この人の話をちょっと聞いてみよう」と視聴者の関心をかきたてたこと自体が、ショーン氏の芸人としてのウリであり演技の力だったのだ。
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そもそも新聞も、当初は文字を「読む」のではなく「耳から伝える」スタイルから始まっている。
人々は耳から出来事を知り、事件を生々しく想像したり感じとったりしてきたのだ。新聞売りは鈴を鳴らして人々を集めて記事の要所を読み上げて売ったし、家庭内では字を読める者が家族に読んできかせていた(『明治メディア考』 前田愛著)。
活字を読むスタイルが一般化し新聞が浸透しても、テレビのワイドショーや報道番組は無くならなかった。なぜだろうか?
情報とは、「情」を「報」じるものだからではないか。
活字を一人で黙読するだけではなく他人の口からもう一度、出来事について聞いてみたい、耳から情報を吟味したい。そんな「情」への欲求も、私たちは密かに持っているのではないか。
ショーン氏の経歴詐称は許されることではないけれど、そして彼のコメント内容がどこかの新聞記事の焼き直しだったとしても、「耳から情報を伝える」という新聞当初の役割だけは演じ切れたのかもしれない。
そう思わないと、やりきれない。