先月29日の予算委員会が話題になっている。
保育園の入園申し込みに落ちたことについて、その不満を匿名で書いたブログを元に野党議員が質問をした。総理は「匿名では誰が書いたか分からない、本当に起きたことか確かめようがない」と回答して、多数の批判を集めている。しかしこれは質問の仕方が悪く、結果的に本質と関係の無い部分で騒ぎになっている。
■不毛な議論に終始した国会
匿名で書かれたブログは多くの人が感じている本音を素直に書いたものとして、保育に関わる専門家も言及し、各種マスコミでも取り上げられた。匿名・実名に関係なく、このブログに書かれたように保育園を利用できずに困っている家庭が多数あることは間違いない。
現在保育園に入りたいのに入れない待機児童は厚生労働省の公式発表で4万人を超える。その意味において、総理の回答は的外れだ(ただし「保育所に入れることは出来ずに苦しんでいる人がたくさんいることは承知している」とも発言している)。
質問では、働く女性が増え待機児童が増えた状態について、総理が「嬉しい悲鳴」と発言したことも問題があると指摘した。この質問に総理は「嬉しい悲鳴と言ったのは働く女性が増えた事についてであり、待機児童が増えた事についての発言ではない」と反論した。ただ、この文脈であれば嬉しい悲鳴という表現は不自然だ。
しかし、これら二つの質問は待機児童が増え続ける状況とは何ら関係なく、総理が不適切な発言でしたと謝罪した所で待機児童は一人も減らない。ハッキリ言ってしまえばどうでも良い話だ。
※保育園は正確には「保育所」だが、通例にしたがって保育園と表記する。
■問題の本質は待機児童の人数。
本質からずれた質問で散々議場がヤジで荒れてから、野党議員は「軽減税率をやめて子育て支援にあてるべきでは?」「1000万人の高齢者に3万円、3000億円以上の税金をばら撒くなら子育て支援にあてるべきでは?」と極めて重要な話をした。本来であれば余計な話をせずこの話題を質問の最初に持ってくるべきだった。
現在4万人超と言われる待機児童は氷山の一角であり、実態はその数十倍である50万人から100万人、場合によってはそれ以上の「潜在的な待機児童」がいると指摘する識者は多数いる。現在国内の保育園の定員が247万人だと考えれば潜在的待機児童数と比べて保育園不足がいかに深刻か分かるだろう。待機児童のカウント方法は自治体によりまちまちで、最初から諦めて申し込みをしない人も多数存在するが、その数字は統計データには現れない。
小泉元総理は退任後、就任時に存在していた待機児童に合わせて保育園を作ったのに、それでも待機児童は全く減らなかった、という発言をしている。これはまさに潜在的な待機児童が多数存在していることを示している。
■本当の待機児童は300万人を超える可能性も。
潜在的待機児童を最も多く見積もったと思われる試算は以下の分析だ。フェルミ推定的に手元にある数字から推測すると、360万人くらい居てもおかしくない、という指摘だ。
「「夫婦と子どもの世帯」である385万1000世帯のうち、母親が働きたい確率は、女性の就業希望率76.5%を乗じた294万6000世帯と仮定できる。内閣府の調査によると、子育て世帯の妻の86%が何らかの形で働きたいと希望しているとのことなので、ここは平均値で考える。
これに一人親の世帯を足すと、317万7000世帯が保育サービスを必要としていることになる。子どもを持つ世帯の1世帯当たりの子どもの数は1.84人なので、317万7000世帯に584万5000人の子どもがいることになる。
保育所の総定員数は220万4000人分(平成22年4月現在)であるので、潜在待機児童数は、最大で、584万5000人-220万4000人=364万1000人(=197万8000世帯)となる。 」
「待機児童」数、実は360万人超? 多様な保育サービス事業者の参入を! 石川和男 NPO社会保障経済研究所代表 東京財団上席研究員 アゴラ 2013/04/03
この記事では、政府はまず潜在的待機児童の人数を把握すべき、保育園をいくら増やしても不満が減らない原因は政府の想定する待機児童数が少なすぎることにあると指摘する。確かに、待機児童数が100万人単位で存在するのであれば、毎年定員を数万人ずつ増やしても問題は解決しない。
■厚労省も認める潜在的待機児童。
そんなムチャクチャな数字があるかと批判を受けそうだが、以下の記事では厚生労働省の少子化対策企画室長が公称の10倍・40万人以上の潜在的待機児童数がいる可能性を認めている。石川氏が指摘するように、「本当の待機児童数」が一体何人いるのかまずは把握すべきだろう。
「さまざまな施策により、近年保育所の定員は年間3~5万人ずつ増えているのですが、待機児童の数は減っていません。なぜかというと、定員が増えるたびに、潜在的な需要が表面化するからなのです。つまり、働きたいと思っていても、あまりの待機児童の多さに働くのを諦めていた女性が、保育所の定員が増えると、「やっぱり、子供を預けて働きたい」と思い、入所申込みを行うのです。逆に言うと、子供を預けられる環境があれば働きたいと思っている女性が社会にはまだたくさんいるということです。」
潜在的待機児童は40万人!? 来春、小規模保育サービスが拡充 FQ JAPAN 竹林悟司 厚生労働省 少子化対策企画室長 2014/06/17
そしてさらに問題を深刻にしているのが待機児童の偏在だ。厚生労働省が公表した「保育所入所待機児童数(平成26年10月)」によれば、公称4万人超の待機児童のうち、1000人以上の待機児童が存在するのは、東京・神奈川・千葉・埼玉・大阪と都市部に偏っている。中でも一番多い東京は12447人で、2位の神奈川・1903人と比べても群を抜いている。一方で地方では待機児童ゼロの県が複数ある。
現在都心部は地価が高騰しており、便利な場所はとっくにマンションやビルが建っている。先に説明した潜在的待機児童が都市部に同じ割合で存在すると仮定すれば、100万人分の保育園を東京に作って運営する必要がある。従来のやり方では到底解決できるはずもない。今の仕組み・法律・ルールの上で保育園を増やす以外にもやるべきことはないか、当然考えるべきだ。
■保育料の数倍の税金が投入される保育園。
先日は千葉市市長の熊谷俊人氏がツイッターで以下のようにつぶやいた。
保育料は収入(市民税や区民税などの住民税額)によって変わる。千葉市で一番高い保育料はD13というランクで月額70900円となっている。コストと比較しても保育料は3万円も安い。当然多くの家庭はこれほど保育料を負担していないので、実際の差額はもっと大きく、保育園児が増えれば増えるほど市の財政は悪化する。これはどの市区町村でも同じだ。
10万円と聞いて高いと感じた人は多いかも知れないが、学習院大学教授で社会保障の専門家である経済学者の鈴木亘氏は、著書「社会保障の不都合な真実」の中で、東京23区の乳児にかかる費用は一人当たり月額50万円という試算を出している。
これは手間がかかる乳児で、地価も人件費も日本で一番高い東京であることも考慮すべきだが、それにしても50万円は高すぎる。そしてすでに説明したように、最も待機児童が多いのは最も保育のコストが高い東京だ。
■バター不足と保育園不足の根っこは同じ。
保育士の低賃金や保育園不足など、待機児童増加の根本的な原因は予算不足にある。まずは予算を増やすこと、加えてその予算を効率的に使う事が求められている。効率性という観点では民間のノウハウを入れることは必須だ。
経済学者の池田信夫氏は「なぜ保育園に「落ちる」のか」という記事で、旧ソ連でパン屋に行列が出来たことを例に、資本主義では足りないモノが需要と供給、つまり価格メカニズムで調整されると説明している。国が輸入量を決めているせいでバター不足が発生するように、保育園の数も足りていない。最適な保育園の数も価格も、国が予想して正しく需給をコントロールすることは絶対に出来ない。
保育園に価格メカニズムを導入する方法は簡単だ。民間の保育園を増やし、保育園の運営者に渡していた補助金を教育に限定して使えるチケット・クーポンのような形で直接親に渡すだけだ。このやり方で保育園に質を競わせれば、補助金の支給と民間による質の競争を両立できる(こういった仕組みを教育バウチャーと呼ぶ)。民営の保育園では心配という人は居るかもしれないが、命に係わる医薬品や交通機関の運営会社が公営ではないから怖いという人はいない。
現在の保育園で公立に人気があるのはそれだけ多額の税金が投入されているからだ。保育士の低い給料が問題になっているが、公立保育園の保育士は公務員として給料は高く安心して働ける環境にあり、安定した職場が安定したサービスに結びついている面は確実にあると思われる。
しかし、当然の事ながらそれは民間で実現出来ない事では無い。JRの電車やJALの飛行機が怖いという人はほとんど居ないだろうし、武田薬品の薬は民間企業だから信用できないという人もいないだろう。問題は運営に関わるガバナンスと職場環境、そして保育の質だ。例えば交通機関であるJRやJALであれば問題が起きないように国土交通省が厳しくチェックをしている。
今さら公営の交通機関を誰も望まないように、保育園でも地方自治体は「プレイヤー」として公立保育園を作るのではなく、厳しくチェックする「審判」の立場に徹するべきだ。当然、民営の保育園はバス事故に象徴されるような低コスト競争でトラブルが起きないように、お金が流れる仕組みをしっかり作ったうえでの話であり、大前提として子育て予算は大幅に増やすべきである事は言うまでもない。
※JRもJALも大事故を起こしている、という指摘を受けそうだが、公立の保育園でも事故は起きている。事故をゼロにする事は出来ないが、厳しいチェックでゼロに近づけることは可能なはずだ。
■子育て支援は成功事例に学べ。
昨年、ほんの数か月で実現をした「ひとり親を救え!プロジェクト」は政党色が全くない人たちが声を上げた事で、短期間で予算が200億円も必要な政策の実現を政府に約束させた。プロジェクトの賛同者はいずれも政治的に偏りが無く、その一方で正しい意見を常に発信することで影響力があり、与野党どちらにもパイプを持つ人たちが参加しているように見えた。
子育てに関わる政策は国の将来に関わる問題であることは間違いない。政争の具とせず、建設的な議論を望みたい。
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中嶋よしふみ シェアーズカフェ・オンライン編集長 ファイナンシャルプランナー