先日、小池都知事が豊洲市場と築地市場の併用案を公表した。豊洲移転後に築地にも市場機能を作り、希望する事業者は築地へ戻って来られるようにするという。
この案には豊洲への移転推進派も慎重派も反対意見を出したことにより泥沼の状態で都議選に突入した。都議選が終われば築地を売るか貸すか、そして併用案はアリかナシか、改めて議論になるだろう。
先日は豊洲市場へ移転すると100億円の赤字が発生するという話で大騒ぎになった。これはかなりの誤解を含んだ話であるため、100億円の大赤字でも豊洲市場に問題が無い理由という記事を書いたところ、TBSのNスタとフジテレビの新報道2001から取材・出演依頼が来た。
出演にあたって改めて都が公表している「市場のあり方戦略本部」の資料を読み込んだ。すでに移転に伴うシミュレーションはかなり細かく数字で示されているのだが、全くと言っていいほど理解されていないように見える。資料は一部の表現や数字に疑問はあるものの、判断材料としては十分な情報が盛り込まれている。しかしせっかくの資料をまともに読めている人はどれくらいいるのか疑問だ。
築地に食のテーマパークと言い出した都知事も資料を正確に読めず勘違いしているようにしか見えない。それを報じるマスコミも、そしてこれから都議になる候補者も、土壌に関わる安心・安全の話とは別に市場運営に伴うお金の話を理解すべきだ(もちろん、この案を真剣に検討したい有権者も)。
まずは議論のベースとなる豊洲移転案を数字の面から客観的に解説してみたい。
■売却案と貸付案の違いはどこにあるか?
東京都のHPで、「市場のあり方戦略本部」が公表した第三回の会議資料では、移転によって損益や資金繰りがどのように変化するのかいくつかのパターンが掲載されている(72ページ以降)。築地に市場機能を作る、という話も一見するとこれまでの議論をちゃぶ台返ししたように見えるが、資料で示された数字の延長線上にある。
資料では以下のとおり、4つのパターンが示されている。ただし1と2は、3と4を説明するための前提条件を示しているにすぎず、実質的には豊洲移転後に築地市場の土地を売るのと貸すのとどっちがいいのか?というシミュレーションになっている(以下、図は全て第3回の会議資料から抜粋)。
1は赤字が垂れ流されてしまうという現状のまま、2の経営改善策は収支が20億円改善された数字だ。そして2を前提に、築地を売った場合の3と築地を貸した場合の4のシミュレーションが提示されている。都知事が私案(議会の承認を経ていない以上そうとしか呼びようがない)として提案した築地市場の再開発は第5案、もしくは4の発展系と言える。まずは3と4を比較しながら数字を読み解いてみたい。
■社会人なら日商簿記3級の試験範囲「減価償却(げんかしょうきゃく)」くらいは知っておけ。
3の売却案と4の貸し出し案はそれぞれ「償却前収支」と「経常収支」と二つの数字が示され、グラフも載っている。貸す場合は毎年160億円の賃料収入があるため、このグラフだけを見ると貸した方が得なように見える。
償却前収支と経常収支の一番大きな違いは、減価償却費(げんかしょうきゃくひ)の有無だ。これは豊洲市場を作る際にかかった費用が計上されている。減価償却費は簿記の資格を持っている人ならば説明するまでもない話だが、知らない人にとってはチンプンカンプンだろう。ここでつまずくとこの試算を全く理解できないため、少し解説しておこう(知っている人は飛ばし読みしてかまわない)。
工場を経営している会社が1000万円の設備を現金で購入したとする。この場合、手元の現金が1000万円減ることは説明するまでもない。ただ、利益の計算では設備を購入した年に1000万円の費用を計上する、とはならない。
売上(収益)から費用を差し引いた額が利益となるが、会計上のルールとして、費用と収益は必ず対応させなければならない。1000万円の設備が10年間使えるものであれば、10年間にわたって計上する必要がある(何年に分けて計上するかは耐用年数で決まる)。
この場合、どのように計上するかというと、毎年100万円を10年間にわたって費用として計上する、という形になる。
1000万円の現金が出ていくのに費用は100万円しか計上しないならそのズレはどうするのか?と混乱してしまうかもしれない。これは一言でいうと「現金の動きと損益の計算はズレがある」ということになる。
手短に説明すると、まずは1000万円の現金が1000万円の設備(固定資産)に変わる。その1000万円の設備が1年目の終わりには900万円、2年目には800万円......と少しずつ目減りしていき、目減りした分を費用として計上することになる。これを減価償却と呼び、計上される費用を減価償却費という。
※何年で計上するかは、資産の種類によって耐用年数が決まっている。計上の仕方も複数あるが簿記のテキストではないので省略する。なお、土地は減価償却の対象にはならない。
■意思決定は資金の収支で考える。
築地の土地を売った場合に130~140億の赤字、貸した場合に20~30億の黒字、となっている部分には過去に払った豊洲市場建築費である減価償却費の71億円(1年あたり)が含まれており、売った場合も130億円とか140億円の現金が毎年出ていくわけではない。
そして築地を売ろうが貸そうがこの減価償却費は必ず発生するものであり、将来の意思決定には含んではいけない。これを会計の分野では「意思決定会計」と呼び、過去に払った費用をサンクコストとか埋没原価(まいぼつげんか)と呼ぶ(このあたりになると簿記一級の範囲なので案外難しい)。
これは築地の売却に賛成とか反対といったこととは一切関係なく、過去に払った費用(=サンクコスト)は何をやっても取り戻せない、将来何をすべきかは将来の収入・支出「だけ」をもとに判断しなければいけないという原則である。
「意思決定」というと決断力とか判断力のような精神的・気分的なものをイメージさせてしまいそうな言葉だが、実際にはどちらを選べばより多くのお金が手元に残るか? つまりどちらが儲かるか?というシンプルな判断だ。したがって、築地を売るか貸すかは減価償却を含まない償却前収支でみるべき、ということになる(あくまで数字で判断をする場合の話)。
※意思決定会計についてはかなり簡略化して説明した。これ以上詳細な説明は本筋からズレるため専門書等を参考にされたい。
■築地を貸した場合は28年先まで借金が残る上に資金ショートが早期に発生。
償却前収支を見ると売る場合は10億円の黒字で「運営自体は継続可能」、貸す場合は170億円の黒字で「安定的な運営が可能」とある。そして資金収支の項目を見ると、売る場合は平成61年に資金ショート(手元の資金がなくなること)、貸す場合は平成47年に資金ショートとある。
売る場合は平成33年に4596億円で売却、貸す場合は同じく平成33年から毎年160億円で50年間の長期貸出しという前提でシミュレーションが行われている。
このシミュレーションが妥当かどうかは後で考えるとして、償却前収支は貸す方が170億円の黒字と大きなプラスになっている。経常収支も合わせて見ると、明らかに貸す方が良いように見えるが、果たして実際はどうか。これは資金収支を無視している、ということになる。
先ほど説明したように「現金の動きと損益の計算はズレがある」ため、利益さえ出ていれば問題ないということにはならない。これは現金の動き=キャッシュフローの話だ。キャッシュフローの概念は損益と資産・負債にまたがる話で、そもそも会計知識が無い人には何の話をしているのかすら理解しにくいと思われる(これも試験範囲でいうと簿記一級で結構ムズイ)。
売る場合はまとめて現金が手元に入るため、平成32年から38年に発生する3500億円の企業債(=豊洲市場を作るために発生した借金)を問題なく返済できる。ただし、豊洲市場の規模縮小により、徐々に赤字が大きくなり、平成61年には図の通り手持ち資金がなくなる。
一方、貸す場合は当然のことながら3500億円という巨額の借金を返すことは出来ないため、借り換え(期限までに返済ができずに借金を継続すること。闇金ウシジマ君的に言うと「ジャンプ」)で資金ショートを回避することになる。当初は3500億円のうち2/3を借り換える。つまり多額の借金がそのまま残る。
■問題は赤字ではなく資金ショート。
借金の借り換えができないことは考えにくいが、築地を貸す場合は借り換えを二度行い、返済が終わるのは平成58年となる。その場合でも図にある通り平成47年の資金ショートは免れない。
資金収支のシミュレーションを見ると、多額の借金が残り、借り換えをしても早期に資金繰りが行き詰る案を戦略本部が「安定的な運営が可能」と評価し、借金を全額返済可能で資金繰りも31年先まで問題がない売却案を「運営自体は継続可能」と不安定な状況であるかのように説明するのは、きわめて不自然であるといえる。
なお、両方のシミュレーションに共通することはどちらの案でも中長期的な収益構造の改善が必要という部分だ。今後、年々市場の取扱高が予想通り減ってしまい、豊洲市場への税金投入や借金をする必要性が生じる可能性は十分あると思われるが、そういった状況になる理由は「赤字の発生」ではなく「手持ち資金の枯渇(資金ショート)」が発生したときだ。
したがって、豊洲市場の利用で問題にすべきは「赤字かどうか?」ではなく「資金ショート」であることは間違いない。企業でも個人でも破産や倒産に陥る理由は赤字ではなく支払いができなくなったとき、つまり資金がショートした時だ。経営者が最も恐れるのは赤字ではなく資金ショートである。
「赤字」に過剰に反応をする人は会計的な観点で考えると素人と言わざるを得ない(もちろん赤字も無いに越したことはないが)。
■豊洲移転で100億円の赤字という勘違い。
少し前に話題になった豊洲に移転すると100億円の赤字が発生する、といった話は売却案の経常収支で130~140億円の赤字となっている部分の話である。現在都知事の私案では築地を売らずに貸し出すことが前提となっているが、この赤字を避けるためのアイディアではないかと思う。
ただ、これは売却によって得たお金は特別利益として一気に計上されるが、貸した場合は毎年売上として少しずつ計上されることの違いを示しているだけだ。貸した方が良いとは言えないことは、毎年160億円の収益が発生しても借金を返済できず借り換えせざるを得ない状況を見れば明らかだ。
売却時に減価償却費を含んだ経常収支で大赤字になってしまう理由は簡単で、市場運営から得られる収益と比較して豊洲市場の建設にお金をかけ過ぎたというだけの話だ。利用料が築地と比べて何倍にもなると市場関係者から反発の声が上がっているが、豊洲にお金をかけ過ぎたのは小池都知事が決めた事ではないため、赤字の責任も小池都知事にはない。
加えて、すでに説明したとおり将来の判断は、意思決定会計の常識的な考え方に沿って行うのであれば、減価償却を含まない償却前収支で判断すべきだ。繰り返しになるが赤字に過剰反応をすべきではない
※あくまで数字だけで判断するのであれば、という但し書きがあることは強調しておく。土壌汚染など他の要素については専門家に判断を譲りたい。
■赤字は小池都知事の責任ではない。
ここでやっと売るのと貸すのとどちらが良いのか?という話になるが、結論から言えば4500億円程度で売ることが可能なのであれば、売却によって借金をなくしてしまうのが一番無難、ということになる。そして都知事は以下のように説明すれば十分だ。
「収益性を無視して豊洲市場にお金をかけ過ぎた点について問題がなかったきっちり原因究明をする。ただし現時点ではすでにお金をかけてしまった後なので建設費用を取り戻すことはできず、私の責任でもない。加えて毎年100億円の赤字という話は将来の意思決定には含む必要のない費用も込みの話である。したがって築地売却によって得た資金で借金を返済し、豊洲市場の経営効率化をより一層進めることで、税金投入は避けられるようにしたい」
おそらくこれが最も「無難」な案となる。土地を貸し付けてテーマパークを運営させるなど、過剰な不動産投資のリスクを取る必然性が果たしてあるのか?ということは慎重に考えるべきだ。
都知事が貸付案に飛びついた理由は、赤字発生で責任を追及されることを恐れたことも原因の一つではないかと思う。しかしこれは小池都知事の就任以前に進められた話であり、私のせいじゃない、と言い切って全く問題のない案件だ。加えてこの赤字は意思決定に含むべきではない数字であることも意思決定会計の部分で説明した通りだ。
しかし、責任追及を恐れるあまり、赤字を穴埋めするために食のテーマパークや築地市場を再開発するとなればこれは小池都知事による新たな事業となる。失敗すれば当然のことながら知事の責任となる(議会で承認されれば賛成した都議も)。
場合によっては退任から5年近くもたって都議会に呼び出された石原慎太郎元都知事のように、近い将来に過去の意思決定を非難される可能性すらある。自分の懐が痛まないとはいえ、よくここまで大きなリスクを取るな......と個人的には不可解としか言いようがない。
※ただし、豊洲の赤字については無駄にお金をかけ過ぎたから赤字なのか、今までかけていなかっただけで安全性の確保に必要な費用なのか、という点は慎重に議論すべきだ。老朽化した築地の方が安く済むのは当然である。
■築地再開発という「ワンダーランド」。
50年にわたって160億円での貸し出しが果たして可能か?という問題点についてはすでに多くの人が指摘している。まだ貸付先も事業内容も決まっていない段階で160億円の収益を得られる前提で判断することは机上の空論である。
そして160億円での貸し出しが可能であったとしても、そして借金の借り換えが可能であっても、資金繰りに問題が生じることはシミュレーションが示す通りだ。
売却案の場合は31年後に資金ショートの可能性が指摘されているが、これはその時になってから再度借金をするか税金を投入すればいい。無責任に聞こえるかもしれないが、少なくとも28年後まで借金が残り、利息を払い続ける築地の貸付案よりはよっぽどマシだ。
売却案より10年以上も早く、平成47年に資金ショートが起きると予想されている貸付案の方が「安定的な運営が可能」と判断している戦略会議の意見はハッキリ言って意味不明としか言いようがない。
そして、売るか貸すか?の案に付け加えるように出てきた築地市場の再整備も賛成している人はほとんどいない。
築地再整備(改修)にかかる費用は800億円から1000億円程度と見込まれている(市場のあり方戦略本部・4回目の資料35ページ「移転して改修・(2案)より)。ここに1000億円もお金を使う余裕があるのなら、豊洲市場の赤字穴埋めに使えばいい。それだけの資金的な余裕があるのならさらに数十年先まで豊洲を維持することは出来るだろう。
売る場合でも貸す場合でも豊洲市場の経営改善が必要な状況で、必要性に疑問符がついている築地市場の再整備に1000億円もかけるのはまったくもって理解不能だ。
現在の私案通りに築地市場の再整備に1000億円もかければ収支も資金繰りも確実に悪化する。しかもそれによって起きることは市場機能の分断であるため、売り上げが増えることはほとんど見込めない。
加えて、1000億円という金額はあくまで「改修」であるため、オリンピックでの利用後に一から作り直せばもっと多額の費用が掛かる可能性が高い。豊洲と同程度の費用が掛かるのであれば年間70億円の減価償却費が上乗せされる。資料で示されている年間20億円程度の収支改善では黒字転換は見込めず、そもそも数千億円の費用をどこから調達するのか目途がついていない。
■事業者の築地再移転は経営判断に任せる?
オリンピックで築地市場跡地を利用した後に再度築地市場を作るとなった場合、豊洲からどれくらいの事業者が戻ってくるのか?ということを考えると、豊洲移転後の再移転が極めて困難であることが分かる。
全事業者が戻ってくるのなら今と同じサイズで豊洲と同じ水準の設備を築地に作った場合は、豊洲にかかった費用を考えると1000億円で済むはずもなく、一部の事業者が戻ってきた際に機能が分断されて不便になることは考慮していないのか、ということになる。
そもそも豊洲市場は築地との併用を前提としていないため、築地再整備にかかる費用は二重投資となる。築地に戻るかどうかは事業者の経営判断に任せるといった都知事の発言もあり、市場の機能をわざと壊そうとしているのかと疑ってしまうほどだ。現状では思いつき程度の話でしかなく、具体的なことは何一つ決まっていない。
市場は元々買い手と売り手の売買を集中させることに意味があり、一つの市場を分割することは市場としての機能を壊すことに他ならない。豊洲への移転推進派と慎重派が両者ともに併用案に反対している理由はまさにここにある。
併用案は都議選で勝つための策で両者に良い顔をしているだけとも報じられているが、実際には両者から到底考えられないと反対されている。この反応は容易に想像できたと思うが、誰もアドバイスしなかったのだろうかと何とも理解に苦しむ。
■「食のテーマパーク」も二重投資となる。
築地に作るという食のテーマパークについても、豊洲市場に先客万来(せんきゃくばんらい)という温泉・商業施設を作る予定になっていることが障害となりうる。
先日、大和ハウス工業と寿司チェーン大手のすしざんまい(喜代村)が各種条件の悪化により運営から撤退したことが報じられたが、現在は都が再度事業者を公募している。温泉という特徴はあるものの、「市場に隣接した商業施設」という特徴から築地に作る食のテーマパークとは真正面からバッティングする。
豊洲市場の受け入れを決めた江東区は、観光客を呼び込めるであろう千客万来もセットであることが前提という経緯もあるようだ。千客万来が頓挫しかけている状況について都に重大な責任があると非難しているようだが、すぐ近くにテーマパークが作られるとなれば来客数が分散することは容易に予想され、話が違うと更なるトラブルに発展する可能性すらある。
築地の土地を売るにせよ貸すにせよ、食のテーマパークという制限を付けた際に果たして手を上げる事業者はいるのか? より高く売る、あるいは貸すにはテーマパーク運営など余計な制限は付けるべきではない。
自治体や国が運営するテーマパークやホテル等の不動産事業には失敗例が多数あり、小池都知事は「4000億円の不動産投資」をやめるべきで書いたように都が必然性のない不動産投資をやる必要はない、ということになる。
都は都にしかできない公的な役目がある。なぜ築地の利用へ過剰にこだわるのか、現時点で納得できる説明はほとんどなされていない。売却が可能であるのなら、築地ブランドを織り込んだ高値で売ることが都の役目ということになる
今回の築地・豊洲の併用案は個人的にはほとんど評価できないが、唯一評価できる点は都議選の前に知事の考えを明確に公表したことだろう。そして知事が代表を務める都民ファーストの会も知事の市場併用案をそのまま公約として盛り込んだ。
あとは都民の判断ということになる。
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中嶋よしふみ シェアーズカフェ・オンライン編集長 ファイナンシャルプランナー