家賃がもったいない。
家を買う理由として、アンケートのランキングで常に上位に食い込む回答がこれだ。ただ、これは果たして正しい考え方なのだろうか。
■賃貸価格と不動産価格のバランス。
家を買うタイミングは、多くの人が結婚して子供が生まれた後だ。年齢でいうと、30代が特に多いだろう。理由としては最初に書いた通り多くの人が家賃がもったいないから、借りると何も残らないけど買えば家が残るから、と考えている。
では家を買う事は本当に「お得」なのか。結論を言えば間違いという事になる。少なくとも事前に答えは分からないと考える方が正しい。住宅は生活必需品であり、無ければ生きてはいけない。しかし、家は買わずとも借りることで代替可能だ。つまり、賃貸と購入では代替性があるため、それなりに両者の価格はバランスが取られる。
取引が一切の摩擦も無く行われればどちらを選んでも損得は変わらない。しかし、取引で摩擦が無いという状況は株や為替のような効率化されたマーケットでもあり得ない。特に不動産市場は摩擦が大きい。
税制が複雑、相続で自宅は極めて優遇される、価格が高く取引の回数が少ない、「東京五輪までは価格が上がり続けるはず」などの思惑(これは株と同じ)、金利の上下や金融緩和や住宅ローン減税などの経済対策(これも株と同じ)、賃貸物件の家賃の硬直性、相続対策による賃貸物件の増加、将来の急激な人口減少、空き家の急増......と、枚挙にいとまがないほど効率的な取引を邪魔する要素は多い。
■将来の人口減少も家余りも皆が知っている。
これらのどれか一部を切り取ってもっともらしいストーリーを作れば、買った方が得とか借りた方が得とでっちあげる事はいくらでも可能だろう。ただ、少なくともここにあげたような要素は誰もがある程度知っている公表された情報であり、その影響はそれなりに価格に反映されている。これを株式市場では「株価に織り込まれる」、と表現する。
株式市場でインサイダー取引は禁止されているが、不動産の取引はインサイダー情報が命となる。自分の知らない極めて重要な情報により、誰かが買ったり売ったりしているかもしれない。
織り込まれていない要素を自分だけが分かっている、と考える事は非常に危険だ。少子化になるから将来的に不動産はダブついて価格が下がるはず、という話も公表された事実だ。空き家が増える事は間違いないだろうが、住みやすい質の良い家まで大幅に安くなるかは全く分からない(だから自分は借りた方が得という事も絶対に言わない)。
■50年後の家賃を予想する愚かなシミュレーション。
理屈ばかりあげてもピンと来ないと思うので、より具体的に考えてみたい。
まず、持ち家と賃貸の比較はどのように行われているのか。
持ち家の場合はまず住宅の購入価格(頭金とローンの返済額)が発生する。これにマンションならば管理費と修繕積立金、固定資産税と改修費なども加えて、平均寿命くらいまで計算する。平均的な購入時期や寿命を考慮すると、30代で購入して80代で亡くなると仮定して、50年分程度の住宅費用の総額を計算する、というやり方が一般的だろう。
賃貸物件は賃料と更新料を同じ期間の分だけ積み上げる。引っ越し代を加算する場合もある。
これらを比較して、買った方が○円お得、だから買った方が良い、という結論を出すのだが、この時点でもう普通の感覚を持った人ならばおかしいと気づくだろう。50年後の家賃がいくらなのか予想出来るわけもない、と。
日本は失われた20年と言われる期間に穏やかなデフレが続き、大きな物価変動はなかった。そういった事情から物価が変わるという実感があまりないのかもしれないが、50年先まで予想する事がいかに無理な事かちょっと考えれば分かりそうなものだ。
■30年後も住みやすいか?
もしインフレが起きるならなおさら家を買った方が良いじゃないか、という判断になるのかもしれないが、これも間違いだ。
買った家の周辺が20年後も30年後も住みやすい場所か、働くのに便利な場所かは極めて重要な要素だ。家が残っても周辺が廃れてしまったらどうなるか。近所で買い物を出来る場所が減り、飲食店や病院なども無くなり、場合によってはバスや電車など交通機関が無くなる場合もある。
数年前に西武線の中の一部が外資系ファンドの提案で廃線の憂き目にあった事は記憶に新しい。しかもそれは東京を含んだ首都圏の話だ。地方ではなおさら住みにくくなるリスクは高い。
賃貸ならば環境が悪化すれば便利な場所に引っ越せるが、持ち家のある場所が衰退してしまったら売却価格も大幅に下がり、住み替えも容易ではない。50年間住むからと言って50年分も「まとめ買い」をしてしまったら、途中で不要になるかもしれない。これらの話は単純な支払い総額の比較には全く含まれていない。
■持ち家は趣味と考える。
ここまで書くと家を買う事を否定している持ち家反対派、賃貸派と誤解されそうだが、そうではなく慎重派だと説明している。自分は損得で判断する事をまずは辞めるべきだと説明しているだけだ。家を売りたい人が「買った方が得」という無理な結論を出すために50年分の支払い総額を比較する、という無理な上に意味も無い計算で根拠をでっち上げるからおかしな話になるわけだ。
家を買う理由は「お得だから買う」のではなく、「家が欲しいから買う」と考えれば良いのでは?と自分は普段から伝えている。損得は関係なく欲しい、というのは趣味だ。つまり持ち家は趣味の世界の話だと考えればなんの違和感もない。
趣味の問題は当事者が決めるべきであり、買えるのであれば買っても良いし買わなくても良い。損か得かではなく、買えるのか? そして買いたいか?という判断の仕方が本来の姿だ。そして買うことで楽しい生活を送る事が目的なのだから、「損得よりリスク、そしてライフプラン」ということになる。これは新著「住宅ローンのしあわせな借り方、返し方」でも繰り返し書いている事だ。
もちろん、結果として家を買った事で得をすることもあるだろう。それは趣味で買った時計が10年後にプレミア価格がついて運よく大儲けしてしまったという話と同じで、意図して利益を狙うようなものではない。
■損得よりリスク。
自分が普段住宅購入でアドバイスをすることは、損得よりリスクを重視して下さい、ということだ。リスクとはシンプルに言えば収入が減る、もしくは支出が増えるといった事が原因で支払いが出来なくなったり、住宅ローンが原因で教育費や趣味など他の支出に制限が加わる状況だ。
住宅購入でいう損得は支払い総額の多い・少ないでしかない。「支払い総額」の比較だけで購入を判断することは、「途中経過を無視する」というおかしな考え方でしか成り立たない。ローンを完済するまでの20年とか30年の間、自分やパートナーの収入が一貫して安定していると考えるには、景気の動向はあまりに不安定だ。
■将来の変動を無視していいのか?
買った方が得という発想は途中経過のみならず、将来の変動も無視している。
例えば自分が住みたい家を買うと、50年間の支払い総額は8000万円、借りると1億円かかる、だから買おうと判断したとする。そしてこのシミュレーションが奇跡的に100%正しかったとする。しかし、そもそも住宅費用に8000万円も払えるかどうか、という点がこの判断からは抜け落ちている。8000万円払えるかは今の収入だけで判断はできない。もしかしたら今後の収入によっては支払総額8000万円の持ち家コースが高望み過ぎたということになるかも知れない。
これが賃貸ならば、1億円の賃貸コースで生活する予定だったけど、収入が大幅に減ったから安い所に住み替えよう、結果的に7000万円コースにしよう、といった変更は容易だ。しかし家を買うと住み替えの売却時に大きなロスが発生する可能性もありリスクが高まる。
希望する価格とタイミングで売れるとも限らない。支払いが厳しくなった時には自分の収入が下がっている時なのだから、景気が悪化していて不動産価格も下がっているかもしれない。
リスクを考え始めるとキリが無いが、賃貸に住むということは、これらのリスクを全て家主に押し付ける事が出来るということだ。そして家主はそれらのリスクを取ったうえでリターンを追及する。家を買うということは自分が自分自身の家主になるということであり、不動産投資と同じ要素が含まれている。
■株と貯金の比較?
持ち家と賃貸ではそもそもリスクが違う。持ち家は支払い額が固定化され、途中で逃げる事も出来ない。どちらが得か?という比較は預金と株はどっちが得でしょう?というおかしな比較と同じで、リスクの異なるものを支払い総額が多いか少ないかという同じ基準で比較する事は完全に間違っている。
今回書いたことはマンションのチラシにでも載せて欲しい位当たり前の話なのだが、多くの人は家賃がもったいないから、といういまだにそんなレベルで判断をしている。これは家を買う人をバカにしているのではなく、まともなアドバイスを提供してこなかった不動産会社、金融機関、そしてファイナンシャルプランナーの怠慢という事はハッキリと指摘しておきたい。
不動産・住宅購入については以下の記事も参考にされたい。
■1億円の借金で賃貸アパートを建てた老夫婦の苦悩。
■年収1100万円なのに貯金が出来ませんという男性に、本気でアドバイスをしてみた。
■不動産会社の「大丈夫」が全然大丈夫じゃない件について。
■グーグルはなぜ新入社員に1800万円の給料を払うのか?
■お金で解決できる問題はお金で解決した方がいい、という話。
損得よりリスク、そしてライフプランを重視する。これが当たり前の買い方になって欲しいと思う。
中嶋よしふみ シェアーズカフェ・オンライン編集長 ファイナンシャルプランナー
■住宅購入の本を書きました。