メジャー通算3000本安打を達成したイチローが、外国人記者との会見で「この偉業を達成した最初の日本人ということにどう思うか?」との問いに、こう答えた。
「日本人の選手がアメリカに来てから少し時間が経つのですが、まだまだ数も少ないですし、日本の野球がアメリカの野球に追いついてきたとか、その距離が縮まってきたとか、という評価にならないくらい、数が少なすぎる」
一般の人は「え?そんなに少ないの?」と思うかもしれない。確かにメジャーに挑戦した日本人はこれまで50人以上で「少ない」とは言えない。そして、彼らが一試合でも活躍すれば、メディアに大きく取り上げられるため、「日本人は結構活躍している」というイメージがあるかもしれない。
しかし、メジャーは年間162試合あり、年間通して試合に出続け、それを5年、10年と続けなければ、イチローの「数」には入れてもらえないのかもしれない。
それでは、読者の方にお尋ねしたい。シーズン通してレギュラーとしてプレーし続けたことを示す「規定投球回数」または「規定打席」をメジャーで5シーズン以上、クリアした日本人選手は何人いるでしょう?
答えはたったの4人。イチローのほかには、野茂英雄、松井秀喜、そして黒田博樹。
松坂とダルビッシュは2シーズン。マー君はゼロ。この指標を使うと「リリーフ投手」が省かれるが、リリーフ投手の活躍の指標に「セーブ」と「ホールド」というのがあり、二つ足して年間20あれば、それなりに活躍したといえるが、5シーズン以上20を記録した選手はゼロ。「ハマの大魔神」と呼ばれた佐々木は3シーズン、元巨人の上原は4シーズン。
世界有数の野球人口を誇る日本が、なぜここまで活躍できないのか?私は、原因の一つは、「甲子園」であり、甲子園制度を改革することでしか、日本の野球のレベルアップはありえないと思っている。
メジャーで活躍した上記4選手のうち、甲子園で活躍したのは松井だけだ。イチローは甲子園に2度出場しているが、いずれも初戦で敗退。野茂は無名の公立高校出身で、黒田は、控え投手だった。一方、甲子園で活躍した松坂、ダルビッシュ、マー君はケガに悩まされている。
私は、日本とアメリカ、両国で高校球児を経験し、野球人口が少ないにも関わらず、前回のワールドベースボールクラシックで準決勝までいったオランダのアマチュアリーグで2年プレーした。
甲子園の最大の問題は、高校スポーツとしては世界でも稀にみる注目度と短期のトーナメント方式にある。高校生のスポーツ大会が、連日全国紙で3-4ページも割かれて報道され、球場に3-4万人の観客を集めるというのは、他の国で聞いたことがない。学校からすれば、甲子園ほど良い宣伝方法はなく、良い指導者、良い施設にお金を投じ、チームに1人良い投手がいれば、絶対勝利主義のもと、その投手を連投させる。
私が所属した新潟県立六日町高校野球部は、私が入部する前の年に甲子園に初出場した。素晴らしい投手が引っ張るワンマンチームで、予選ではこの投手が毎試合連投した。大差でリードすることもあったが、一度も交代しなかった。その後、この投手は野球の強い大学に進学したが、まもなくケガで選手生命を終えた。
米国の高校の野球は、リーグ制で、週に2-3試合のペースで30試合戦い、最後に上位チーム同士でトーナメントをする。先発投手は3人でローテーションを組み、同じ投手が連投するということはありえない。
私のチームには、その後マイナーリーグで活躍する140キロの速球を投げる絶対的エースがいたが、必ず中4日は空けて登板し、投げない試合はファーストを守っていた。1試合100球以上投げることはなく、日曜日は絶対休養日で、試合も練習もなかった。練習も半日が最長で、部活に弁当を持っていくことは皆無だった。
オランダは人口1600万人で野球は全く盛んじゃない。世界有数の強豪チームだということを、オランダ人が知らないくらい、野球人口は少ない。にも関わらず、前回のワールドベースボールクラシックでは、日本代表相手に10対6と負けはしたが、善戦した。
私はオランダのアマチュア二部リーグのチームで外野を守っていた。試合は週に1試合。監督が息子の学校行事のために試合を休んだり、選手が、彼女の卒業式があるからと試合を休んだりした。練習も週に2回で、1回2時間程度。
他の国ではチームの勝利より選手生命が大事にされ、日本では「甲子園」への過度の注目度により、選手生命よりチームの勝利が優先される。
17歳の若さで無理をしてしまうことに慣れさせては、プロになっても無理をすることを続け、普通の人なら大きなケガになる前に「少し休ませて下さい」と言うところを言えなくなってしまうのではないか。高校時代に甲子園で大活躍した阪神の藤浪投手が、先日、8失点しながら、160球投げるまで交代させられなかったのは、象徴的である。
さらに、甲子園は短期決戦のため、一つのミスも許されない状況に置かれ、打撃も守備も型にはめられやすい。リーグ制なら、「今日は思い切ったプレーでエラーや三振して負けたけど、次の二試合ファインプレーで勝って取り戻す」という発想が生まれ、より自分のスタイルを貫きやすい。
日本では原則体の正面でゴロを取るよう言われるが、米国やオランダでは、それぞれが送球しやすい捕球体勢でやっており、監督が取り方にあれこれ言うのを見たことがない。
アメリカでは、型破りな大振りなスイングをするチームメートがおり、最初「こんなんで打てるかよ」と見下していたら、彼が30試合で7本もホームランを打った。日本はバント練習に相当な時間を費やすが、他の国ではほぼ皆無だった。
イチローは「振り子打法」、野茂は「トルネード投法」というそれぞれ独自のスタイルを貫いた結果、メジャーで活躍できたことを考えれば、若いころからそれぞれのスタイルを模索させるのがいいのだが、それに「甲子園」が立ちはだかっている。
最後に「甲子園」の最大の問題は、大手新聞社が主催しているため、甲子園をメディアが「美化」しようとすることだ。夏は朝日新聞、春は毎日新聞がそれぞれ主催し、NHKが全試合を放送する。
私は毎日新聞記者1年目に奈良県の予選を担当したが、毎日、「雑感記事」として選手にまつわるお涙頂戴の話を探さなければならなかった。そして、一番よくあるお涙頂戴は選手の「ケガ」にまつわる話。エースだったが、ケガをしてマネージャーになり、選手を影で支えるとか、ケガで前の大会は出られなかったが、今大会で涙の復活とか。ケガを「美化」し、野球部の管理体制に疑問を呈するなんていうことはしなかった。
それどころか、「読売新聞が春の甲子園を毎日新聞から奪おうとしている」という噂まで流れ、より多くのお涙頂戴記事を出さなければならなかった。これにより、「ケガをするくらいチームのために身を捧げることは素晴らしいこと」という誤ったメッセージを選手たちが受け取るかもしれない。
8月10日の甲子園で、広島新庄のエースが177球を投じた。無論、それについてメディアは疑問を呈さない。「エースの熱投」だとたたえるだけである。
松井秀喜が高校時代、甲子園で5打席連続敬遠された時、相手チームの監督は「正々堂々と勝負すべき」とメディアから非難の的にされた。相手の4番打者を5回敬遠しても選手生命を絶つことはないが、自分のチームのエースに177球投げさせたら、絶つ可能性はある。どちらの監督がより非難を浴びるべきか、今一度考えてほしい。
「目指せ甲子園」の大スローガンで、一体、何人の野球人生に終止符が打たれたのだろうか。甲子園を主催している大手新聞社は、是非、ケガで離脱した高校球児の人数を発表してほしい。16歳や17歳の若い子たちに、「甲子園が人生で最大の見せ場」という幻想を抱かせてはいけない。
甲子園でいくら有名になっても、プロで活躍できなければ、その後に名前を覚えてもらえることはまずなく、野茂や黒田の様に、甲子園に出なくても、超有名になることはできる。
投手の球数制限や、最低3日の投球間隔を空けるなどの制度改革。そして、甲子園が「短期」でなくてはならない最大の理由である、阪神タイガースの本拠地併用も見直してはどうだろうか。メジャーで活躍する日本人が「少なすぎる」というイチローの言葉を、それくらいの重みで関係者は受け止めてほしい。