3年前のことですが、夫の長時間労働が続き過労になっていたので、無理矢理仕事を休ませて病院の予約を取って送り込んでことがあります(詳しい経過は『一家の大黒柱が無職になった – 1』、『- 2』、『- 3』)。 その時、夫が医者で経験してきたこと。
1日数時間の睡眠で何週間も何ヶ月も働きゾンビのようになっていたので、私は夫に「隅々まで念入りに健康診断してもらってきて」と送り出しました。 ところが、診察した医者は夫から状況を聞き、簡単に血圧チェックなど診断を行ったあと「妻を殴ったり暴力をふるったか?」と聞いたそう。 そして現在の職場環境や労働時間よりも夫が生まれ育った環境、両親の夫婦仲、育てられ方などを詳しく聞き出した後、次のような話をしたそう。
過労による影響は身体面よりも精神面に現れる、精神の病の方がより深刻。
この地域(家の平均価格が£1 mil. = 1億7千万円の住宅街)のプロフェッショナル職の多くが過労によるストレスで医者を訪れる。 高給を得て美しい家に住みながら高額住宅ローンと仕事のストレスで精神を病む30 – 50代がいかに多いことか。
あなたは明らかに両親に健全に育てられたのでストレス耐性は強いはず、鬱病のリスクは低い。 早く帰って休みなさい。
帰ってきた夫からこの話を聞いて「興味深いなー」とは思ったものの、深く理解するだけの知識がなくそのままになっていました。
最近この話のいろいろなところが何かがカチッとはまるように分かるようになった本を読みました。 『How Children Succeed: Grit, Curiosity, and the Hidden Power of Character』(邦訳:『成功する子 失敗する子―何が「その後の人生」を決めるのか』)です。
Paul ToughというジャーナリストがNY Times Magazineを辞めてジャーナリスト人生をかけて取材し執筆した力作。 この本は近年注目を集める神経内分泌学(ホルモンと脳の関係)やストレス心理学の研究結果も調査しており、あまりに示唆が多く感想がまとまらないので、今日は上記のエピソードに関するところだけ。
まず幼児期の環境の影響ですが、家庭内暴力・シングルマザーの母親と入れ替わり立ち替わる母親のボーイフレンド・アルコール/薬物中毒・暴力事件が絶えない近所など現代の貧困家庭に育つ子どもの環境は過酷です。 以前はそれは社会的な問題だと捉えられていましたが、近年進む研究では、自分の生命や健康を絶えず脅かされるようなストレス環境で育った子どもは、ストレスをコントロールする身体の機能を疲弊させてしまい生物学的に壊してしまうのだそう。 自制心・自尊心のなさ、鬱病、さまざまな病的症状、最悪な場合は自殺に至ることもあります。
過労だった夫に医者が生まれ育った環境を詳しく聞いたわけがこれでわかりました。
目の前に上記のような過酷な環境で育ち自制心がコントロールできず周囲に乱暴を振るう10歳の子どもがいた時、人は本人のせいではなく環境のせいだ、と同情します。 ところが、同環境で育った17歳の少年が盗みを働いたり、暴力事件を起こした場合、少女が望まぬ妊娠をした場合、人は本人を糾弾したり「自己責任」と非難します。 本の中では貧困地域のクリニックの医師が「私にとっては10歳のあの子も17歳のあの子も同じ環境で同じように身体のストレスマネジメント機能を損なった少年なのに」と言う箇所があり、ハッとしました。
最近「自己責任」と何でも切って捨てる風潮が大嫌いな私ですが、特に現代の貧困が生むさまざまな問題は「個人の努力の問題」と矮小化できない深刻な背景を孕んでいると思います。
さらに重要な点ですが、「貧困」そのものが問題なのではありません。 家庭が貧しくても両親の愛情に包まれて育った場合、ストレスを和らげるクッションとなってくれるからです。 親のネグレクト・暴力など愛情を受けず育った場合に深刻なケースとなります。
そして深刻なケースは貧困家庭とは対極にある富裕家庭にも現れます。 現代の富裕層は親が子育てをナニー・ベビーシッター任せにし、一方で常に子どもにプレッシャーをかけ習い事や塾通いをさせ、子どもを見張っています(常に上をホバリングしているので「ヘリコプター・ペアレント」と呼ばれる)。 子どもと親の心理的な距離は凍えるほど遠く、これらの子どもには10代に入って深刻な悪影響が現れるそう。
高級住宅街にたくさん鬱病患者がいるのもこういう背景があるのかもしれません。 心の病を抱える人が親のネグレクト・不在などが多発する貧困家庭と親の過干渉が多発する富裕家庭、という両極端の家庭に多い、というのは非常に興味深い点でした。 社会の階層化・二極化が進むにつれてこれらの現象も世代を越えて継承し、深刻なケースによる社会問題が顕在化しているのでしょう。
親として深く考えさせられる本です(慎泰俊さんに紹介してもらいました、ありがとう!)。
(2014年5月12日「世界級ライフスタイルのつくり方」より転載)