美術監督の種田陽平です。
前回、「内側から見たジブリ映画の凄さ」でピュアネスがジブリ映画の魅力だというお話をしました。
そこにもつながるのですが、スタジオジブリのアニメーション世界には「少女性」があり、これも世界中の観客を魅了することにつながっているのではないかと思います。そして、ジブリのスタッフも確固とした「少女性」を身の内に持っています。
『ジブリの世界を創る』の中にも取り上げた、そのことがわかるエピソードをご紹介したいと思います。
■細部を支える小物のかわいらしさ
今回『思い出のマーニー』にもメインの美術スタッフの一人として参加してくれた方に平原さやかさんという方がいます。同じくジブリで長年仕事している背景のベテランです。あるとき、その平原さんが描いた背景を見て、ぼくはやけに小物が多いなと感じました。ストーリーには特別な関係もない背景の一部である小物です。それらはかなり克明に描かれていて、どれも何となくかわいらしいのです。
その絵を米林監督に見せながら、ぼくは明暗などの全体的な話をするつもりでした。ところがその絵を見た監督は開口一番「この棚の上の小物、かわいいですね~!」と言ったんです。それを聞いた平原さんも、目をキラキラさせて小さくガッツポーズ。ぼくはこの二人の世界には入っていけないなぁと感じました(笑)。
物語を語る上で必要な小物ではなくとも、ジブリの世界ではその小物が重要なディテールになっています。改めて見ると、『魔女の宅急便』や『となりのトトロ』でも、そうした遊び心を持った美術が映画のなかで大きな役割を果たしていることに気づきます。
もちろん実写でも、ストーリーと関係しないところで装飾や小道具に凝ることはあります。しかし、実写の監督がそれに気づくことはあまりありません。実写の場合、背景の小物が画面のなかで大きな役割を果たすことは少ないからです。また、実写の背景は撮影でピンを合わせなければボケますが、アニメの背景は描いたものがほぼそのまま映るため、観客が気づきやすいということもあるのかもしれません。
重要度が低いと思われる部分まで、気持ちを込めて作られていることにこのときは驚きました。そして平原さんの仕掛けたことを、米林監督はきちんとキャッチした。「かわいい」と小物を愛でる「少女性」、それがジブリの歴史であり積み重ねなのかもしれないと思いました。
(『思い出のマーニー』の世界を再現した「思い出のマーニー×種田陽平展」は9月15日まで江戸東京博物館で開催!8月29日には種田監督によるギャラリートークとサイン会も!http://www.marnietaneda.jp/)
■マーニーとバラ、少女マンガの世界
もう一つ印象的だった出来事があります。
マーニーが登場する夜の湿っ地屋敷のシーンの背景を、今回がジブリ作品に初参加だというフリーランスの女性スタッフが描いていました。見ると、夜なのにバラが浮き上がっていて少し不自然に感じ、少し色合いを抑えるように指示しました。修正されたものを見ても、まだ目立っている気がする。何枚かの絵を見比べているうちに自分でもわからなくなってきて、とにかく監督に見てもらうことにしました。
その絵を見た監督は、「バラだ!」と言いました。「マーニーとバラ、少女マンガの世界、いいですねえ~!」と言って喜んでいる。その絵には背景としてもっと大事な壁面もあるし、遠くに夜の海も見えているのに、監督が真っ先に注目したのはバラの花だったのです。
実写映画の美術の観点からいえば、こういった「少女性」はリアルではありません。かわいい小物がたくさん並んでいることも、夜の闇にバラの花が浮き立つこともそこに狙いがない限り、不自然だからと排除される傾向にある。しかし、スタジオジブリのアニメーション映画では、「少女性」こそが空間の大事な要素になっている。先日、高畑勲監督の『赤毛のアン』を見直したら、アンが花々に囲まれているシーンがありました。やはりこれがジブリにつながっているんだと改めて思い知らされた気がしました。
割とリアルな物語である『おもひでぽろぽろ』や『耳をすませば』も画面には「少女性」があふれている。「あっ、ここにも!」というシーンがたくさん出てきます。それは実写映画を長くやってきたぼくには、とても勉強になった点です。
ジブリアニメは基本的にすべてがリアルにできています。けれど、そのリアルのなかにイリュージョンが混ざっている。イリュージョンがあれば、そこに少し不可思議なものが強調されていても大丈夫なわけです。小物がかわいらしかろうが、夜のバラが浮き出ていようが、それらの「少女性」が空間を壊すどころか空間の核となって、物語の世界を下支えしているということなのです。
「映画美術の奇才」種田陽平監督を追ったNHK総合「プロフェッショナル 仕事の流儀」は8月29日0時40分から再放送!