異端的論考8:本当に日本はやばいかもしれない:番外編3
「自民党大勝と安倍首相に感謝する日」‐今回の衆議院選挙の結果を考える‐
第47回衆議院選挙での自民党の大勝を経て、12月24日に、第三次安倍内閣が組閣された。衆議院の解散は総理大臣の専権事項(三権分立の「抑制と均衡」および憲法第41条を理解しない議論と思うが)という以外に選挙の大義がなく、戦後最低の投票率や投票する政党や候補者の選択肢のなさなど、あきらかに、現在の政党政治を基礎に置く選挙制度の構造疲労を如実に示した選挙であったと言えよう。日本の政党政治は、依然として、民主主義の主体を個人ではなく集団、それも大組織におく古典的なポリアーキー(ロバート・ダール)であり、その内実は、より古典的な、政府は増大する利益集団間の調整機能(デイビット・トルーマンなどの「政治過程論」)および代弁者でしかないということを思えば、構造疲労をして当然と言えよう。
今回の衆議院選挙の投票率は、12月15日の総務省の速報結果(http://www.soumu.go.jp/main_content/000328960.pdf)によると、選挙前の予想通り、小選挙区では戦後最低だった前回2012年の59.32%を6.66ポイント下回る52.66%、比例代表制選挙区でも前回を同じく6.66ポイント下回る52.65%であった。小選挙区の当日の有権者数は1億396万2784人、投票者数は5474万3087人、棄権者数は4921万9697人であった。白票を含む無効票は小選挙区で180万票、比例区で140万票である。先回の2012年の衆議院選挙の時の204万票と148万票を下まわっている。小選挙区については、投票率の低下がそのまま無効投票数に現れているが、比例区については、投票率の低下ほどは下がっていない。いずれにしても、無効投票率は、小選挙区で3.29%、比例区で2.55%と白票が有権者の意志を示す手段とはならかった。白戸家のお父さんは惨敗である。
自民党圧勝と言われたようにこの選挙で自民党は、小選挙区で223議席(追加公認の井上貴博を含む)、比例区で68議席、合計で291議席を獲得している。戦後最低の投票率であるので、小選挙区でみると、24.5%の絶対得票率(投票者ではなく、全有権者を分母とする)で75.6%の議席を獲得したことになる。小選挙区は死票が多いとは言え、今回の低投票率を勘案すると、国民の4人に1人の支持で議席の4分の3を獲得するという絶対得票率の低さと議席数の多さのアンバランスに対して、これは投票をしない有権者の責任であり、自民党は正当に民意を代表しており、国民の負託を受けていると素直に考えるのには政治家でもないとかなりの無神経を必要とする。
朝日新聞が絶対得票率をもとに「託され度」を計算し、全国の295選挙区ごとに当選者の「託され度」を示している。「託され度」の平均は26.91%で、21人が10%台である。第一位は、神奈川11区の自民党公認小泉進次郎の43.96%である。地方と都市の差も伺うことができ、なかなか興味深いので参照されたい(http://www.asahi.com/senkyo/sousenkyo47/bunseki/)。
話を第三次安倍内閣に戻そう。このような選挙分析の結果でも、公明党の35議席と合わせて326議席となり、与党で衆議院の3分の2(317議席)以上を維持する結果となり圧倒的な国民の負託を受けたと安倍首相は意気込むわけであり、アベノミクスをより加速化するとおっしゃる。まず、行うのが、景気刺激策の補正予算だそうである。選挙翌日に約2兆円から大幅に上積みし3兆円規模とすると明言している。年末の時点では、3.5兆円になる模様である。2014年度予算は、95.9兆円であり、お決まりの年度末駆け込み追加補正予算の可能性を勘案すると100兆円の大台にのるのではないか。昨年度の98.1兆円は、3.5兆円の補正予算を加算すると、今の時点で超えている。
予算編成は、2014年の10月-12月のGDPの結果次第ではあろうが、この3ヶ月のGDPが劇的に改善する要素はなく、ぎりぎりプラスかマイナスといった結果ではなかろうか。そうすると、「景気回復、この道しかない」とおっしゃるので行きつくところまで行くのであろうから、2014年度のさらなる補正予算に加えて、2015年度一般会計予算は、100兆円をかるく超えるのではないだろうか。一般会計(歳出総額)の100兆円超えは、2008年のリーマンショック(この用語は日本以外では通じないが)後の2009年度予算(101兆円)と2011年の東日本大震災後の2011年度予算(100.7兆円)という想定外の非常事態時である(http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/003.htm)。アベノミクスという非常事態を自ら作ったとも言えなくはないのだが、肥大化する一般会計予算を、それで正当化するのは難しい。
また、来年度も補正予算を組むのは必定であろうから、この数字はより高くなるはずである。そもそも、増加の一途を辿る高齢者、特に後期高齢者は、高齢になるほど、医療や介護にはお金を使う(それに伴って国の負担は増え、財政を圧迫する)かもしれないが、その他にお金を使わないであろうし(現在の長寿を考えると年金の今後も危ぶまれる中でお金は使えないはずである)、来るべき社会保障の高負担と低給付を自覚している、人口減少傾向にある若者は、現在でも裕福ではなく、かつ、豊かな生活をしているのでモノを買う動機は、団塊世代のように強くはない。つまり、構造的なデフレ圧力が強いのである。事実、これだけの急激な円安による輸入原料の値上がりと3%の消費税増税があったにも関わらず、2%のインフレ目標を達成できておらず、日銀は10月末に追加金融緩和を行うなど、アベノミクスの屋台骨である金融緩和政策の出口が見えていない。
このような背景があり、加えて急激な少子超高齢化という人口減少に直面している中で、GDPの7割近くが個人消費である日本のGDP(1人当たりGDPではなく、総額)が伸びると考えるのは構造的に無理があるのであり、GDPの成長を指標にしている限り、延々と景気刺激策を続けることになるであろう。加えて公共投資(国土強靱化政策と言う名のもとで建設国債を増発し、これを日銀が購入する)が増加し、地方創生と称して、地方交付税・交付金等も増加するであろう。案の定、二階自民党総務会長(党国土強靭化総合調査会長と言う勇ましい調査会の会長を兼務しており、田中角栄以来の自民党の本質的体質を表していて興味深い)が、早速安倍首相に、2015年から向こう五年間で、国土強靭化のために(建設国債を増発し)、50兆円から70兆円の予算を投じるようにと提言している。つまり、アベノミクスを継続する限り、一般会計予算は肥大化するのではないか。
故に、安倍首相は、選挙後、経済財政諮問会議で、2015年度の基礎的財政収支の赤字を2010年度と比べて半減させるという目標を「着実に達成するよう最大限努力していく(最大限努力するとは官僚用語では結果はでないと言う意味であろう)」と述べ、予算編成の基本方針案の中で、「財政健全化に向けて医療や介護など社会保障費の自然増(一般会計において毎年1兆円、社会保障給付費全体では3兆円)についても聖域なく見直す」という姿勢を強調しているが、実際できるのかははなはだあやしい。毎年1兆円増え続ける社会保障費を持続的に削減するという、大票田の高齢者に利さない大胆な政策を本当に断行できるのであろうか。小手先の政策に始終してきた、これまでの実績を見るに、来年度に突如大胆な見直しができる理由がわからない。決意という掛け声でできるくらいなら、すでにできているのではないか。決意≒根性の問題であろうか。憲法改正に根性を入れるくらいならば、財政健全化に根性を入れてもらいたいものである。
財政健全化にとって将来世代への借金である国債発行額を抑制することが重要である。それでは、来年度以降、国債の発行額は持続的に抑制できるのであろうか。まず、足元の2014年度の国債発行額をみて見ると、初めて180兆円を超え、181.5兆円となる見込みであり、昨年度を約14兆円上回っている(http://www.mof.go.jp/jgbs/reference/appendix/hakkou01.pdf)。構造的にみて、増加するとしか思えない一般会計予算の歳入に占める税収割合が現在5割に満たるか、満たないかと言う現状かつ消費税を上げることも憚られる中、国債発行の増発以外に追加財源があるとは思えない。これに対して、現在議論されている国債発行額の抑制の方策は、発行から償還にかかる期間を長期化することの重要性を強調し、2年債などの短期債を減らし、減額分を長期債の発行に振り向ける必要があるというものである。確かに、現在、過去に発行した国債を借り換える「借換債」(一般会計ではなく、特別会計扱いとなる)の発行額は122兆円と7割近くを占めている(つまり、ババ引きの先送りという将来世代への借金の押しつけ)現状では、償還期間を延ばせば、借換債を発行する頻度が減り、年間の発行額を抑える効果があるのは事実である。しかし、これが増加する国債発行を持続的に抑える抜本的な方策とは思えない。結果、国債の増発は続いて、財政健全化はお題目になり、日本国債の国際的信任が問われるまで、目先の景気回復が重要と称して安倍首相は爆走するであろう。
国債について奇妙な現象が起きている。2014年10月に短期国債の平均落札利回りが初めてマイナス(―0.0037%)となったが、続いて12月には、2年物利付国債の入札でも、平均落札利回りがマイナス(-0.003%)となった。期間が1年を超える利付国債入札でのマイナス平均落札利回りは史上初めてのことである。この背景には、日銀が市場で大量の国債を買っていることがある。国債の7割程度を日銀が買っているともいわれており、国債の品薄状態が続いている。平均落札金利がマイナスになるとは、国債の発行予定額に対して、金融機関からの応札額が上回ることを意味している。短期国債は、信用力も高く流動性も高いので、金融機関は一定量の国債を手元に置いておく必要があるので利回りがマイナスでも買っておくといわれるが、日銀は金融緩和政策の維持のために、マイナス金利でも国債を積極的に買わざるを得ないので、金融機関は、最終的には日銀がオペを通じてさらに低い金利で購入してくれることを見越して購入しているので必ずしも損をするとは言い切れないとも言われている。明らかに健全とは言えない非常に奇妙なことが起こっているといえる。少なくとも、日銀のマッチポンプ状態を考えると、マイナス金利を付けるほど日本の国債は信頼されているとは言い難いのではないか。
もうひとつの焦点は、日銀のバランスシートである。日銀の黒田総裁が2013 年4月に異次元の金融緩和政策と称してQQE(量的・質的金融緩和) を開始して以来、日銀は保有する国債を1年に約50 兆円ペースで増やしており、日銀のバランスシートの拡大は際限なく続き、2014年10月31日の第二弾のQQE(「量的・質的金融緩和」の拡大)を経て、2014年12月10日現在で、ついに300兆円の大台にのった(https://www.boj.or.jp/statistics/boj/other/acmai/release/2014/ac141210.htm/)。
脱デフレを掛け声に2%のインフレ目標達成を至上命令とする日銀であるが、先述したように、構造的に個人消費は伸びないというデフレ傾向(サウジアラビア主導の戦略的な原油安と円安による輸入品の価格上昇は当面相殺するであろう)のなかで、至上命令の達成のためには、日銀は終わることのないQQE(量的・質的緩和)を繰り返し、大量の国債と株を購入し続け、日銀のバランスシートは肥大化を続けるのではないか。これも時限爆弾に近い状況ではないだろうか。
第2回のQQEの実施あたっての日銀の政策委員会での議決は賛成5人、反対4人と僅差であった。2015年の前期に二名の委員の任期が満了するので、日銀の政策委員会審議委員の改選のメンバーによっては、QQEの第三弾を行うかもしれない。第一弾のQQEを狭心症患者への過剰なニトログリセリン投与とし、第二段のQQEは想定以上に効いてしまうかもしれない脱法ドラッグとすると、もし、第三弾があるとすれば、それは、もはやカリウム投与であろうか。
このように見てくると、第三次安倍内閣は、これまでの政治家と官僚が選択した時間稼ぎという方法、つまり、不利益を被るものをつくることを許さない社会主義的社会なので時間をかけて問題が消滅するのを待つという方法(例えば、東日本大震災であるが、結果を見れば、復興道路と防波堤の建設と除染はするが、抜本的な地域社会の復興は遅々として進まず、福島の原発事故に関しては、放射線汚染土壌の恒久保管場所の問題も持久戦である)ではなく、「景気回復、この道しかない」といってアベノミクスという博打(筆者は勝ち目は薄いと思うのだが)を打ったので白黒をはっきりつけることになるであろう。つまり、緩慢な財政破綻への道ではなく、財政破綻議論(現実から目をそむけてでも万能薬としての将来の持続的経済成長軌道への回帰と言う最善を期待するか、決して低くはない財政破綻の確率を明示し最悪を想定するかの覚悟を国民に問う)への決着を早期につけると言うことである。
勝ち目は薄いと思うのだが、もし、博打に勝てば万々歳であろうし、負けても、「景気回復、この道しかない」といって、異次元のQQE(量的・質的金融緩和)や積極的公共事業投資という土建国家の再来といった三本の矢をいくら打っても、景気回復、つまり、持続的経済成長軌道への回帰がないことが国民の間で明確になり、高齢者を含めて多くの国民が痛みを引き受けて、GDPの縮小均衡路線を前提に社会保障制度をはじめとする社会システムを財源にみあった形で抜本的に再設計せざるを得なくなる。
日本の歴史を見るに、約70~80年のサイクルで制度破壊が起きているようである。直近の制度破壊は1945年の太平洋戦争の敗北である。その約70~80年まえの明治維新(明治への改元は1868年であるが、廃藩置県の断行は1872年、西南戦争は1877年である)がおこり、その約70~80年前には1787年から1793年までの松平定信の寛政の改革がある。寛政の改革は、緊縮財政や風紀取締まりが有名であるが、田沼意次の重商政策を否定する朱子学原理主義派によるクーデターの性格を持ついとも言われ、棄捐令という旗本・御家人の負債救済である徳政令を実施し、デフォルトを起こしている。その70年~80年前に、松平定信が理想とした祖父にあたる徳川吉宗の享保の改革(1716年~1945年)が行われている。徳川宗家以外の御三家紀州徳川家から将軍に就任した徳川吉宗は、それまでの先例格式に捉われることのない大胆な改革をその治世の間に行っている。 この70年~80年周期の制度破壊は制度の寿命を意味しているともいえる。太平洋戦争の敗戦から70年後が、2015年にあたる。日本社会はまさに歴史が示したように戦後に構築した制度の構造疲労と破たんに直面しているといえる。生憎、戦争によって既存の社会制度が破壊されたり、外圧によって既存制度を破壊して、制度を再設計しなければならない存亡の危機感の醸成される可能性は限りなく低いので、日本人は、自らの手で既存の制度を破壊しないといけないのかもしれない。しかし、それは、今回の選挙をみても、シルバー民主主義と権益構造が菌糸化している今の日本には不可能なタスクであろう。まさか、首都圏の巨大地震に期待するわけにもいくまい。
そこに現れたのが安倍首相である。現在の制度を結果崩壊させる側にも主観的には首尾一貫性と合理性があり、日本国民のために正しいことをやっているとご本人は本気で思っているわけである。初めから日本を崩壊させてやるという悪意を持っているわけでは当然ない。
自民党をぶっこわすといった小泉元首相であったが、安倍首相は、結果、日本を壊してしまった首相になるかも知れない。しかし、これは、これまでのように政治家と官僚による時間稼ぎをしても結果はより悲惨と言うことを思えば、安倍首相に感謝すべきであるかもしれない。この意味で、日本国民は、意図せずとも、意外と賢い選択をしたのかもしれない。
そして、かのオルテガ・イ・ガゼットが『大衆の反逆』(ちくま学芸文庫)の中で大衆社会を批判し、大衆≒平均的な人々である「彼らの最大の関心事は自分の安楽な生活でありながら、その実、その安楽な生活の根拠には連帯責任を感じていない」のであり「自分たちの役割は、それらを、あたかも生得的な権利ででもあるかのごとく、断乎として要求することにのみあると信じているのである」と言ったことを清算する画期的な機会であるかもしれない。
いずれにせよ、2015年は、日本にとって大きな転換を迎える年になるのではないだろうか。読者諸兄はどのように考えるであろうか。