父親が米国人で、母親が日本人であるアイドルでライターの西田藍さん
父親が米国人で、母親が日本人であるアイドルでライターの西田藍さん(25)は、自身がいわゆる「ハーフ」であることの悩みをブログに書きました。きっかけは、民進党代表の蓮舫議員が日本と台湾の二つの国籍を持っていると批判された問題でした。「『純粋な日本人』にはどんなになりたくてもなれない」との思いで書いたブログは大きな反響を呼びました。国籍はあるけど、日本人にはなれないってどういうことですか? 西田さんに聞きました。(朝日新聞国際報道部・高久潤)
国籍離脱騒動「あのときと同じかな」
蓮舫さんが国籍で批判されたとき、何が問題なのかわかりませんでした。もちろん、国籍離脱の手続きの不備や説明がおかしい、といったことが批判されていることはわかりました。
でも本人は繰り返し、「私は日本人だ」と言っていた。他の国籍の離脱ができてないのかもしれないけど、日本の国籍があって、しかも本人が「日本人でありたい」と言ってるのに責められる。
よくわからないなあと思っていた。そんなとき、「あっ」て思ったんです。自分が子どものころ、同級生に「国へ帰れ」と言われ、私が「自分は日本人だ」と何度も何度も言っていた。あのときと同じかなと。
「愛国的な日本人だ」と思っていた
私は子ども時から日本文学が大好きで、伝統文化にも興味がありました。日本のことが大好きだし、「誇り高く、愛国的な日本人だ」と思っていた。
国籍はもちろん、日本生まれ、日本育ち。違うのは髪や肌の色といった外見くらい。
小さいころは白人の父親の特徴が今より目立っていて、中学の卒業アルバムの個人写真では卒業アルバムの写真は髪が真っ黒に修正されていたことがあります。でもそんなことが重要だと思っていなかった。
「日本人か否かは誰が決めるの?」
アイデンティティクライシスに陥ったのは中学生の時です。私は1991年生まれ。日本の国籍法は85年に改正されたのですが、それ以前は父親が日本人じゃないと、日本国籍は取れなかったことを知ります。
生まれる時期がちょっとずれていたら、日本人じゃなかった。これは衝撃的でした。私が日本人だと思っていようと、周囲には容姿で日本人じゃないと言われ、しかもタイミングが違えば法的にも日本人ではなかった。
では日本人か否かは誰が決めるのだろう。
「そちら側には含まれない私」
国籍はあっても常に「ハーフ」として日本の社会で扱われます。それが悪いと言っているわけじゃない。
実際私は白人の「ハーフ」という、とても恵まれた「ハーフ」です。うらやましいと言われ、実際嫌な経験の数も少ない。私自身仕事でその外見を利用しているわけですし、その自覚もある。
でも結局日本人とは誰かを決める側の日本人、それを大衆と呼ぶのか、日本社会と呼ぶのかわからないですが、そちら側には含まれない。
どんなに私が日本人でありたいと望んでも、入れてもらえない。私にとって「純粋な日本人」とは、なりたくてもなれない存在だという意味で、ブログのタイトルは「幻想のなかの日本人」にしました。
「実はただの幻想の問題」
ただ、こうも思います。私のみならず、誰にとっても「純粋な日本人」ってなることができない存在なのではないかって。
外見や言葉、そして国籍が日本だとしても、日本の場合なんとなく出自というものを気にしますよね。私が外見、言葉、国籍が完全に日本人ぽくても、出自が日本ではないとなると、なんとなく日本人じゃない。
でも自分の出自なんて本当にさかのぼって知っている人なんていないし、調べようがないとおもう。血統の問題にみえて、実はただの幻想の問題。実は国籍の問題って、単に国籍の有無の問題なんじゃなくて、この幻想の問題なんだと。
何かはっきりした根拠があるわけじゃないのに、内側にいれてくれなかったり、外側に締め出したりしてしまう。線引きも内側の人が決め、それが差別につながる。
どうすればいいかはわからない。でもそれって本当に怖いと思うんです。
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西田藍(にしだ・あい) 91年生まれ。オーディション「ミスiD2013」で入賞。雑誌などで書評やコラムを執筆。
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