今、人工知能の開発に、世界が動いている。
グローバルにはGoogleやFacebookが人工知能開発の最先端を急ぐ。そして日本国内でもリクルートやドワンゴといった企業が人工知能研究所をつくり、大手企業がコールセンターに人工知能を採用するといった出来事が起こり始めている。
遠い存在のはずだった人工知能は今、突然身近になり、確実に社会の中で機能し始めている。
人工知能の未来が論じられる時、必ずと言っていいほどに引用される言葉がある。それは技術的特異点、「シンギュラリティ」だ。未来学者であるレイ・カーツワイル氏らによって生み出されたこの言葉は「テクノロジーの進歩によって、人類を超える知性が生まれる時」を意味するとともに、その到来を2045年頃と予測している。その新たな知性として、最も期待を集めているのが高度な人工知能だ。
まるでSFの世界だ。本当にそんな世界は到来するのだろうか?
そこで実際に、シンギュラリティを引き起こそうとしている人工知能開発者に直接会って話を聞いてみることにした。その人工知能とは「全脳アーキテクチャ」と呼ばれる「脳型AI」である。
この先の未来、私たちと人工知能はどんな関係になるのだろう? 全脳アーキテクチャプロジェクトの中核となるべく現在設立準備中の「NPO 全脳アーキテクチャ・イニシアティブ」の副代表を務める高橋恒一氏に話を聞いた。
NPO 全脳アーキテクチャ・イニシアティブ(設立準備中)副代表 高橋恒一氏
慶應義塾大学SFC在学中、世界初の仮想全細胞シミュレーターE-Cellを開発。ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム(HFSP)フェローとして米国留学を経て、現在は理化学研究所生命システム研究センターでスーパーコンピュータ「京」なども活用した様々な細胞モデリングプロジェクトを主導。そうした活動の傍ら、全脳アーキテクチャプロジェクトの立ち上げにも参画し、NPO全脳アーキテクチャ・イニシアティブ(設立準備中)の副代表を務める。
シンギュラリティまでの"予定表"
取材場所は全脳アーキテクチャ・イニシアティブが事務局を置くドワンゴ本社。本社のあるビルは銀座の「歌舞伎座タワー」という名前で、新歌舞伎座のほぼ真上にある。
並外れて華美な風体をしたり、異様な言動をしたりする者のことを、古くは「かぶき者」と呼んだそうだ。人類の知能を超えようとするという試み、“異様な言動”に聞こえるだろうか?
――人の知性を超える人工知能を手にした時、私たちはどうなるのか。
私たちの多くはこの疑問に対し、期待と同じくらいに不安を持たざるを得ない。
シンギュラリティについては、多くの知識人の間で賛否が分かれている。否定派として知られる論理物理学者のスティーヴン・ホーキング博士や、テスラモーターズCEO(最高経営責任者)のイーロン・マスク氏らは、「人工知能の進化は、いつか人間に悲劇をもたらすことになるだろう」という趣旨の発言をしていることは広く知られている。これに対し高橋氏は、「議論を整理するべき」と話す。彼のシンギュラリティまでの“予定表”にはどんなことが書かれているのだろう?
高橋氏:今は、10年後、20年後、さらにシンギュラリティ以降の議論がごちゃまぜになっていて、十分に冷静な議論ができているとは言い難い状況です。これらを分けて議論することが必要でしょう。
まず、10年後の将来はある程度確実な予想ができます。現在最先端のディープラーニング*(1)などの技術が普及し、あらゆる予測の精度が向上します。より多くの企業がIBMの人工知能「ワトソン」を導入したり、テレフォンオペレータ等の業務は人工知能による代替が一層進むでしょう。
社会的インパクトがやや大きくなるのは、相手の感情を察して行う労働「感情労働」の代替かもしれません。現在、世界初の感情認識パーソナルロボット「Pepper」は人間の表情を見て感情を察知します。この技術がより高度になって実用化すれば、「怒っている相手をなだめる」といった、人間がものすごく疲れる仕事を人工知能が代替する可能性が出てきます。
*(1) ディープラーニング:「ニューラルネットワーク」と呼ばれる脳の構造を模した神経回路網rをより複雑にすることで、さらに高度な問題を人工知能が解くことを可能にする技術。画像認識などの分野で高い成果を挙げている。
テレビCMでもお馴染みの「Pepper」。いつかは大企業にリクルートされるのだろうか?
現在でも、アメリカでは弁護士の仕事の多くが人工知能に代替されつつある。しかし高橋氏は、10年先の未来は「その後に起こることに比べれば、まだ社会的インパクトはそれほど大きくはない」とする。
高橋氏:時期ははっきりとは言えませんが、10年後以降、人工知能はもう1つの大きな壁に挑むことになるかもしれません。それは「言語獲得」の壁です。言語処理のための優れた人工知能技術の開発はこれまでも成されてきましたが、本当の意味で言語の意味を理解し、運用することは人間にしかできず、可能にする具体的技術はまだ生まれていません。この壁が突破できなければ、人工知能は再び忘れ去られる概念になるのかもしれません。
しかし突破できれば、おそらく人間ができる仕事のほとんどを自動化できるようになります。経済に対するインパクトは非常に大きなものとなり、既存の社会の常識が書き換えられるような変化すらも引き起こすでしょう。
こうなると、具体的に議論しなければならないことがたくさん出てきます。よく言われる“人間の職業の消失”です。受付業務や書類整理などの事務作業はもちろん、医師(診断業務)、弁護士や会計士など、高度な専門知識をベースとした判断・診断を行うことによって成り立つ職業は、人工知能に代替される可能性が大きくなります。10〜20年以内にアメリカの労働市場の半分がコンピュータに置き換えられるという予想もあるほどです。
とはいえ「人であってほしい職業」は消失しません。大切なのは、これから起きるかもしれない変化を認識し、備えてゆくことではないでしょうか?
10年後といえば、現在中学校1年生、13歳の子どもが社会人になる。さらに現在、企業の採用に内定し、ほっとしている大学生は、働き盛りの30代前半に突入する。私たちの既存の教育概念やキャリアプランは大きな変更を迫られるのかもしれない。
高橋氏:シンギュラリティの議論は10年後の議論よりもずっと慎重にする必要があります。このままコンピュータの能力向上が進めば、論理的にはシンギュラリティはいつか起きる必然です。人類文明の根本に関わる問題ですから、今から真剣な議論を積み重ねてゆく必要があります。しかし、その前に議論しておかなければならない社会の変化もたくさんあります。昨今の人工知能ブームは少し盛り上がりすぎのきらいがあり、その反動で今後シンギュラリティの冷静な議論がしづらくなる雰囲気になることを懸念しています。近い将来の議論と遠い将来の話はどちらも大事であり、どちらかに偏りすぎてはなりません。
"脳に学ぶ"人工知能は、人間を超える夢を見るか?
人工知能は2つに大別される。まず私たちがよく目に耳にしているものは、Googleの自動運転や、将棋の電王戦で使われるコンピュータ将棋ソフトに代表されるような、特定のタスクを“賢く”こなすものだ。これらは「特化型人工知能」と呼ばれ、現在、社会の中で数多く使われている。
しかし、人間の知性を超えるような人工知能に求められるのは、特定タスクをこなすだけに留まらない“汎用性”を備えた「汎用人工知能」だ。
高橋氏:従来の人工知能の得意分野は主に、大人の人間ができるタスク、つまり計算や論理思考の、より高度なものを賢くこなすことです。その一方で、人間の子どもがするようなタスクは不得意分野でした。最初は泣いているだけの赤ちゃんが、幼稚園児くらいになると、今日の出来事をストーリー仕立てにして親に伝えたり、新しい環境で、新しい自分の特技を見つけたり...といった人間の営みを人工知能で再現することは非常に難しい。人間の子どものように「『何を、どのように学ぶか』を学ぶことができる」、つまり「知識獲得」ができることこそが、汎用人工知能に求められる条件なのです。そして私たちはその可能性を、人間の「脳に学ぶ」人工知能開発に託しているのです。
今の人間とコンピュータの知性の関係は、人間にとって難しいことがコンピュータには簡単であり、人間にとって簡単なことがコンピュータには難しい、という状況にあるということだ。これは「モラベックのパラドックス」と呼ばれ、汎用人工知能開発のための壁になってきたのだという。
そこで人間の脳に学び、人間を超える全脳アーキテクチャで挑もうとするのが高橋氏らの作戦だ。しかし、学ぶといってもどうやって学ぶのだろう?
高橋氏:たとえば人間の持つ「感情」について考えてみましょう。私たちは、「気分がいい」という理由で楽しい行動をとります。逆に気分がよくなければ、気分をやわらげるような行動をとります。一体なぜでしょう?
この時に脳でどんなことが起こっているのかを考えてみると、実は感情の働きが、大脳新皮質*(2)の情報処理を効率化している可能性があるのです。
私たちは感情によって、「気分がいいから楽しいことをする」ことができる。つまり、感情によって即座にかつ、効率的に意思決定を行うことができるのです。もしも感情が無ければ、目の前の様々な状況を並列的に考えなければならず、それぞれの可能性を多層的・多重的に検討して意思決定する必要があるために、プロセスが複雑化し、非効率になるのです。時に面倒な人間の感情は、このようにして脳の情報処理に役立っている可能性があるのです。
このような脳の働き全てを包括的に考え、人工知能に置き換えていこうとするのが全脳アーキテクチャの考え方なのです。現在、GoogleもFacebookもIBMも、大脳新皮質の部分のモデルに注力したディープラーニング技術を核に人工知能を開発しています。これに対し、脳全体に目を配ろうとするのが全脳アーキテクチャの独自性であり新規性なのです。日本初の汎用人工知能技術として、世界に勝負を仕掛けていきたいと思っています。
*(2) 大脳新皮質:大脳皮質の一部であり、系統発生的に、最も新しい部分にあたる。人間の大脳のほとんどを占め、学習・思考・情操などの精神活動を営む。
汎用人工知能・全脳アーキテクチャは、多くの研究者・技術者のコラボレーションによって生み出される。高橋氏は、全脳アーキテクチャを動かすためのOS、つまり基盤ソフトウェア開発を担当し、理化学研究所とドワンゴの共同研究として推進中だ。初の脳型計算基盤ソフトウェアである「Brain-inspired Computing Architecture(BriCA: ブライカ)」は、5月末の人工知能学会で発表された。BriCAは、全脳アーキテクチャ以外にも、生命科学研究におけるデータ解析に脳型情報処理を応用するなど、様々な用途にも使えるという。
"イノベーティブ人工知能"がもたらす世界の「大分岐」
高橋氏:シンギュラリティへの危機感よりも先に議論すべき大きな社会的問題があります。それは「人工知能革命」に乗れる国とそうでない国に、産業革命以降最大の格差が生まれる可能性があるということです。
高橋氏は今、駒澤大学のマクロ経済学者井上智洋氏とともに「AI社会論研究会」を立ち上げ、汎用人工知能のテクノロジーを政治・経済面、さらに倫理面から議論する場を設けている。キーワードは、Humanity(人類)、 Economics(経済)、 Law(法律)、 Politics(政治)、 Society(社会)の頭文字を取った「HELPS」だ。かつてゲノム生物学が生まれた時や、生命を工学的につくり、解明しようとする研究分野「合成生物学」が生まれた時には、オックスフォード大学などが先導して「ELSI(Ethical, Legal, Social Issues)」という概念が生まれたが、人工知能の社会へのインパクトはこれまでのどんなテクノロジーに比べても深く、広いので、さらに広い視野が必要と考えて提唱しているのがHELPSだという。
高橋氏:これはAI社会論研究会を一緒に立ち上げた井上氏の受け売りですが、経済史の専門家であるグレゴリー・クラーク氏によれば、かつての産業革命は国際社会に「大分岐」をもたらしたとしています。つまり、産業革命の波に乗ることができた国はどんどん豊かになって先進国へ、乗り遅れた国は相対的に発展途上国へと大きく分岐したということです。
産業革命以前の社会における経済の資本は土地でした。資本である土地に農民の労働力が単純に掛け算されることで、食糧が生産されていました。
しかし産業革命が起きると、まず生産現場が工場に変わり、経済の資本は工場の機械になりました。さらに機械をつくるのは科学技術であることから、科学技術の進歩率と機械設備の量の掛け算によって生産量が決定し、それが大きく国力にも反映されていきます。ここで大事なのは、工場で生産される機械によって、工場自らが設備増大を行うことができるという“フィードバックループ”が発生したということです。この効果が非常に大きかったため、世界は大分岐したというわけです。マクロ経済学者である井上氏は、人工知能革命後にも同様のことが起こり得ると予想しています。
つまり世界は、人工的な知性を持つ者と持たざる者に分断されるということだ。そこでは人工知能の科学技術応用が鍵を握ることになる可能性があるという。
高橋氏:産業革命で機械化されたのは肉体労働でした。人工知能は知的労働を機械化します。科学研究は知的労働の最たるものです。つまり、論理的に考えれば人工知能の進歩がそのまま科学技術の進歩につながり、そのことで人工知能の性能がさらに向上するというフィードバックループが発生するのです。 “イノベーション”すらも人工知能が行うようになるかもしれません。
いわば“イノベーティブな人工知能”がもたらす恩恵は素晴らしいものになるでしょう。しかし、この人工知能革命に乗っていける国とそうでない国の間に起きる大分岐については慎重に議論する必要があります。経済が変われば社会構造や人々の考え方、政治も変わります。国家間のパワーバランスに変化が急激に起きれば、安全保障の問題にも発展するでしょう。私たちは、今から世界がどのように変わっていくのかを考えて行動していかなければ、また過去の悲劇、つまり多くの市民を危険にさらす戦争を引き起こす可能性もあるのです。そして日本もこの分野への投資で舵を誤れば、“持たざる者”にならない保証はありません。
高橋氏は現在、今科学技術振興機構をはじめとする各機関・組織とこの未来予測を議論し、未来の人工知能をサイエンスに使うことを今後の施策等に加えていくことを提言しているという。
超人的な人工知能のある世界へ向けて
果たして全脳アーキテクチャは人間の知性を超えられるのだろうか? 少なくとも、「脳に学び、脳を超える」ためには、何をする必要があるのだろうか?
高橋氏:私たちの持っている全脳アーキテクチャ実現のための『中心仮説』において、大きく3つのポイントについて、明確な答えを出していくことが大切だと考えています。
まず1つめは、脳器官にはどれくらいの独立性があるかということです。たとえば大脳新皮質の最小単位には「マイクロカラム」というものがあります。この中に存在する神経細胞は、統計的には約2ステップで新皮質のどこへでも繋がることが可能です。つまり脳は、ネットワーク的にはどこも全て“近所”なのです。その一方で解剖学的に見ると、大脳新皮質、小脳、海馬といったように明確に器官が分かれていますし、ある仕事をしている最中のヒトの脳をMRIで観察すると、機能の局在が観察されます。全体をひとつずつの部品に分解できるかどうか(システム科学の用語で「準分解可能性」と言います)によって人工知能を人の手で工学的に作り上げる上での難しさは大きく変わってきます。
2つめは、そもそも脳の各器官の情報処理は、機械学習器のプログラムで書くことができるのか。そして3つめは、機械学習器をたくさん繋げることで本当に脳のような高度な認知機能が生まれてくるのかどうか、です。科学者としてはこれらの仮説の検証は慎重で厳密な手続きで行ってゆかなければなりませんが、個人的にはこれまでやってきたどんな研究よりも楽しいですね。
日本の研究開発費の状況も問題だ。汎用人工知能は、遠い未来の国力となる可能性はあるものの、近い未来に投資しなければならないのも研究開発の責任であるという矛盾がある。
高橋氏:たとえばGoogleの研究開発予算は1兆円の大台に乗ったと言われています。人工知能技術を実際のサービスに組み込んでいる企業は、研究投資で得られた性能向上で莫大な利益を見込めるので投資を正当化しやすいのです。その一方で、日本の基礎研究を支えている「科研費」はフランス文学から宇宙物理学まで全ての分野の総額で約3000億円です。人工知能は先行者利益の大きな研究でもあることから、規模が違う戦いに私たちは勝たなければならないのです。
また、全脳アーキテクチャの実現には、最低でも15年以上の研究期間が必要です。それに対し、日本の多くの研究機関で、5年以上の期間で研究プロジェクトを計画するのは困難な状況です。公的機関の研究費ですらも3〜5年程度の評価期間が設けられています。こうした中で人工知能の研究を長期的に支援し、コミュニティを形成してエンパワーしてゆく環境がまず必要だと考え、私たちは、NPO 全脳アーキテクチャ・イニシアティブという組織をつくることにしたのです。
NPO 全脳アーキテクチャ・イニシアティブは現在設立準備中で、今秋を目処に発足する。また先立って2013年12月に全脳アーキテクチャ勉強会を立ち上げ、2015年6月までに10回の勉強会を実施、最近の開催では500人ほどを集めた。
遅かれ早かれ、人類は超人的な知性を持つ人工知能と出会うことになりそうだ。
私たちはまだ、私たちを超える知性を知らない。そして、未来へ先回りすることもできない。しかし、到来する未来を考えて、今から行動を変えてゆくことは選択できる。
超人的な人工知能は、人類を今までにないほどに豊かにする可能性がある反面、世界規模の格差を生む可能性がある。そして、単なるテクノロジーとして迎える場合と、国や社会のシステム、さらには個人の人生とともに考えるスキームを適切に用意して迎える場合とでは大きな違いがもたらされるのだろう。
人間の知性を超えた知性と共存するためにしておくべき準備、そのプロセスにかかる時間は、私たちが自分自身で、人間の知性と深く対話ができる最後の時間でもある。
幸い、その対話には、まだまだ十分な時間がかかりそうだ。
WISDOM 2015年06月12日の掲載記事「最先端の人工知能開発者は今、何を考えているのか?」より転載