「そんなんで、社会で通用すると思っているのか!」
通勤途中、ガソリンスタンドなどで朝礼をやっているのを見かけるたび、私はこの言葉を思い出す。滑舌の良い声で社訓らしきものを読み上げる二十代の社員達。営業時間にはキビキビと動き、表情も明るく、「ありがとうございましたー!」という声も淀みない。
就活スーツを着た大学生達も「そんなんで、社会で通用すると思っているのか!」を思い出させる。皆、同じような恰好をして、茶髪で就活する者など滅多にいない。20世紀の終わり頃、就職氷河期が叫ばれていた頃の大学生達は、あんなに均一な恰好だったろうか? 金髪、茶髪、(男性の)長髪、いろいろあったではなかったか? 今では「そういう格好では就活では通用しない」と周知されている、ということなんだろうか?
よく、「日本社会は価値観が多様化した」と言われる。私生活や家族構成は多様化したし、好きな漫画や視聴している番組といった個人消費のレベルでは多様化どころか細分化が進行している。その点では「価値観は多様化した」と言って構わないのだろう。
じゃあ「社会に通用する奴」のほうも多様化しているだろうか?
そう思えない。むしろ逆だ。
「社会で通用する」ためには、一定のテンプレートをこなせなければならない。社会というものを人と人とがコミュニケートするフロントラインとして捉え直すなら、そこで通用するためには、滑舌の良い声で社訓が読めて、キビキビと動き回れて、明るい表情ができなければならない。就活を「社会に通用するか否かのスクリーニング段階」と考えるなら、そこで期待されているのは20世紀末よりも高い同質性だ。「私は皆と同じ動作ができる人間です」「私はコミュニケーション可能な人間です」「私は正常に作動する人間です」etc......。個性や特技が問われるのは、もっぱらその先の話だ。
もし私が普通に就活していたら「社会で通用しなかった」だろう。そんな私だから、この歳になっても「そんなんで、社会で通用すると思っているのか!」という言葉には戦々恐々とせざるを得ない。みんな、本当に凄いなと感心する。いや、そんなところで感心しているうちは駄目なのかもしれないが。
私生活の多様化/「社会に通用する奴」の均一化
かつて私は「テキパキしてない人、愛想も要領も悪い人はどこへ行ったの?」という記事を書いた。テキパキして愛想も要領も良い人間が、まさにこの「社会に通用する奴」に近い。サービス業の最前線で活躍する人はもちろん、技術職・研究職ですらそうした傾向と無縁ではない。先日も、AO入試で入学し、高いコミュニケーション能力を遺憾なく発揮した女性研究者のスキャンダルがあったではないか。
個人としての価値観や私生活が多様化した以上、バラバラな者同士が連携するにも顧客に対応するにもコミュニケーション能力が必要なのはわかる。だが結果として、コミュニケーション場面で、いや、社会で求められる言動や能力がテンプレート化し、要求されるクオリティも高くなっているとしたら......そのような社会は本当に多様化していると言えるだろうか?
そして就活の風景やAO入試が暗示しているように、私達はそのようなテンプレートのごとき「社会に通用する奴」を望ましいものとして育て、未来の日本人として再生産し続けている。
本当の意味で多様な社会とは、家族構成や消費コンテンツが多種多様なだけでなく、飲食店や工事現場や研究室で働く人間が多種多様であって構わない社会のはずだ。ところが私生活レベルの多様化が進むのと裏腹に、社会の表層においては今まで以上の均一性、それも、コミュニケーションしやすい言動や態度が求められている。その条件をクリアしていない者は就活でふるい落とされるか、顧客からのクレームによって修正されるか、精神を病んで脱落していく。
あるいは、お客様としての私達・消費者としての私達は多様化しているが、就労者としての私達・生産者としての私達は均一化している、と言い換えてもいいのかもしれない。世間で言われる「社会に通用する奴」というモノ言いには、あきらかに後者の、就労者としての私達・生産者としての私達に対する期待と強制が含意されている。本当に多様性や個性が求められる職種でさえ、活躍する前段階としてまず「社会に通用する奴か否か」が問われ得るようになった。
「私生活はどうだっていいし、お前の趣味にも口出しはせんよ。だが、そんなんで、社会で通用すると思っているのか!」
あの、しっかりと朝礼をこなしている二十代の社員達も、私生活レベルでは多種多様で、それぞれの趣味を持っているのだろう。だが、彼らの身のこなし・彼らのコミュニケーションはとても均質で、訓練されていて、こう言ってはなんだが、よくできたロボットのようだ。ポスト工業化社会の労働者の人間疎外とは、生産ライン上で同じ肉体労働を繰り返すタイプではなく、コミュニケーションを強いるタイプになるのだろう。いや、もう既にそうなっているか。
(2016年4月10日「シロクマの屑籠」より転載)