リンク先では夫婦円満の鍵として「敬意」を強調してますが、同じことが人間関係全般にも当てはまります。友達同士でも、職場の人間関係でも、お互いに敬意を払える者同士のほうが付き合いはうまくいきます。
人間関係を気にする人のなかには、できるだけ褒められたい・できるだけ敬意を払ってもらいたいと願うあまり、その方向でばかり努力を積み重ねる人がいます。ですが、現実の人間関係のなかで一方的に褒められ、敬意を払われ、認められるなんて事は普通はあり得ません。相互承認や相互リスペクトを伴っていなければ、遅かれ早かれギクシャクしてしまいます。
なので、本当に人間関係に習熟したいなら、褒められたり敬意を払われたりばかりだけでは片手落ちで、他人を褒めたり敬意を払ったりするための努力、それも、オベンチャラではなく本心から他人に敬意を感じたり「あいつ、やるじゃないか!」と認めたりしたくなるための努力があって然るべきです。少なくとも、対等な人間関係やパートナーシップを望んでいるならそうすべきでしょう。
敬意を払い慣れていないのはこんな人
以前私は『褒められ慣れていない人の悲劇』という文章を書きました。要約すると、『褒められたりリスペクトされたりにも慣れ/不慣れがあって、不慣れな人は人間関係がうまくいかない』的な内容です。
同じく、他人を褒めたり敬意を払ったりする体験にも慣れ/不慣れがあり、不慣れな人は損をしがちです。他人に敬意を払いなれていない人にありがちな特徴を挙げると、
・相手を勝手に理想視し、勝手に失望してしまう
・それか相手に理想を勝手に押し付けて、嫌われてしまう
・他人の長所より短所に目が向き、敬意よりも軽蔑・見下しが湧いてしまう
・欠点の目につかないアイドル・キャラ・カルト教祖しかリスペクトできない
・つい「自分達は特別だ」「うちの教祖は完璧」的な集団に飛び込んでしまう
・それか「自分自身だけが偉い人」になってしまう
これらに二つ三つ当てはまる人は、たぶん他人に敬意を払い慣れていません。敬意を払い慣れてないからこそ、誰かに敬意を払おうにも過剰な理想を期待してしまい、その理想に見合わないからといってガッカリしてしまうわけです。ガッカリを避けるために欠点の目につかない理想っぽい存在を求める人もいますが、アイドルや二次元美少女を崇拝しているならともかく、カルト集団の教祖なんぞを崇拝してしまったら目も当てられません。
また、これらの特徴を持っている人は、しばしば"鼻持ちならない奴""心の狭い奴"という雰囲気を周囲に与えてしまいます。そりゃそうでしょう、「あいつもこいつも敬意に値しない」なんて腹の中で思っていれば、表情や言葉尻にそれが出てしまうわけで。あっという間に嫌われ者になってしまいます。
人間関係がうまくいかない理由として、「私はコミュニケーション能力が足りない」「私は承認欲求を欲張り過ぎている」といった自己分析が語られることがあります。もちろん、そういう事もあるでしょう。ですが、他人に敬意を払い慣れていないがために、つい、軽蔑や見下しや失望の目で他人をみてしまい、みずから嫌われ者への道に突き進んでいる人も少なくありません。
「でも、あいつは結構できるやつだ」を大切に
他人に敬意を払い慣れていない人はどうすれば良いのでしょうか。リンク先では「敬意は練習あるのみ」と書きました。
人間、とりわけ思春期を迎えて感性がビンビンになった若い男女は、どうしても自分中心主義に陥りがちで、自分自身の自尊心で頭がいっぱいになりがちです。これは中二病同様、一種の"はしか"みたいなもので、精神の病気というわけではありません。
他方で、他人のことを凄いと思ったり一目置いたりする機会も思春期以降にはたくさんあります。先輩に敬意を払う・仲間の自尊心に注意を払う・師匠と呼べる人物に巡り会うetc......。そういった日々を積み重ねることによって、「他人に対して敬意を払う」という気持ち自体もこなれていき、習熟していけるのです。
ただ、これが難しいんですよね。
若いうちはともかく、長く社会経験を積み重ね、あちこちで色々な凄いモノを見聞してきた人にとって、「凄い」と思える瞬間や「やるじゃないか」と思える瞬間はそれほど多くないかもしれません。とりわけ最近は、メディア越しに"欠点を隠しながら、素晴らしい部分だけを強調しまくった"アイドルやキャラを幾らでも拝めてしまうので、そういったアイドルやキャラと比較して「なんだ、たいしたことないな」と思ってしまうこともあるでしょう。
素晴らしいアイドルやキャラが幾らでも拝める世の中ってのは、間近で普通っぽい人の長所や美点に気付き、敬意を払うにはあまり適していないように思います。
だからといって、欠点をマスクしたアイドルやキャラを拝んでいるだけでは、いつまでたっても欠点のみえない対象にしか敬意を払えないので、他人に対して敬意を払うトレーニングとしては効果がありません。生身の人間同士の関係のうちに、他人の長所や美点に敬意を払うと同時に、残念ながら目に付いてしまう短所や欠点と折り合っていく時間を積み重ねていくしかありません。
他人に敬意を払い慣れないまま年を取り続け、もっぱら自分が認められることばかりに執心し続けてきた人にとって、敬意を払う対象になり得る人との出会いは希少価値の高いものです*1。だからこそ、もっと普通っぽくて、もっと清濁併せ持ってうつる他人を「でも、あいつは結構できるやつだ」「でも、あいつには尊敬できるところがある」と感じられるなら、そのような人間関係は大切しましょう。その方面の経験を積み重ねられる、貴重な関係なのですから。
*1:清濁併せ持った人間に敬意を払いにくいがために、つい、高い理想を受け付けてくれる"金ピカの偶像"を拝んでしまいます
(2016年3月24日「シロクマの屑籠」より転載)